報告書を読み合う
「なんだ、これ……?」
それを読んだ時、オレとしてはそう呟くしかなかった。
手には、兄貴からの報告書がある。
シルヴァーレン大陸言語で書かれているコレは、どう見ても、いろいろおかしいと言わざるを得ない。
水尾さんに見せられる範囲の話でコレだ。
一体、どれだけのことをやらかしていたんだ?
「はぁ、なかなかやらかしてんな~」
オレのすぐ横で水尾さんが紙を数枚捲り、溜息を吐きながら零した。
その水尾さんが持っているのは日本語で書かれた栞の薬作成結果だった。
例の歌とそのよく分からない感想の数々である。
オレは先にソレを読ませてもらっていたが、ソレだけでも十分過ぎるほどだったのに、兄貴の報告書には、それに加えて、この島の精霊族たちの処遇と現状まで書かれている。
思った以上に、栞の「祖神変化」の影響が凄い。
そして、彼女が自分自身のことを「化け物」だと思い込みたくなった理由も分かる気がした。
自分が知らない間にここまで容赦なく叩き伏せていれば、戸惑いもするだろう。
今、オレたちはそれぞれが書いた記録を読み合っている。
書かれている内容的に、オレと兄貴の報告書が主になるのは仕方ないが、オレが行くまでの水尾さんに何があったのか、そして、栞の薬の作成中に何が起きたのかを知る上では、二人の文章も大事だったのだ。
先にルールを決めた。
皆が読み終わるまではそれぞれが文章に集中するために質問は厳禁。
オレが冒頭で零した言葉は、返事を期待していないただの独り言なので判定はセーフだ。
尤も、両端に座っている二人には届くこともなかったようだけど。
集中力がすげえ。
目の前の文章しか目に入っていないのだろう。
兄貴の手にはフレイミアム大陸言語で書かれた水尾さんの文章。
栞が紙を渡したらしく、簡潔に、起きたことを書いていたらしい。
先に読ませてもらったが、綺麗な文字だった。
よくあの形の言語を乱さずかけるものだと感心する。
栞の手にあるのはオレからの報告書だ。
一応、栞にとって母国語でもあるシルヴァーレン大陸言語で書かれているために、彼女でも読めなくはないだろう。
最初に学んだ言語だしな。
その栞は、眉間に皴を寄せたり、眉を顰めたり、顔を蒼褪めさせている。
最近、表情を隠すのが驚くほど上手くなったと思っていたが、文章を読む時は以前のように表情豊かで可愛いままだった。
もともとオレたちは報告書をシルヴァーレン大陸言語で書かれた概要版と日本語で書かれた詳細版など、二種類以上の言語で書くようにしているのだ。
そして、概要版の方は、他者に見られても困らない程度の報告しか記録していない。
そんなヘマをする気はないが、万一、誰かの手にそれらの報告書が亘ったとしても日本語で書いた詳細版と、シルヴァーレン大陸言語で書いた概要版の二種類があるだけで、アルファベートの羅列である概要版を翻訳と見なすだろう。
そして、比較されても良いように、用紙の上部に書かれた最初の数文は、概要版も詳細版もそこまで差がないようにしている。
事前に翻訳が準備されていれば、わざわざ見慣れない日本語で書かれた記録を訳してまで読もうとは思わないだろう。
そんな面倒なことをするのは、好奇心と猜疑心が強い情報国家のやつらぐらいだ。
オレたちにとって幸いなことに、日本語という言語は熟語を含めた漢字や、慣用句を駆使すれば、アルファベートよりかなり短くまとまってくれる。
しかも、句点の使い方によっては、読みにくくはなるが、一文をかなりの長文にすることもできてしまう。
日本語を知らない人間からすれば、まさか、複雑怪奇な記号にしか見えない日本語の方が詳細などとは思わないだろう。
本当に暗号向けの凄い言語だと思う。
人間界でそれらを覚えるのは大変だったが、身に付けて損はなかった。
幸い、オレは小学校入学前に人間界に行っていた。
だから、義務教育内で、ある程度は教えてもらえたからな。
因みに文字の読めない「綾歌族」の女は、オレの目の前でリヒトと話をしている。
オレたちの邪魔をしないように周囲に聞こえにくいような声で会話をしているため、何を言い合っているのか分からないが、女が時折、笑うから、退屈せず楽しんではいるのだろう。
一通り、読み終わったところで、水尾さんが持っている紙の束と、オレが手にしていた紙の束を交換する。
そして、栞が持っていた紙の束と兄貴が持っている紙は、リヒトたちを経由して交換された。
「これはまた……分厚いな」
そう言いながらも、水尾さんが嬉しそう受け取る。
「兄貴の文章ですから」
「それは、読み応えがあって何よりだ」
あの蔵書量だ。
この人も立派な文字中毒者なのだろう。
考えてみれば、いろいろな場所で書物を必ず購入しているな。
だが……、詳細版はそれ以上の情報量だと知ったら、この人はどう出るだろうか?
「ふぐっ?!」
珍妙な声が斜めから聞こえた。
「英語かと思えば、フレイミアム大陸言語だった……」
そう言えば、栞はまだ勉強中だったな。
「ああ、悪い。それが一番、書き慣れていたから。書き直すか?」
「いえ、頑張ります!!」
栞が気合を入れる。
そして、暫くすると、唸り声が聞こえてきた。
先ほどの集中力、どこ行った?
水尾さんが何か言いたげにしているので……。
「栞」
「ふみ?」
「唸るなら、向こう行け。集中できん」
オレは笑顔で指を差す。
「い、いや! 黙る!!」
そう言って、素直に再び紙に向き合うが、今度は先ほど以上に表情がころころと変わっている。
それも、明らかに苦悶に満ちた顔だ。
水尾さんもそれが気になるのか、チラチラと栞を見ているが、気付いていない。
オレは溜息を吐く。
「栞。表情がうるさい」
「ひょ、表情が!?」
顔を真っ赤にして、両頬を押さえる。
その仕草は可愛くて、胸を鷲掴まれるが、今はそんな感情を置いておく。
「ぐぬぬぬ……」
その台詞がいろいろと台無しにしている。
お前はどこのラスボスだ?
「た、高田……、言語を日本語に変えようか?」
水尾さんがそう言って手を差し出そうとするから、オレはその細い手を掴んで制止する。
「水尾さん? 今は甘やかさないでください。栞は、勉強中で、フレイミアム大陸言語も読めなくはないのですから」
本人も微妙に読めているから唸り声をあげるほど悔しいのだ。
少なくとも、その文章がライファス大陸言語や、シルヴァーレン大陸言語、他大陸言語ではないことに気付く程度には覚えている。
ほとんど同じ文字を使っているのに、単語の綴りや文法で断定したのだ。
まあ、水尾さんの出身から想定した可能性もあるのだが。
「分かったから、手を放せ」
「はい。失礼しました」
オレが手を放すと、水尾さんはそのまま素直に引いてくれた。
だが、栞の目線がおかしい。
紙ではなく……、水尾さんを見ている。
「どうした?」
やはり翻訳がいると言うのか?
「いや……、別に?」
微妙に尻上がりになった語尾。
「水尾さんの文章はそこまで長くないから、時間を掛ければ訳出来るだろう?」
水尾さんが書いたのは、ほぼ遭遇した出来事を箇条書きにして客観的に書かれていた。
当人がその時どう感じたかなどの主観的な文章は一切ない。
見事なまでの報告記録だった。
「辞典ください」
栞がオレに向かって手を差し出す。
「フレイミアム大陸言語からウォルダンテ大陸言語訳で良いか?」
「酷い!!」
どちらも栞が勉強中の言語だ。
そして、オレもウォルダンテ大陸言語はまだ不勉強な部分がある。
他大陸より文字数が多く、その形もどこか奇妙なものが多いのだ。
「フレイミアム大陸言語からスカルウォーク大陸言語訳ならどうだ?」
「そ、それならなんとか……」
自信はないがマシらしい。
オレは一冊の本を取り出して、栞に渡す。
「ありがとう」
栞は、輝かんばかりの笑顔で受け取ってくれた。
悪戯心も浄化されそうだ。
さらに……、その開いてあることに気付いたらしい。
少しだけむっとした顔を向けるが……、そのまま、集中していく。
「そのまま溶けそうな顔しているぞ、護衛」
真横から囁く声が聞こえた。
しかし、「蕩ける」ではなく「溶けそう」なのか。
「この室内は暑いですからね。固形物も融解しますよ」
栞の温室効果は今も継続中だ。
暑いため、熱中症予防のためテーブル上には水分が用意されている。
「ここまで暑いと、固い護衛も溶け出すよな」
オレの返しが気に入ったのか、水尾さんが嬉しそうに笑う。
「もう読み終わったんですか?」
恐らく、オレの報告書の次に分厚いものだろう。
だが別に、オレの方が兄貴よりも纏め方が下手ってわけじゃない。
オレの方が、いろいろあって書くことが多すぎたんだ!
……と、誰かに言い訳させてもらう。
「いや、ちょっとだけ休憩。今からまた読むよ」
そう言って、その口に水分を含み、手を拭いた後で、紙に向き合った。
まあ、栞のせいで集中力が切れてしまっただろうからな。
仕方ない。
オレの方は、先に見た栞の薬の作り方だ。
一度読んだ文章を、もう一度読むのに時間はかからない。
尤も、先ほども思ったが、この文章には少しばかり疑問点があるから、後で突っ込ませてもらうことにしよう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




