常識では収まらない女
夕暮れの浜辺。
そんな場所に異性と二人で座って、夕日を見ている。
まるで、デート中の恋人のようだ。
それを意識してしまうと何も言えなくなってしまって、ただ二人で日が暮れていくのを見ているだけとなってしまっている。
オレが誘い出したのだから、オレから話しかけるべきだろう。
だが、それは横にいる栞の表情を曇らせるには十分すぎる話題だった。
だから、何も言い出せず、無駄に時間だけが過ぎていく。
BGMは静かな波の音だけ。
遠い水平線に沈んでいく太陽の光が見える。
最近、こんな風に落ち着いて夕日を見ることもなかったなとぼんやりと思っていた時だった。
「日が暮れる……」
栞が小さな声で呟いた。
「そうだな……」
他に気の利いた言葉も思い浮かばなかった。
いや、少しでも長くこの時間を楽しみたいっていうのはある。
だけど、それ以上に栞が退屈していないか。
それが妙に気にかかってしまった。
「九十九……。あなたからの話の前にちょっとだけ良いかな?」
横にいる栞が、オレの方に顔を向けたことが分かる。
でも、オレの方は彼女に顔を向けられなかった。
オレの主人が可愛すぎて、正視できないのだ。
ほんの少し離れていただけなのに、そんな気持ちが先ほどからずっと溢れ出て止まらない。
これまでどうやって押しとどめていたのか分からなくなるぐらいに。
中学生か!?
いや、中学生でももっと反応、マシじゃねえか!?
「無事に帰ってきてくれて、ありがとう」
「え……?」
阿呆なことを考えている時、栞は小さな声で、オレにお礼を言った。
だが、何故、礼を言われたのかが本気で分からん。
頭を整理した上で、少し考えてもやはり分からなかった。
水尾さんを連れ帰ったことに対する礼なら分かる。
だが、先ほどの言葉はオレが無事で帰ってきたことに対しての礼だった。
どうしてそうなる?
「何の準備も、事前情報もないような見知らぬ所に行くのは九十九でも怖かったでしょう? それなのに、わたしの我儘をきいてくれた上に、水尾先輩を連れて帰ってきてくれた。本当にありがとう」
ああ、そういうことか。
彼女は自分の意思でオレを死地に追いやることになったと考えている。
だけど、そうじゃない。
「お前の我儘じゃない」
「ふ?」
オレの言葉に、いつものように奇妙な単語で返す。
ああ、そんなところも可愛いからこの主人は本当に扱いに困るんだ。
「今回はオレの我儘だ」
「そんなことないよ」
間髪入れずに否定する。
「我が儘だよ。本来、オレが最優先すべきなのは、お前の身を護ることだ。それなのに、自分から離れてしまった。これをオレの我儘と言わず、なんと言うんだ?」
「わたしの我儘」
また即答された。
オレの考えを読んでいるかのように。
「お前な~」
だが、何を言ってもこの主人は退かないだろう。
オレの意思だと分かっていても、自分のせいだと自身を責め続ける。
オレは大きく溜息を吐くと……。
「お前の我儘だったとしても、それを叶えたいと願うのはオレの我儘なんだよ。良いから、主人らしく、黙って護衛に甘えてろ」
そう言って、栞の顔を見た。
夕日に紅く染まっているためか、いつもよりもずっと可愛く見える。
いや、いつだってこの主人は可愛い。
だが、思った通り、正面から見るのは破壊力が凄い。
オレのいろいろな物を遠慮なくぶっ壊しにくる。
それでも、朝方のような激しい衝動がないことに安堵した。
今の自分の彼女への想いは、ちゃんと「可愛い」で止まってくれている。
「お前も、何事もなかったようで良かった」
そう口にするオレの顔は熱を持っている。
今が、夕暮れ時で良かった。
これなら、顔が赤いことも誤魔化せる。
「雄也さんがいて、何かあると思う?」
栞が胸を張ってそう答えた。
だが、その言葉は聞き捨てならない。
オレより、兄貴が信用されている気さえする。
「兄貴がいても何かあったから、今回のことが起きたと思うんだが?」
それが始まりだったことを忘れてねえだろうな?
オレは水尾さんを助けに行っている間も、お前のことがずっと気にかかっていたんだからな?
尤も、あれほど離れていても、「聖女の守護」のおかげで、栞の気配をいつも以上によく掴めた気はしていたのだが。
「大丈夫だった……、よ?」
何故か素直に「大丈夫だったよ」とは言ってくれなかった。
「なんだ? その疑問符」
どう受け止めても大丈夫じゃなかったとしか思えない。
何があった?
体内魔気の激しい乱れはほとんどなかったから、怪我とか、襲撃に遭ったとかそう言った話ではないと思う。
「何かあったな?」
さらに確認すると……。
「な、なんでもないよ?」
分かりやすく目線を逸らされた。
「いや、絶対、何かあった」
だが、オレには知られたくないことだとみた。
それなら、かえって気になるじゃねえか。
「さあ、吐け」
さらに迫ると……。
「吐けと言われても、九十九を待つ間、雄也さんから薬を作る仕事を任されてそれに没頭して作り過ぎちゃったっていうのは、『何かあった』ことになる?」
早口で一気に答えられた。
何かを誤魔化されたのは分かるが、その中に聞き逃せない単語があった。
「薬……? お前が?」
栞が薬を作る仕事を任された?
それも、兄貴から?
作り過ぎたというのは別にそこまで引っかからなかった。
絵を描き始めたら、寝食を忘れて没頭しそうになるほどの彼女の集中力を考えれば、それ自体はおかしな話でもない。
大方、集中して連続で作ってしまったのだろう。
「えっと、あのサトウカエデのような木の樹液を使って睡眠薬を作る作業」
「ああ、あの食虫樹か……」
確かにアレなら失敗しても問題はない。
温めすぎれば消失し、冷やし過ぎれば苦みが強く、ドス黒い塊ができるだけだ。
余計な物を混ぜない限りは、極端な変質はしない。
そして、この主人は料理中の工程を見る限り、あまり余計なことはしない女だ。
オレはそう信じている。
「余計なことをせずに温めるだけにしたか?」
「ちゃんと温まったと思うよ」
なるほど、透明にはなったか。
それなら……。
「今も持っているのか?」
「へ?」
何故か疑問を返された。
「いや、ルピエムを睡眠薬に変質させるには、人肌ぐらいの温度で一週間ほど温めておく必要があるだろ? お前はまだ限られた空間を一定温度に保つような魔法は難しいと思っていたが、違うのか?」
オレがそう言うと、栞は何故か目を丸くした。
「それとも、湯煎を選んだか? 風呂ならなんとかできると思うが……」
あまり勧めたくはない。
いや、栞の入浴後なら……って、いや、その発想はただのヘンタイじゃねえか!!
オレがこの女のことを好きなのは認めたが、そこまで堕ちちゃいねえ!!
「へ、部屋を丸ごと温室にしました」
「は?」
今、この女は何と言った?
部屋を、丸ごと?
「始めは、玻璃の箱を用意してもらって、それだけを温めていたのだけど……」
なるほど、自分のイメージで範囲を区切ることが難しいなら、始めから透明の箱があれば、その中を温めるだけでできるのか。
だが、まだ話は続くらしい。
「『綾歌族』のスヴィエートさんが、建物ごと温めてはどうかと提案してくれて……」
「ちょっと待て」
建物ごと……、だと?
なんだ、その発想は。
それ以上に……。
「何?」
「室温を40……、いや、多分、それじゃ足りないな。まさか、50℃以上にしたのか!?」
室温を体温と同じにしただけでは、瓶に入った樹液が温まるはずもない。
空気では熱伝導が違い過ぎるのだ。
そして、気温が摂氏50℃でも瓶の内部にその熱が伝わるかは微妙なところだと思う。
そんな高温の中で薬を作っただと?
まさか、摂氏80℃以上のドライサウナ並の室温にしてねえだろうな?
いくら魔界人の身体でも、熱中症にはなるんだぞ?
「い、いやそこまでは上がってないと思う」
栞はオレの言葉を否定する。
「湿度も上げて蒸し暑くしてみた」
「ああ。なるほど。魔法でスチームサウナを作り出したのか」
もしくはミストサウナか。
それなら、多少、低温でも水蒸気によって、薬は温まるかもしれない。
空気よりは水の方が熱伝導も良いからな。
やってみようと思ったこともねえけど。
オレがやったのは、瓶を魔法で直接温めてそれを維持していただけだ。
周囲の空気を変え、温度を上げるなんてことはやってみようとも思わなかった。
それも、一週間以上、その温度を維持するなど難しすぎる。
お湯なら、なんとかできそうだがな。
「お前の非常識さには本当に恐れ入る」
「それ、褒めてないよね?」
「まあ、その程度なら……、大丈夫か」
無理がなければ良い。
魔法を使えるようになったことは喜ばしいし、それで身体を壊すようなことをしていなければ良いんだ。
だが、オレは忘れていた。
この女がオレ程度の常識で収まりきるような女じゃないことを。
オレが、兄貴からの報告と栞の製作した現物を見て、叫んだのはもう少しだけ後の話。
ここまでお読みいただきありがとうございました




