音楽という娯楽が少ない世界で
「どうしてこうなった?」
「お前、本当に好きだよな、その言葉」
わたしの呟きに、正面にいる九十九が呆れたようにそう答える。
だが、言わせてほしい。
これは苛めだ。
それも集団による苛め。
そして、そんな状況にあれば、誰だってこう思うだろう。
どうしてこうなった? と。
「何でも良いから、早く準備しろ。ああ、化けたいなら手伝うぞ?」
「化けるって言うな」
それも嬉しそうに。
わたしは化粧なんか好きじゃないのだ。
皮膚呼吸を忘れてしまう気がする。
「栞ちゃん。何度も悪いね」
そう思うなら、止めさせてください、雄也さん。
「私だけちゃんと見てないんだよ。先輩たちだけなんてそれはズルいだろ?」
その水尾先輩の言い分は分からなくもないのだけど、その結果がコレなのはどうかと思う。
『リヒト、リヒト。シオリの歌は凄いんだぞ』
「知っている。またシオリの歌を聴かせてもらえるのは、嬉しいな」
さらに、無邪気な精霊族コンビがわたしの退路を塞ぎに来た。
知らなかったよ。
このメンツからは逃げられない。
いや、分かっていた。
わたし如きが逃げられるはずなどないと。
一通り、報告書を回し読んで、出た結論は、何故か全員一致で「わたしに歌え」と言う指示だった。
正しくは、スヴィエートさんの前で歌いながら薬を混ぜろというものだ。
わたしではなく、スヴィエートさんの直の反応を見たいらしい。
そして、心が読めるリヒトなら、その不可解で難解な言葉も理解できるのではないかという話だった。
その論は分からなくもないけれど、何故、毎回、自分だけが彼らの前で歌うことになるのだろうか?
カラオケなら良いのだ。
あれは非日常空間だから。
知っている人たちの前とはいえ、普通の部屋の中で一人だけで歌うのって、結構、恥ずかしいんですよ?
「喉は大丈夫か?」
「そう思うなら解放して」
「大丈夫だ。治癒魔法なら任せておけ」
気遣うように見せて、実は逃げ口上を防ぎ追い詰めていく姿勢。
流石に有能な護衛である。
能力の使いどころがちょっと違う気がするけどね!
なんで、主人を護ってくれないんですかね?
「歌うのは好きだろ?」
「好きだけど、見世物になるのは嫌」
わたしが九十九を見ながらそう言うと、彼は何故か胸を押さえた。
「どうしたの?」
「いや、今のお前ならあの紅い髪でも殺せる気がしただけだ」
「なんで、そんな物騒な話になるの?」
訳が分からない。
頼むから、もっとちゃんと説明してください。
わたしの護衛たちはいつだって説明が足りない!
しかも、わざとそうしている気がするから余計に腹立たしい。
「伴奏はいるかい?」
さらに退路を塞ごうとするもう一人の護衛。
「アコースティックギターだけじゃなく、実はリードオルガンもあるよ?」
そ、それはちょっと見てみたいと素直に思ってしまった。
リードオルガンって、確か足踏みオルガンのことだ。
ピアノのような音とは違うけれど、あの白と黒の鍵盤がずらりと並んでいるのはちょっと見たい。
大聖堂にある「大型木管風琴」と呼ばれる楽器はパイプオルガンに音は似ていたけど、見た目からピアノとは全然違ったのだ。
「オルガンって電気で動くんじゃないのか?」
九十九は知らなかったようで雄也さんに確認している。
まあ、彼は楽器に興味がない人だったからね。
「リードオルガンは電子オルガンとは違って、足踏み式のふいごを風力源としている。仕組みとしてはパイプオルガンに似ているな。日本ではリードオルガンと呼ばれていたが、欧州では確かハーモニウムと言っていたはずだ」
雄也さんは何気に楽器が好きなようだ。
いや、単純に博識なだけかな?
わたしはリードオルガンに電気が要らないのは知っていたけど、足踏み式部分がふいごになっているところまでは知らなかった。
「なんで、そんなものを個人所有しているんだよ!?」
「アンティークショップで手頃な価格だったからかな?」
水尾先輩の言葉に雄也さんがさらりと答える。
でも、雄也さん視点のお手頃価格っておいくらぐらいでしょうか?
「それに先輩ならピアノだって手に入ったんじゃねえのか?」
「ピアノというものは繊細でね。素人では動かすことも難しい。それが二台となると、かなりの高額だ」
「二台?」
……ということは既に一台持っているってことじゃないのでしょうか?
「セントポーリア城の一室に、千歳さん専用のグランドピアノというものがあるらしい」
「……グランドですか?」
わたしの疑問に九十九が答えてくれたが、思わず敬語で聞き返してしまう。
「オレは見てないけど、頭に『グランド』と付いていた気がするぞ。しかも、新品」
アップライトピアノでもなく、それも新品とか……。
それって、確実にお安くても100万越えではないですか?
しかも雄也さんが、母のために用意したものってことだよね?
確かな品質の、それも安物は選ばない気がする。
わたしの母は、当時十代の青年になんてものを貢がせているんだ?
そして、そんなものが準備されていると知って入れば、我が家にあった電子ピアノなど要らないね。
躊躇なく処分できたことだろう。
でも、どんなに良いピアノでも母の腕が多分、釣り合ってないと思う。
確かに練習していたことは知っているけど、母はピアニストのようなピアノの専門職ではないのだ。
保育士という職業的に、趣味の範囲より少しはマシ……程度だったと認識している。
そして、更なる疑問として定期的な調律とかどうしているんだろう?
楽器のないこの世界で、ピアノ専門の調律師なんていないよね?
「も、勿体ない……」
わたしはそう結論付けるしかない。
そんなお高いピアノを母のために購入しちゃうなんて……。
「お前たち母娘に貢ぐのが兄貴の趣味だからな。換算したことはないけれど、日本円で、既に億単位には到達してるんじゃねえか?」
「無駄使いがすぎる」
もっとお金大事に!!
ああ、でも、今いる建物などを含めた生活費とかを考えれば、かなりの金額を母だけでなくこのわたしにもかけられている気がする。
カルセオラリア城下で似たような品物を見た時、目が飛び出るほど驚いた覚えがあるから。
「その弟である九十九も同類じゃないのか?」
「いや、オレはこの母娘以外にもちゃんと金をかけてますよ。兄貴と一緒にしないでください」
水尾先輩の言葉に九十九は反論する。
九十九がわたしたち以外にお金をかける部分。
それは……。
「料理か?」
うん。
わたしもそれ以外に考えられなかった。
「主に料理ですね」
ここにも無駄遣いの王さまがいました。
いや、文字通り自分の糧としているから無駄ではないのかもしれないのかな?
「命を救われた金額にしては安すぎるくらいだと思うよ」
雄也さんも特に気にした様子もなくけろりと言う。
確かに命はお金に変えられないけれど、それでも、彼らの献身は行き過ぎている気がする。
だが、そんなわたしの考えは甘いと言わざるを得なかった。
「あの方の生涯を、この世界に縛り付けさせていただく対価としてもね」
その言葉に、思わず喉がゴクリと音を立ててしまう。
確かに母は、自分の親族や昔の友人、知人たちと縁を切ったとまではいかないまでも、それに近い状態となっている。
あの世界には戻れなくもないみたいだけれど、再び、この世界に来て、それなりの地位を築いてしまった今、それをあの国王陛下が許してくれるとは思えない。
母は、自分の生まれ育った世界と引き替えに、自分の一生をあの国王陛下に捧げると決めたに等しいのだ。
「敵に回したくないな」
そして、そんな水尾先輩の言葉はそのままわたしの言葉でもある。
この人を敵に回せば、恐ろしい未来が待っている気がするのだ。
「奇遇だね。俺も貴女に対してそう思っているよ」
雄也さんが悠然と微笑む。
そちらも同意だ。
水尾先輩も敵にしたくない。
『シオリ~、まだ歌わないのか~?』
そんなスヴィエートさんからの声。
『アタシはお前の歌を早く聴きたい』
そんな率直な言葉にわたしは癒される。
「雄也さん、伴奏は無しで」
今は、もたもた準備をしているより、早く歌いたくなった。
多分、それが自分のためにも良い。
「了解」
雄也さんも笑って答える。
「ああ、でも、『口風琴』や、『手風琴』もあるから、いつでも言ってね」
一体、何種類の楽器があるんだろう?
「なんで、そんなに楽器があるんだよ!?」
同じことを思ったのか、水尾先輩が突っ込んだ。
「キミの姉君も集めていただろう? この世界で使える楽器を」
「何故、それを……」
「この前、聞いたからね。この世界でも音楽を楽しみたいのは一緒だよ」
そう言えば、恭哉兄ちゃんも楽器を持っていた。
その経緯を聞いた限りでは、多分、楓夜兄ちゃんも持っていると思っている。
ワカなんか、その立場を利用して、リコーダーを作らせているぐらいだ。
それだけ、この世界には音楽という娯楽が少ないということだろう。
それを思えば、わたしがこの世界に来てこうして歌う羽目になっていることにも、実は、何か意味があるのだろうか?
そんな考えても仕方がないことを、わたしは考えてしまうのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




