お膳立てを整える
祝・1400話!
「さあ、歌え」
珍しく尊大に言う九十九に対して……。
「なんでやねん」
思わず関西弁で返してしまう。
「お前、兄貴の前では薬を混ぜながら歌ったんだろ?」
「あれは、雄也さんが伴奏してくれたから仕方なく……」
「伴奏……」
九十九の問いかけに対して、わたしがそう答えると、数多の楽器を文字通り破壊してきたという青年は、どこか気まずそうに視線を逸らす。
わたしたちが阿呆なやり取りをしている間に、雄也さんは既に場を外していた。
流石にいろいろと見ていられなかったのだろう。
あるいは、九十九からの報告書を吟味するためか。
少なくとも、この建物から出ていったことは間違いない。
「そこまで準備されて断ることなんてできると思う?」
「兄貴の圧が凄かったのはよく分かった」
うん。
あの圧は確かに凄かった。
断ることは許さないような笑顔。
いや、わたしに歌を歌わせたかったという事情があるのは分かっているけど、あそこまで圧迫感を覚えるなんて思わなかった。
「お前が知っての通り、オレは楽器が苦手だ」
胸を張りながら、そんなことを主張される。
「前よりマシになったでしょう?」
少なくとも、わたしが見ている限り、リコーダーは破裂しなくなったし、アコースティックギターの弦も切れることはなくなった。
恭哉兄ちゃんの助言のおかげでかなりマシになったと思うのだけど……。
「兄貴みたいに弾きながら、楽器に気を遣いながら、さらに、薬の変化を見つつ、お前の歌を聴くなんて高等技術がオレにあると思うか?」
「わたしの歌をそこまで重要視しなければなんとかなるのでは?」
反射的にそう答えたものの、それでも、九十九には難しそうだとは思ってしまった。
楽器に気を遣いながら演奏するという時点で、彼にとっては相当大変らしい。
そして、そんな彼が一番、見たいのは薬の変化だと思う。
それを考えれば、ちょっと難しいかな?
勿論、伴奏がなくてもわたしは歌えるけど、改まって見られながらの独唱というのはやはり気恥ずかしい。
わたしが迷っていると……。
「分かった」
「ふみ?」
考え事をしていたせいか、なんか、いつも以上に変な声が出た。
「オレも歌う」
「……なるほど」
そこが妥協点のようだ。
歌なら九十九も問題ない。
寧ろ、わたしより上手いぐらいだ。
そして、指揮がなくても、二人ぐらいなら、お互いに調子や音程を合わせることぐらいはできると思う。
実際、港町で合唱曲を二人で歌っている時にも音ズレなどの違和感はなく、どちらかといえば歌いやすかった。
「どんな歌にする? やっぱり、邦楽?」
邦楽だと、フルは自信がなくなるから、歌詞カードが欲しくなるけど。
「いや、この記録にある歌が良い」
「ほ?」
つまり、童謡ばかりなわけですが、九十九はそれで良いのだろうか?
合唱曲もあるけど、基本的に一人で歌うようなものが多い。
まあ、一般的な男声と女声では、普通に歌ったとしても1オクターブほどの差が出てしまうけど。
わたしは、女声最高音域に近い女声中間音域だし、九十九は明らかに男声最低音域だ。
普通に歌ってもちゃんと分かれるだろう。
「このラベルに書かれているのと同じ歌じゃなければ、比較ができないだろ?」
九十九は机に並べられている小瓶を手に取る。
「なるほど。でも、どうやってその結果を比較するの?」
薬の変化を確認できるスヴィエートさんは今、リヒトの所にいるはずだ。
呼び出すのはちょっと申し訳ない。
「ここにある樹液は全て、透明になってる。まだ変質してないのが、このラベル無しの小瓶で間違いないな?」
「うん。雄也さんが全て記録と照らし合わせてシールを貼ったはずだよ」
但し、「聖歌」を歌った時に混ぜた瓶だけは、わたしが書いた報告書とともにちゃんと別に避けていた。
「時間は約5分だな?」
「雄也さんはそう言っていたね」
九十九はわたしが書いた記録だけでなく、雄也さんが書き足したと思われる記録まで既に目を通しているらしい。
彼らは本当に読むのが早いと思う。
わたしもこれまでに結構、読書してきたから自分でも読む速度って早いと思っていたけれど、彼らには到底勝てる気がしない。
「いくつか歌いながら混ぜて、変質したと思われる時間帯を過ぎたら、小瓶を外に出してみる」
「外に?」
何故にそんなことをするのだろうか?
「普通に外に出せば、まだ薬になっていないのだから、透明化がなくなり、また樹液と同じ色に戻るはずだ。もし、本当に薬へと変質しているならば、透明のままだと思う」
このサトウカエデに似た木から採り出した樹液は一定温度で無色透明になった後、冷えるとまた元の色に戻るという性質がある。
それを利用して確認しようというのか!!
「なるほど! 九十九、頭、良い!!」
「これぐらい、誰でも考えつくことだと思うが?」
「そう? わたし、考えつかなかったよ?」
「素材の性質の理解が足りてないだけだろ」
そう言いながらそっぽを向くが、九十九の顔や耳はやや紅くなっていることは誤魔化せていない。
いつもはわたしが照れてばかりなので、ちょっとだけ嬉しい。
「後、個人的に、『聖歌』の変化も見てみたい。なんか童謡より凄い変化がありそうだよな?」
何も知らない青年は純粋な好奇心から言葉を発する。
「残念ながら『聖歌』を歌うことは、大神官さまから直々に禁止令が出ております」
「そうだったな」
歌っちゃったけれど。
そして、改めて、雄也さんからも禁止令が出たけれど。
それでも、九十九にまでそれが伝わることがなくて、ホッとした。
「まあ、『聖歌』は諦めるか。変な現象が起きても困るからな」
「そうだね」
なんとか誤魔化しきれたようだ。
心の準備もしていたために思ったよりも動揺はしていないと思う。
「じゃあ、何を歌う?」
「九十九が気になる歌で」
そのラベルが貼られている歌ならわたしは歌えるから、何でも良いのだ。
「それなら、このやたら回数が多く歌われている『ゆりかごのうた』だな」
「おおう」
わたしがスヴィエートさんを眠らせてしまった可能性が高い歌を迷いもなくチョイスするとは……。
「だが、歌詞に少しばかり自信がない。どんな歌だったか教えてくれるか?」
「分かった。紙に書こうか?」
「いや、先に歌ってくれ。難しくなければ一回で覚えれるだろ」
九十九はそう言うが……。
「それって、一緒に歌う意味ある? それに、童謡って、似たような歌詞が並ぶから、混ざりそうなのだけど?」
「オレはお前の歌が聴きたい。ダメか?」
「ふおっ!?」
この自分の声の魅力を熟知しているとしか思えない美声の持ち主は、ここぞという時に甘く低い声を出して、わたしに頼み事をする。
これって、絶対に分かっていてやってるよね?
わたしが九十九のこんな声に弱いことを。
ああ、もう!!
「分かった。でも、一回で覚えてね?」
「努力はする」
なんだ、その「前向きに検討する」みたいな言葉は?
もしくは、「善処する」?
「オレ、そこまで頭が良くないからな」
嘘を吐くな。
九十九の頭は絶対、わたしよりもずっと良い。
「で? 歌ってくれる気はあるのか? 歌姫殿?」
「九十九までそんなことを言うのは止めてよ」
雄也さんならそこまで気にならないのに、九十九がわたしのことを「歌姫」と呼ぶのは完全に皮肉としか受け止められない。
「褒めてるんだけどな」
その言葉に嘘はないと分かっているのだけど、港町のあれやこれも思い出してしまうというのもある。
そう言えば、あの時も人前で九十九に張り付くと言う恥ずかしい真似を晒していた。
でも、それが雄也さんに対してもできるかと言われたら、難しいとは思う。
しなければいけない場面ならば、勿論、頑張ろうとは思うけど、九十九相手みたいに自然にできる気はしない。
この違いはなんだろうね?
「そんなことを言わなくても、ちゃんと歌うよ」
わたしはラベル無しの小瓶を一つ、自分の目の前に置いて、掻き混ぜるための棒を両手でぐっと握りしめる。
掻き混ぜて歌い始めたら、多分、わたしは周囲が気にならなくなるだろう。
雄也さんの時もそうだった。
伴奏は聞こえるけど、観察されるような鋭い視線も全く気にならなくなったのだ。
だから、今回も大丈夫だ。
わたしは覚悟を決めて、小瓶の蓋を開け、大きく息を吸い込んで、九十九の前で歌い始めたのだった。
気付けばもう1400話です。
勢いのまま書いている話ですが、ここまで、長く続けられているのは、ブックマーク登録、評価、感想、誤字報告をくださった方々と、これだけの長い話をお読みくださっている方々のおかげです。
心から感謝しております。
まだまだこの話は続きますので、最後までお付き合いいただければと思います。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!




