護衛からの報告
「九十九の方はその……、大丈夫だったの?」
栞はそんな可愛らしいことを言ってくれた。
どこまでも心配性な主人は、いつだって、護衛にすぎないオレの身を案じてくれる。
そして、そんな自分の主人が、何をしても、何を言っても、すっげ~可愛いと思えるオレはかなり幸せ者なんだろう。
日がすっかり暮れて、周囲は暗くなってしまった。
それでも、オレには栞の姿も、その表情もよく分かるから、何も問題はない。
兄貴から指定されたのは日暮れまでだったが、あれはオレに対するただの嫌がらせだ。
いくら何でもそんな短い時間の会話がオレが満足できるかよ。
まあ、半日以上、報告も、手伝いもせずに、別の建物に籠っていたんだから、多少の嫌味を含めた嫌がらせは仕方ないとは思っている。
そこにもちゃんと事情があることは分かってくれていたみたいだし、報告書もまとめていたのだから文句は言わせない。
「ああ、お前のおかげで、オレは怪我一つなかった」
本当に、あの時、出発前に栞から「聖女の守護」をしてもらったおかげで、だいぶ楽に片付いた。
その後が、少しばかり面倒ではあったが、それも許容範囲のことだ。
あの男に後れをとることがなかったことの方が、オレにとってはずっと大事だった。
「本当にありがとな」
オレを心配してくれるその心も有難かったし、何より、栞があそこまでしてくれたことが本当に嬉しかったのだ。
いや、だって、口付けだぞ?
キスだぞ?
なんとも思っていない相手になんかできないよな?
それが、自分を護ってくれる護衛に対する感謝とか、義務とか、心配とかそういったものから来る感情でも、今のオレには十分すぎるほどありがたかった。
確かに、あの「ゆめの郷」で同じ布団での共寝を許されても、あれは半分、上からの命令だった。
オレたちの意思ではなく、状況的にやむを得ない部分が強かったのだ。
だけど、今回は違う。
誰からも指図されてない。
純粋な栞の意思だった。
「九十九が無事で本当に良かった」
さらにそんな可愛らしいことを言われた。
抱きしめて良いか?
この主人。
いや、駄目なのは分かっているんだ。
それでも、ずっと彼女を見ていると、どうしてもそうしたくてたまらなくなるので、なんとか微妙に視線を逸らしつつ、その想いを封じ込めて、ぐっと我慢する。
「水尾さんのことは聞かないのか?」
最初にそれを聞かれると思っていた。
だが、彼女の口から出てくるのはオレを心配する言葉ばかりだ。
それも不自然なほどに。
「九十九はちゃんと教えてくれるつもりなのでしょう? わたしはそれを待つよ」
オレが言いにくいことを察してくれていたのか。
だが、栞は俯き、拳を握りしめた。
「本当はすっごく気になってるんだけどね」
まあ、そうだろう。
彼女の性格上、気にならないはずがない。
それでも、オレの言葉を待とうとしてくれたことは素直に嬉しかった。
「あまり良い話じゃないけど聞く気はあるか?」
オレは一息吐きながらそう口にする。
あの場で起きたことは、女の方が、嫌悪感も先立つ気がする。
男のオレだって胸糞悪かったんだ。
だが、ミラージュだけでなく、神官が関わっている可能性がある以上、主人に話さないわけにはいかない。
彼女は「聖女の卵」だ。
明日の我が身となる可能性も否定できない。
「良い話じゃないんだね」
そう言いながらも顔を上げ、オレに強い瞳を向ける。
「水尾さんにとっては悪い話ばかりではなかったみたいだが、良い話ばかりでもなかった」
少なくとも、自分が住んでいた場所の現状を知り、諦めていた蔵書も持ち帰れた。
あんな城の現状を知りたくはなかっただろうが、それでも何も分からないままであるよりはマシだと思うしかない。
「悪い話ばかりでもないのか」
「ただいろいろありすぎて、何から話せば良いのかが分からない」
それほどいろいろとあったのだ。
重要なことだけを伝えるにしても、その経緯ぐらいは知らせたい気もする。
「時系列順に話せば良いだけでは?」
「水尾さんから聞いた話と混ぜると、時系列順も難しいんだよ」
記録にはまとめたものの、兄貴に報告しきれなかった部分がある。
そして、そこが一番、栞に頼みたい部分ではあるのだ。
「それなら、雄也さんに渡した記録のように話せば?」
簡単に言ってくれる。
それができれば苦労はないのだ。
「兄貴に報告していない部分が重要なんだよ」
「ほ?」
栞が不思議そうに首を傾げた。
「そんなのがあるの?」
「詳細の方で報告するつもりだ。だが、まずはお前の意見を聞きたかった」
「わたしの?」
さらに首を傾げられた。
恐らく、彼女も予想できないのだろう。
オレも、それを話した後、彼女がどんな反応をするのかが全く分からなくて、それが怖かった。
「今回、水尾さんを連れ去ったのは、『綾歌族』と呼ばれる精霊族の手によって行われたことは、もう知っているな?」
「まあ、対面したからね」
栞はそれを思い出すように目を閉じて顔を上に向ける。
「じゃあ、お前はそいつの飼い主の見当はついているか?」
オレはわざと「飼い主」という言葉を使ってみた。
それに気付いたのか、栞は先ほどよりももっと真剣に思案する。
この横顔も良いな。
強く真剣な眼差しではあるが、やはり、「可愛い」が先に来る。
「九十九が『飼い主』って言葉を使うなら……、ミラージュのライト辺り……、かな?」
「半分正解だ」
「ぬ?」
少しだけ不服そうな顔をされた。
こんな顔も可愛くて良いな。
それでも、完全に一致していない以上、半分としか言いようがない。
まあ、完全に当たるとも思っていなかったのだが。
「あの精霊族は、ミラージュの王族に飼われているらしい」
「ミラージュの……、王族?」
正しくは、あの紅い髪と国王と呼ばれる男らしい。
ミラは違うようだ。
つまり、王族の男だということだろう。
ぶっ飛ばした番人っぽい男の中の一人が、あの「鳥」について、そんな感じのことを叫んでいた。
思いっきり「役立たず」と罵りながら。
あの「綾歌族」が番人の中では一番手強かったんだがな。
「オレと相対した『鳥』とお前と会った『綾歌族』が同一人物ならな」
「『鳥』って……」
栞が露骨に顔を歪める。
そう言う言い方は好きじゃないようだ。
あの紅い髪を「紅いネズミ」と言っていた時はそこまで妙な顔をしていなかったのに、変なヤツだ。
「でも、あの時、わたしが見た『綾歌族』は、声はともかく、周囲がここよりもずっと暗かったから顔とかはあまり見えなかったから、特徴を言われても分からないよ?」
栞は、口元に軽く手を当てて俯きがちに考える。
確かに栞に怪我をさせた「綾歌族」がアイツとは限らないが、オレはアイツだと確信していた。
毟った羽に栞の気配があったのだ。
彼女は水尾さんに通信珠を渡すために「綾歌族」に体当たりをしたと言っていたから、その時に体内魔気の移り香があったのだろう。
その気配を取り返したくて、少しばかり毟り過ぎた感はある。
いや、結構広範囲に根深く気配があったからつい……。
まるで、あの羽に栞が包み込まれたみたいで嫌だったのだ。
「だけど、問題はそこじゃないよね?」
栞は顔を上げる。
「それってつまり、水尾先輩はミラージュの関係者に連れ去られたってことでおっけ~?」
「間違ってはいないはずなのに、お前にかかると途端に問題が軽くなったように感じるのは何故だろうか?」
恐らくは表情と言葉があっていないのだろう。
表情は真剣そのものだが、どうして、彼女の言葉は時々残念なのか?
「まあ、通じているなら良かった」
ここでグダグダ考えても仕方がないか。
オレはそう思い込むことにした。
「そうなると、九十九はミラージュに乗り込んだの?」
それは当然の質問だろう。
ミラージュの王族と契約している「綾歌族」が、アリッサムの王族である水尾さんを連れ去ったのだ。
ミラージュはアリッサム消滅の原因。
そこに因果関係を感じないはずがない。
「いや、水尾さんは、ミラージュのやつらが管理していた城塞に連れて行かれた」
「ミラージュが管理していた城塞?」
どこまで話すかを考えて、隠さない方が良いとオレは判断した。
「水尾さんに縁がある場所だったよ」
「ふ?」
栞は不思議な声を出した。
彼女は微塵も想像もしていなかったことだろう。
「水尾さんは、アリッサム城に囚われていたんだ」
消えたと思われるアリッサム城が、遥か上空に浮いていたなんて。
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