慣れているけど慣れていない
「俺は日暮れまでと言ったはずだが?」
「分かってるよ」
「ごめんなさい」
雄也さんの言葉に、わたしは謝るしかない。
九十九は悪びれる様子もなく、謝る気もないようだけど。
「栞ちゃん、九十九に悪さをされなかった?」
「ばっ!?」
「悪さ?」
どこか楽し気な雄也さんの言葉に、わたしは首を傾げる。
すぐ横で、九十九が慌てたような声を出した気がするのは気のせいか?
でも、彼は少し水尾先輩を助けに行った時の話をしてくれた上で、ショックを受けたわたしを落ち着かせてくれたのだ。
そんな九十九より、彼の胸部に激しい頭突きのようなものをかましてしまったわたしの方が悪さをしたと言えなくもない。
九十九は「大丈夫だ」と言ってくれたけど、彼の胸部には衝撃を吸収するようなクッションがない。
まあ、固くて頑丈だと思うけど、わたしの頭だってそれなりに固いのだ。
比喩的な話ではなく、物理的な意味で。
「日が落ちるまで浜にいたみたいだけど、寒くなかった?」
「特に寒さはなかったですよ」
ちゃんと建物から出た後に、九十九が上着を出してくれているし、何より、彼は温かいのだ。
筋肉ってなんとなく冷たいイメージがあったのだけど、実はかなり熱いことをわたしは九十九の身体で知っている。
……ぬ?
この表現はちょっとえっちくさいかな?
「この暑い部屋から出た直後だったから気になってね」
雄也さんはそう言って笑った。
まあ、確かに出た直後は少し冷えた気がしなくもない。
「これが、例の温室か……。確かに暑いな」
九十九が建物の中に入って確認する。
雄也さんは部屋の温度を下げなかったようだ。
確かに、一週間温度を保ち続ける必要があるのだから、薬はまだ出来上がっているとは言えない。
でも、この中でずっと書類仕事をし続けるのはかなり、暑かったと思う。
見たところ、汗もかいていないようだけど。
ちょっと申し訳ないね。
「兄貴、栞が作っている薬ってやつを見ても良いか?」
「はうっ!?」
その言葉に思わずびくっとなってしまった。
いや、九十九なら、確かにそれを思うのは当然だね。
薬師志望ですものね。
でも、わたしのやらかしがバレてしまう。
「……なんだ? 今の反応」
いや、わたしの反応だけでバレバレのような気がする。
「何をやらかした?」
「な、ナニモヤラカシテマセンヨ?」
ああ、駄目だ!!
誤魔化し方が自分でも嘘くさい!!
九十九の目が細められ、どこか妖艶な笑みを見せる。
「兄貴、この光り輝く女は一体、何をしでかした?」
いつもは言わないような九十九の言葉に痛烈な皮肉を感じる。
しかも、雄也さんに確認する辺り、ズルい!!
「そこの光り輝く我らが主人は面白いことをしてくれたよ」
そう言いながら、雄也さんが笑顔のまま、九十九に白い紙を手渡す。
「報告書? それにしては兄貴の字じゃ……」
どこか見覚えのあるアレは、間違いなくわたしが書いたヤツだ。
しまった!?
雄也さんに口止めを忘れていた。
思わず、九十九の手からそれを奪おうとして、ひらりと身を躱される。
彼とわたしの身長差は今や30センチ近くある。
座っている時はそこまで感じないが、立っていると嫌でもその差がよく分かる。
悔しいが、本当に大人と子供だ。
そして、そんな彼が片手に持った物を上に上げてしまえば、わたしには成す術もない。
九十九の服を引っ張りつつ、懸命に手を伸ばすが、その手は宙を切るばかりで、全然、届く気がしなかった。
「あうう……」
「なるほど、これは栞が書いたのか」
どこか嬉しそうに九十九が笑った。
「栞ちゃん、栞ちゃん」
横からそれを見ていた雄也さんが声をかける。
「キミのその状態は大変、可愛らしいけど、独り身には目の毒だし、九十九を喜ばせるだけだよ?」
「ふへ?」
そう言われて気付く。
相手の服を引っ張りつつ、目いっぱい全身で男性に張り付く女の図。
どう見ても、痴女でしかない。
「ぎゃあああああああああっ!?」
「うっせえっ!!」
思わず、状況を理解して叫ぶわたしに対して、容赦ない護衛のお言葉。
「いや! だって、雄也さんにこんな阿呆なところを見られた!!」
さっきまで九十九に張り付いて砂浜で寝そべっていたし、最近、彼に自分からひっつくことが増えていたから完全以油断していた。
こんな、なんでもない時に、恋人でもない九十九に引っ付いているなんて、主人の立場を利用したセクハラと取られてもおかしくない。
九十九に張り付くのは良いのだ。
もう慣れた。
でも、それを第三者の冷静な視線があるのは話が全く別なのだ。
「お前が阿呆なのは今に始まったことじゃねえだろ?」
「酷い!!」
いつもは必要以上にわたしの気持ちを考えてくれる護衛は、こんな時、本当に遠慮なく無神経な言葉を重ねてくれる。
だから、九十九はなんでいつも平気なの?
わたしは顔から火魔法どころか、炎嵐魔法だって出せそうなほどかなり熱くなってるのに!!
「薬の経過は分かるんだが、この添えられている『歌』ってなんだ? しかも、あの『綾歌族』の女の感想……?」
ああ!?
わたしの混乱の隙に、九十九は読み始めた。
しかも、動けないようにわたしの身体を片手だけで抱き締めて、固定した!?
な、なんてことを……。
「ちょっ!?」
「うるさい。静かに読ませろ」
九十九は集中したいのか、目線はそのままで、どこか感情がこもっていない言葉を零す。
「いやいやいや!! いくら何でも、この状態はおかしいって!!」
しかも雄也さんの前!!
雄也さんの視線がなんとなく生温いものに変わってるし!!
「ぐだぐだ言ってると口を塞ぐぞ!!」
「はうわっ!?」
さらに続けられてのはもっととんでもない言葉だった。
いやいやいやいや!!
この状況でその台詞はかなりマズイ!?
九十九はいつものように、わたしの口を手や布で塞ぐことを考えているのだと思うけれど、近くで見聞きしている雄也さんは多分違う解釈をしてしまう気がする。
どこをどう聞いても誤解しか生まれない。
わたしは力を抜いて、両手を下げる。
「もう、どうにでも……、してください……」
九十九に寄りかかりながら、観念して、そう言うしかない。
このまま下手に抵抗すれば、もっと恥ずかしい思いをする気がしたのだ。
「お前、この状況でそんな言葉を吐くなよ」
「はえ?」
九十九からどこか呆れたような返答があった。
どうやら、意識はこちらにもあったらしい。
完全に書類に集中していたわけではないようだ。
「『綾歌族』の女の感想はちょっと感覚的で分かりにくいが、お前がやったことはよく分かった」
まあ、スヴィエートさんの感想は薬が「かんかんしている」とか「ふむふむした」とかそんな独特の擬音語だったのだ。
人類にはよく分からないのかもしれない。
わたしにも分かるように、なんとかその感覚に近い言葉を探してもらってなんとなくって感じだった。
そして最後は必ず……。
「薬の最後に出てくる『もんわか』って言葉は落ち着いたってことなのか?」
「彼女はそう言っていたよ」
必ずその「この水がもんわかしたぞ」と言って、その後、その小瓶に入っている液体からは何も聞こえなくなると言っていたのだ。
「そうなると、『綾歌族』の女の耳には自然物の声は聞こえて、加工物の声が聞こえないってことか?」
「ほ?」
九十九が変なことを言った。
「食虫樹であるルピエムの木から採取した樹液の時点では、まだ何の加工もされてない自然物、つまりは天然ものだ。だが、薬を一週間温め続けたら、変質して睡眠薬という薬品になる。それは分かるか?」
「う、うん」
九十九の上下に動く喉仏を間近で見ながらもわたしは返事をする。
「この記録を見る限り、透明になっただけでは樹液の声が聞こえている。つまり、ある意味では変化が完了していないのかもしれない」
「なるほど、だから、温めるのをやめると、透明な液体から元に戻っちゃうんだね」
樹液がまだ薬になり切ってないから。
「そう考えると、栞が作った薬は一週間経たずに変化が完了した可能性があるな」
「ほ!?」
それって、かなりの時間短縮の効果があるってこと?
「このデータだけじゃ心もとないな」
九十九は少し考えて……。
「実験するか」
薬師志望の青年はこの上なく、良い笑顔でわたしにそう言ったのだった。
次話で1400話らしいです。
早いものですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




