重なる状況
「ところで、この部屋、かなり暑くないか?」
水尾先輩は、服のボタンを一つ外しながら、周囲を見渡した。
周囲の環境に耐性があっても、暑いものは暑いのだ。
わたしも腕捲りをしている。
先ほどまで九十九に抱き締められている時は気にならなかったけれど、意識すると途端に汗が噴き出てくる気がするのは何故だろう?
「暑いですよ。どこかの『聖女の卵』が調子に乗って、この部屋を温室化させていますから」
九十九くん。
それ、全くぼかす気がないよね?
犯人はわたしって言ってるよね?
「部屋を温室化? なんでまたそんなことを?」
「一定温度を暫く保つと薬になる液体を大量生産するために……らしいですよ」
「それなら、その液体の周囲の温度を変えるだけで良いんじゃないか? 魔法力の無駄だろ?」
水尾先輩の言うことはいちいち尤もだけど、そんな器用なことができないからこうなっているのです。
「一定以上の保温……。因みに九十九ならどうする?」
あ。
それはわたしも気になっていた。
この樹液を一週間保温すれば薬になると言うのは九十九から聞いたことだったはずだ。
彼は、どうやったのだろうか?
「オレは瓶に熱を持たせました」
「なるほど。一番、省エネだな」
……瓶に熱?
「その発想はなかった」
「オレにはお前の発想の方がねえよ」
「いや、わたしじゃなくて、スヴィエートさん案だからね?」
そこは間違えてはいけない。
わたしだけでは無理だった。
「お前の手から離れても、維持されているこの室温がおかしいって話だ」
「そうかな? 一週間ずっと同じ室温を保つエアコンみたいなものでしょう?」
「エアコンだって、温度調整はするからな?」
言われてみれば確かにそうだ。
温かい風がずっと吹き続けているわけではない……はず。
「ああ、でも、ちゃんと温度と湿度の微調整はしたよ?」
「オレが言いたいのはそこじゃない」
「ぬ?」
そうなのか。
「一週間とはまた気の長い話だな」
水尾先輩が、机の小瓶に気付き、その中の一つを手に取って見ている。
「樹液の特性ですから。加工せずに使用することもできますが、薬にした方が、人間には効果的なんですよ」
「人間には?」
「精霊族には加工前の薬の方が効果的だったので」
「ここで治験したのか?」
水尾先輩の懸念はよく分かる。
「いえ、ここに来るずっと前にリヒトで試しています。それは本人の同意のもとですよ」
「まあ、リヒトを出し抜くことはできないからな」
リヒトは心を読めるからね。
「本人の同意以外では?」
「トルクスタンが身をもって」
それは酷い。
それって不同意ってことだよね?
「樹液……、それって、もしかして、以前、あの『ゆめの郷』で、混乱していた高田の意識を落とした時に薬か?」
「ふわっ!?」
水尾先輩がとんでもないことを言いだした。
何?
「ゆめの郷」って混乱することしかなかったから、いつ、使われたのかを覚えていないよ!?
「ああ、よく覚えていますね、水尾さん。確かにあの時、栞に使った薬ですよ」
「ふおっ!?」
しかもそれを肯定された。
え?
どの時?
わたしは「ゆめの郷」で九十九に何回、眠らされたっけ?
「お前、言語能力をどこに置いてきた?」
さらに酷いことを言われた。
いろいろわたしの扱い酷くない?
さっきまであんなに、あんな……に?
一気にいろいろ思い出してしまった。
九十九に抱き締められた上、甘えたお願いをして、さらにそれを水尾先輩に見られていたとか!?
「その薬のために突飛な発想でこの部屋を温めたのは分かった。だが、あの歌はなんだ? このラベルに書かれた言葉と関係があるのか?」
雄也さんが書いた文字は日本語だった。
だから、水尾先輩にも読めるのだ。
「歌の題名と思われる言葉の下に、高田が使いそうな不思議な擬態語が書かれているのは分かるんだが……」
「水尾さん、いくら栞でもそこまで意味不明な言葉は使いませんよ」
それ、フォローじゃないよね?
わたしの護衛は本当に口が悪いです。
「それは例の、『綾歌族』の女の感想……、らしいです」
「……『綾歌族』」
その刹那、水尾先輩の気配が刺すようなものに変わっていく。
彼女は、「綾歌族」によって、連れ去られたことを九十九から聞いたのだろう。
だけど、困ったことにいつもはしっかりと抑えられている体内魔気が分かりやすく乱れていた。
先ほどまでとは違う種類の熱気が部屋に漂い始める。
わたしによって、空気に含まれている魔力が風属性に染まっていたのに、それが火属性の魔力によってあっという間に塗り替えられていった。
どうしよう?
これって、もしかしなくても、魔力の暴走ってやつではないだろうか?
わたしたちがまだ魔界に来たばかりで、セントポーリア城下で生活していた頃と状況が似ている気がした。
水尾先輩はアリッサム城を襲撃してきた人たちから逃げるために魔法を連発し、魔法力が枯渇状態になって迷いの森で倒れていたらしいのだ。
そして、目覚めた時、水尾先輩は魔力を暴走させかけたと聞いている。
あの時のわたしは魔力の封印を解放されていなかったために、その恐ろしさは分からなかった。
ただ、聞いたこともない水尾先輩の叫びを耳にしたために、なんとなく、近付かない方が良いと判断したのだ。
魔力を暴走させかけたというのも、後から九十九や母から聞いただけで、それがどこまでのものかなんて、知らなかった。
でも、今はその恐ろしさが自分の感覚の全てで理解できてしまう。
あの時は、アリッサム城が襲撃され、水尾先輩は命からがら逃げだし、九十九によって保護されたと聞いている。
そして、今回はアリッサム城だった建物に水尾先輩が囚われ、そこから九十九が助け出したらしい。
その際に魔力も封印されていた影響か、体内魔気は激しく乱れ、魔法力が尽きている状態に近い。
あの時と状況が少し似ているからか、思わず身構えてしまった。
いざとなれば、彼女ごと吹っ飛ばすつもりで。
完全に隙を突ければ、わたしでも今の不安定な水尾先輩ぐらいなら……。
そんなどこか物騒なことまで考えていた時だった。
「水尾さん、抑制石はいくつ要りますか?」
何事もないかのように九十九が水尾先輩に声をかける。
「九十九……?」
「抑制石」って確か、リヒトにも使っているやつだよね?
魔力を押さえる魔石だったはずだ。
「魔封石」という魔石とは違うのかな?
「そんな顔しなくても、大丈夫だよ、栞。お前の先輩はそんなに弱くないから」
そして、そうわたしに微笑んでくれた。
「ああ、そうだな、九十九」
そんな彼の言葉にわたしではなく、水尾先輩が落ち着いて答える。
「私はそんなに弱くない」
ぬ?
その言葉に少し違和感があった。
内容ではなく、水尾先輩の口調に。
「ああ、でも、体内魔気は確かに不安定だから、抑制石5個ほど貰えるか? それと、メシ」
「飯って……」
水尾先輩に向かって苦笑しながらもそう答える九十九もどこかいつもと違う気がする。
それもなんとなく?
ほんのり?
どこかちょっとだけ、いつもと違う雰囲気が漂っている。
そこには、信頼とかそういった「目には見えない絆」系の感情が見え隠れしている気がして、ちょっと落ち着かなくなるのは何故だろう?
わたしから離れている時、この二人の間に何かあったのだろうか?
あっても、別に不思議ではないかもしれない。
水尾先輩の危機に九十九は向かったのだ。
自分の命の危機に駆けつけてくれるような異性に対して、単純な女性なら、そこで恋に落ちてもおかしくはないと思う。
漫画や小説の王道展開ってやつだしね。
でも、水尾先輩はそんなに単純な人ではないし、九十九だって、そんなつもりで助けに行ったわけでもない。
「腹、減ってんだよ」
「知ってますよ」
そう言いながら、九十九は食事の支度を始めた。
「もう夕食前の時間帯ですから、軽いものにしますよ」
「頼んだ」
なんだろう?
九十九の水尾先輩に対する態度と、主人であるわたしに対する態度がかなり違う気がする。
この二人を見ていると、九十九って、わたしの扱いがかなり雑だよね?
あれ?
本当に彼の中で主人とは一体……。
「ああ、そうだ。九十九に頼みがあるんだが……」
水尾先輩が机の上に皿を並べている九十九に向かって、さらに声をかける。
「何ですか? 増量はしませんよ」
「残念だが、それは次回に頼む。今回は別件だ」
次回があるのか……。
あるね。
水尾先輩が九十九に対して、食事のリクエストや食事量の増加を願うなんて、割と日常的な話だった。
「なんでしょう?」
九十九は手を止めず、顔だけを水尾先輩に向ける。
手元を見ていなくても、分かるところが凄いよね。
そんな九十九にまっすぐ顔を向けている水尾先輩は……。
「先輩とリヒト、それに、あの『綾歌族』の女もここに呼んでくれ」
何故か、そんなことを口にしたのだった。
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