大きな主人のために
リヒトたちの会話はオレや水尾さんも聞いていた。
だから、兄貴の言っている意味は分かる。
そして、オレも同じ結論を導き出していた。
―――― 栞は、歌うことで「神力」を使って自力で「神扉」を開くことができる
そう考えるしかない。
思い起こせば、栞が「聖女の卵」となってしまうきっかけとなった事件でも、彼女は歌を歌った。
その時に歌っていたのは、神官や神女が、神に近付くために歌うという「聖歌」で、それも、法力を使う大神官やその他の神官たちによる合唱というサポートを受けたものだった。
様々な偶然が積み重ねられた果てにあった奇跡。
それによって、法力国家ストレリチアという国は破壊されることなく、稀代の大神官を失わずに済んだとされている。
あの場にいたほとんどの人間はそう思っていただろう。
その奇跡の一部となった当人すら、今でもアレは自分の力ではないと思っているぐらいだ。
でも、いろいろ学んだ今なら分かる。
それは少しだけおかしいのだ。
大神官は、あの時、言っていた。
―――― 私一人では力技となってしまいます
それは、自分一人でもなんとかできたということだ。
だが、あえてそれを選ばず、心苦しいと口にしながらも、わざわざ、あの場でストレリチアや神官たちとはほぼ無関係のはずの栞を巻き込むことを選んだ。
確かに中心国の王族の血を引く栞は、あの場ではかなり強い魔力の所持者ではあった。
神官の教えによると、中心国の王族というだけで、大陸神の加護を受けた魂を例外なく持っているとされている。
さらには、神や精霊が好むという穢れなき身体でもあった。
だから、栞が選ばれたのだ――――と。
だが、そんな条件だけで良いのなら、寧ろ、大神官としては、同じ場所にいた若宮を選ぶべきなんだ。
若宮は、ああ見えてもグランフィルト大陸の中心国である法力国家ストレリチア王女殿下で、事件の当事者でもある。
自己申告だが、あの時点で穢れなき身体でもあった。
今は知らんが、大神官と若宮の性格を考えれば、恐らくはまだだとは思う。
それはともかく、少なくとも、あの時、あの場にいた人間としては、若宮は栞と条件がほとんど同じではあった。
だから、法力国家の威信とかそういうのを考えれば、他国の人間を駆り出し、ストレリチア城下と大神官襲撃と言う事件に巻き込んだのは不自然なのだ。
だが、それを感じた若宮が、自分では駄目なのか? と尋ねた時、大神官は即座に断りを入れた。
その上で、親しい人間が一目見ただけでは分からないほど、その姿を変えていた栞に、「聖歌」を歌わせたのだ。
そして、大神官や他の神官たちという特殊な人間たちから手助けを受け、「聖歌」と呼ばれる特殊な歌を口にすることで、導きの女神「ディアグツォープ」を祖神とする栞が、「神降ろし」と呼ばれる現象を起こすことになる。
あれは、様々な人間たちによって、整えられた舞台だった。
だから、周囲には気付かれなかった可能性がある。
実は、栞が歌うことで、自分一人でも神力を行使できることを。
それも、「聖歌」だけではなく、普通の歌でも可能だということも。
実際、今日まで、身近な人間を含めて誰にも気付かれることはなかった。
オレも栞が、「聖歌」や「神舞」を通して、神力が少しだけ使えるらしいのは、「聖女の卵」として学んだ結果で、もともとの王族の血としての素質が少し磨かれただけだと思っていたぐらいだ。
だが、違った。
あの日、あの時、あの場所だったからこそ、黒髪、黒い瞳を持つ「高田栞」が持っている「特殊能力」は様々なもので覆い隠すことができたのだ。
つまり、その考えが誤っていなければ、遅かれ早かれ、栞が「聖女の卵」となるのは既定路線だったということになる。
無意識に歌ってしまうほど、歌うことが好きな栞だ。
いつか、どこかで露見することだっただろう。
だから、その前に、本人にも気付かれないようにそのきっかけを与え、「聖女の卵」としての教養や知識も身に付けさせた……そう思えてならない。
いや、周囲にいる護衛たちにも……か。
神官を含めた法力を使う人間や、精霊たちとの戦闘を意識したのは間違いなくあの日からだった。
それまでは、最低限の備えしかしていなかったから、組紐はともかく、あんな法力による結界すら破れなかったのだ。
あの日から、オレも兄貴も、「神力」というものを意識した最大限の備えをするようになる。
だが、本当に大神官は全て気付いていたのか?
その部分は、正直、オレにも断言できない。
こんなの、未来予知でもなければ分からないような話だ。
歌うことで「神力」が使えるなら、神官の眼を持つ人間の前で歌わなければ、誰にも気付かれることなどないのだから。
実際、最近、歌った港町で、大神官より直々に、栞に対して「聖歌禁止令」が出されることになった。
つまり、それまで、確信していなかったことになる。
それは、無意識に魔法を使ってしまうために、「聖歌」ではどんな反応が起きるか分からないという理由だったが、もしかしたら、それだけではなかったのかもしれない。
普通の歌より「聖歌」の方が「神力」を使いやすくなる。
神官ではないオレにはよく分からないことだが、もともと「聖歌」とはそういうものらしい。
ただの歌でも「神力」を使ってしまう可能性がある女が、それを歌えばどうなるか?
考えなくても分かることだろう。
それに、その港町で歌うことになったきっかけも、元神官の男が、たまたま歌っている栞の歌を聴き付けたことから始まっていた。
しかも、その男は法力を見抜く瞳があって、過去に関係した神官に妬まれるぐらいの才も持っていたやつだ。
その時も海を見ながら、かなり有名な童謡を歌っていた気がする。
もし、あの元神官が、栞の何気なく歌っていたあの歌に籠った僅かな神力の気配に反応した結果だとしたら?
童謡や唱歌、合唱曲は栞が気持ちを込めやすいのか、神力が発動しやすいのは今回のことで嫌と言うほど見せつけられた。
しかも、大気魔気の変動だけでなく、オレたちよりももっと神に近い精霊族の血を引く者たちの耳や眼によって裏付けされてしまったのだ。
どうしろと言うんだ?
「その辺りは、大神官猊下に改めて相談かな」
兄貴がそう言った。
「どちらにしろ、あの方に報告しなければならないことが他にもあるからね」
「そ、そうですね」
確かに「法力」、「神力」、「神官」……。
それらについては、専門家ではないオレたちにはどうすることもできない。
「仕事、増やしちゃうな……」
だが、栞は気が進まないようだ。
「今回のことは各国の怠慢だ。大神官猊下だけに咎はない。どの国だって、神官はいるし、聖堂もある。まあ、神官育成を謳っている法力国家ストレリチアに一番、非難の眼は行くことになるだろうけど……、それだけだよ」
もともと、今回の話は、神官たちの教育、さらに精霊族の混血児たちの取り扱いや管理が杜撰だっただけだ。
どこかの国が絡んでいたために話がかなり大きくなっていたけど、元をただせば、「法力」の素養だけで神官の資質ありと判断し、さらにはその使い方を磨かせるという法力国家の神官選定に問題がある。
「それに、大神官猊下も不出来な神官たちが引き起こす頭の痛い問題を抱えてばかりいるより、もっと別の……、可愛らしい『聖女の卵』のことを考えている方が癒されると思うよ」
オレもそう思う。
あんな本当の意味でヘンタイしかいない神官たちの問題よりも、持っている力は強大だけど、その力の怖さを知っているからこそ、自分を「化け物」だと思い込んでしまうほどの女のことを考える方が良いと思う。
「なあ、信じられるか? これを素面で言ってるんだぞ、この男」
突然、水尾さんからそんなことを言われた。
先ほどの兄貴の台詞について……だと思う。
「酒が入ると真顔でもっと凄いことを平気で言い始めますよ」
これでも自制しているのだ。
「これでもかなり押さえらえている方です」
「マジか?!」
尤も、そこまで兄貴が酔うことなんてほとんどない。
そこまでの状態になったのは、ストレリチアだった。
栞が「聖女の卵」となった日。
あの日は、二人で呑んだ。
酒瓶が何本転がったかを覚えていないぐらい呑んだ。
あの日だけは、呑まずにはいられなかった。
祝杯ではなく、罰杯の意味で。
自分たちだけでは護りきれないほど大きな主人のために。
「一緒に呑んでみるかい?」
オレの複雑な思いを知っているはずの兄貴が阿呆なことを口にする。
「怖いので、止めておきます」
「それは残念」
そんなどこか平和なやり取りに、安堵している自分がいた。
ずっと兄貴なら、平気だと思っていたけれど、オレは以前より狭量な男になってしまったようだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




