今、自分ができること
「それで、水尾先輩がアリッサム城に囚われていたってどういうこと?」
確かにまずはそこから説明する必要があるだろう。
「アリッサム城は、恐らく、ミラージュに奪われていた。水路を含めた都市の方は分からないが、城だけが、この上空にあったんだ」
あの場所で浮かんでいたのは城だけだった。
四方には城壁塔。
中央には主塔。
その全てが鐘塔だった。
そして、それが大規模な建物に備え付けられているのは、この世界ではそう多くないと記憶している。
「それって、どんな規模の魔法なの?」
「分からん」
そんなこと、オレが聞きたいぐらいだ。
魔法に詳しい水尾さんも心当たりがなかったようだが、あの兄貴なら分かるかもしれない。
兄貴は魔法だけではなく、他国の歴史や伝承も勉強している。
オレも勉強しなければと思ってはいるのだが、他に覚えることが多くてそちらまで手と頭が回っていない状態なのだ。
だが、仕方ない。
優先順位はどうしたってできるものだから。
「だが、それができれば、見つかりにくいのも分かるだろ?」
「そうだね」
この世界は人間界と違って、上空に網を張っていない。
その隙を突いた出来事だと言える。
そう考えれば、情報国家も上空に網を張っていないということになるのか。
オレだって、人間界の人工衛星や、宇宙研究施設の存在、宇宙居住地という構想などを知らなければ、そんなことも思い至りもしなかったことだろう。
空は魔鳥の領域だ。
だから、大地と共に生きる人間が必要以上に立ち入ってはならないという場所という魔界人の常識も邪魔をしている。
「水尾先輩が連れて行かれたのって、その城の城主としてってことなの?」
その発想はなかった。
確かに偶然とはいえ、その可能性もあったわけか。
実際、水尾さんはアリッサム城のことを知っていた。
通路の照明についてもそうだし、自室にあった扉の鍵に付いても覚えていたのだ。
だが、あの紅い髪はどうやって入ったんだ?
扉には鍵が、それなら、窓から入るだけか。
オレなら、そうする。
侵入した後に、窓を元に戻せば、証拠隠滅も可能だからな。
「いや、それ以外にも囚われた人間たちがいたようだから、一時的に連れてきただけみたいだった」
本当に偶然だった……、はずだ……。
「それ以外の人間って、他にもいたってこと?」
「ああ。だが、悪いがその話は後でさせてくれ」
あの話は少ししにくい。
数が多過ぎてオレ一人の手では助け出せなかったとはいえ、その全てに手を差し伸べることもせず、あの場所に置いてきた。
勿論、救い出すつもりはあるのだけど、自分だけの判断でそれをして良いのかも迷ってしまったのだ。
そして、そのことは彼女から、強く責められる気がする。
正義感が強い女だから。
「オレがその空に浮いた城を目視できる場所まで飛んだ時、最初にオレに向かって突っ込んできたのが、灰色の羽の『綾歌族』だった」
それは、目にも止まらぬ速さだった。
最初の奇襲は、反射で避けることができたようなものだ。
あるいは……「聖女の守護」による効果か。
「『綾歌族』って皆、灰色の羽?」
「いや、本当かは分からんが、生まれた大陸で羽の色が分かれると聞いている。それだけ様々な色の羽があるのだろう」
「精霊族」に関してはよく分かっていない部分が多い。
だから、生まれた大陸で色が分かれるというのもどこまで本当かは分からないのだ。
「それなら、同じ人かも。わたしの前に現れた『綾歌族』も、灰色だったから」
「それなら、話が早くて助かるな」
大丈夫だ。
栞を怖がらせ、さらに怪我までさせたのは、間違いなく、オレが羽を毟ってやったあの「綾歌族」だよ。
「それに、あんなの何度も相手したくはねえ」
「強かった?」
「メチャクチャ強かった」
かっこ悪いが、それは事実だ。
認めるしかない。
空中戦なら、あの紅い髪にも勝る気がする。
「空中戦に慣れているし、何よりも飛翔速度が半端なかった」
オレが空中戦に不慣れということもあった。
飛翔魔法を維持しながら、空を飛ぶ精霊族を相手にすることが、あそこまで面倒だとは思っていなかったというのもある。
いや、普通の人間は真っ当に生きていれば、精霊族と戦うこともないだろうが、幸いにして、オレはそれを想定していた。
他ならぬこの「聖女の卵」のために。
「お前の『守護』がなければ、オレはもっと苦戦していただろうな」
それが正直なところだ。
アレのおかげで、オレはかなり助かったと言える。
「わたしの、『守護』?」
彼女自身は何故かきょとんとした。
「あ~、お前が『精霊の祝福』を真似たやつだな。聖女の祈りを形にして、他者の強化することを『聖女の守護』と言うらしい」
正式な手順については大神官からちゃんと学んだ方が良いだろう。
あの紅い髪でも知っていることだ。
あの方ならもっとちゃんとした知識をくださると思う。
いくら他者への強化のためとはいえ、兄貴を始め、他の男にもキスされるのは、オレが我慢できる気がしない。
こればかりは兄貴でも譲れる気がしなかった。
「そ、それは、誰から聞いたの?」
「あの紅い髪だ」
「……ライトか」
栞は複雑そうな顔ではあるが納得した。
そこでそいつの名が出ることに何の疑問も持っていないらしい。
アイツがオレにそんな話をしていることにも。
「『綾歌族』のそいつを制圧した上で、羽を毟らせてもらった」
「え? 丸裸にしたの?」
丸裸って、オレは痴漢か!?
野郎の服を剥く趣味はねえ。
「その表現はどうかと思うが、流石に全ては毟ってねえよ。飛ぶ能力を失くす程度に毟っただけだし、それらも眠らせた後で治癒魔法を使えば、あっさり生えてくる程度だった」
「再生可能なのか」
あれにはオレも驚いた。
傷を癒すだけのつもりだったが、柔らかい産毛が生えてきたかと思うと、次々に新しい羽に生え代わっていったのだ。
一斉に何事もなく生えそろう様は確かに凄かったが、少しだけ気持ちも悪かったと思ったのはここだけの話だ。
「オレが使ったのが古代魔法だからかもな」
「なるほど」
まさか、精霊族にも効果があるとは思っていなかったが……。
「それなら、あの眠っている精霊族たちも癒せる?」
オレの主人は相変わらず甘いことを言う。
主人を心の底から怖がらせ、傷つけ、流血させられたことに対して、オレが何とも思っていないと思うのか?
そして、同じく兄貴の怒りも凄まじいものがあるだろう。
だが、彼女の口ぶりではまだ生かされているらしい。
「お前を怖がらせたのだから、いっそ、オレはトドメを刺したいぐらいなんだが?」
「精霊族を殺せば、『神呪』を受けるよ?」
栞は「聖女の卵」らしいことを口にする。
彼女が言う「神呪」とは、人間が精霊族を殺せば、その行為が神の怒りに触れ、呪いがかかることがあると言われていることだ。
死んでその魂が「聖霊界」へ向かう人間とは異なり、精霊族の死は、魂が継承されない限り、この世界そのものから喪失してしまうそうだ。
だから、その精霊族を失いたくなければ死なせないようにするしかない。
そのための「神呪」ということになる。
但し、その呪いは可能性の話だ。
大神官に言わせれば、神は執着しない限り、精霊族の死に対してもそこまでの怒りを感じないらしい。
「ここのヤツらはほとんど混ざってるから、『神呪』が働くかは分からんぞ?」
純粋な精霊族ほど神の加護はないと思っている。
「でも、大神官がわざわざ相手にしない方が良いと言うくらいだから、無駄なことはしない方が良くない?」
大神官が言うのは、単純に神の目に留まるような行いを、「聖女」やその護衛たちがするなということだろう。
下手なことをして、また新たな別の神から「ご執心」を宿すのも馬鹿らしい。
「分かってるよ。今更、殺す気もないし、ちゃんとヤツらに報復してきたからな。気は済んだ」
あれだけ羽を毟るような相手に、更なる復讐をしようというほど阿呆なら救えない。
実力の差が分からない愚者なら、今度は素直に封印という分かりやすい手段をとるまでだ。
オレはそのやり方も大神官より学んでいる。
兄貴が動けなかった期間、オレは、「発情期」やその兆候に振り回されていただけじゃなかったのだ。
「それなら良かった」
栞がほっとしたように微笑む。
「兄貴も何か企……考えているっぽいから、ヤツらの処置は任せる。オレは難しいことは考えたくねえ」
何か考えがあるから放置しているんだろう。
難しいことを考えるのは兄貴の仕事だ。
オレがするのは、できることをやる!
これだけのことだ。
だけど、そんなオレを見て、栞は何故かその可愛らしい笑みを深めるのだった。
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