宙に浮いた城
城塞都市国家アリッサム。
その周囲は砂漠に囲まれているにも関わらず、高い壁の内側に入ると、まず大きな水堀が目に入る。
高い城壁に沿うように幅が広く深い水路があり、城壁と水路でこの都市を守護し、維持されているようにも見える。
さらに、そこから枝分かれするかのように、都市のあちこちに水路が張り巡らされていて、火の大陸にありながら、水の都市として印象付けている。
だが、乾燥する砂漠の中央にありながら、その大量の水は一体どこから生まれているのだろうか?
国民の生活用水としても使われるその大量の水は、これまで一度として絶えたことがなく、無限に湧き出ているとも言われている。
恐らくは、王族たちの魔力によって維持されているのだろう。
都市の中央に向かうと更なる城壁があり、その四方には城壁塔と中央の主塔と呼ばれる塔の全てに鐘があるが、残念ながら時間を告げる時しかその鐘を見ることはできない。
主塔には白い鐘。
城塞塔には真紅の鐘。
色褪せることなく輝き続けていたその鐘たちは、今もどこかで輝き続けているのだろうか?
「――――の、アリッサム城!?」
「毎度ながら、長え!!」
わたしの言葉に九十九がいつものように突っ込む。
「そんなこと言われても、アリッサム城のガイドブック最新版にはそう書かれていたのだから、仕方ないじゃないか」
正確には「アリッサム城跡地紹介」だった。
まだ城跡として歴史に名を残すには日が浅い気もするが、どこの世界にも商人というのは逞しいということだろう。
そして、多少の文章の誤りなどは許して欲しい。
少し読んだだけで、ガイドブックを丸暗記できるほどわたしの頭は良くないのだ。
ただ、アリッサム城については、水尾先輩と真央先輩がかつて住んでいた場所として、できるだけ覚えるように頑張った結果が……、冒頭である。
しかし、雄也さんは一体、どこからあれらの本を手に入れてくるのだろうか?
「まあ、国や城の説明が省ける点は助かるけどな」
九十九が苦笑した。
「それで、水尾先輩がアリッサム城に囚われていたってどういうこと?」
「アリッサム城は、恐らく、ミラージュに奪われていた。水路を含めた都市の方は分からないが、城だけが、この上空にあったんだ」
水尾先輩は上空10キロを超えるような場所にいるっぽいようなことを、九十九が言っていた気がするけど……。
「それって、どんな規模の魔法なの?」
「分からん」
九十九も首を捻った。
それはもう建物一つを浮かすってレベルじゃない気がする。
城だよ?
それも、遥か上空。
どれだけ大規模な魔法なら、それが可能となるのか?
どこの天空の城ですか?
アニメ映画?
国民的RPG?
「だが、それができれば、見つかりにくいのも分かるだろ?」
「そうだね」
何でも、九十九の話では、アリッサム城は人間界でいえば、飛行機が飛ぶような高さで浮いていたらしい。
この世界では「飛翔魔法」などで人は空を飛ぶことができるが、わざわざそこまで上空に上がるようなことはしないらしい。
上空は地球と同じく酸素も薄く、気温も低い。
体内魔気の自動調整だけでどんな環境でも自分の身を保護できる人間ならともかく、大半の人間は環境に適応するための魔法を使った上で、飛翔魔法を使うなんて大変なことはしたくないし、する理由もない。
上空1キロでも宙に浮いている人間一人を地上から肉眼で簡単に見つけられないのだから、飛ぶだけならそこまでの高さはいらない。
そして、空そのものを監視する者もいないのだ。
人間界のように航空制御のためのレーダーもないし、他国を見張る……、おっと、見守るための人工衛星などもない。
人探しも、他国の監視も、ほとんどは魔法でなんとかできてしまう。
だから、空については割と疎かにしている部分があった。
そう考えるとこの世界は、空からの攻撃に無防備ということになるね。
まあ、仮に上から奇襲攻撃されたとしても、ほとんどの国は結界という反則級の防壁に護られているということもあるのだろうけど。
「水尾先輩が連れて行かれたのって、その城の城主としてってことなの?」
アリッサム城にアリッサムの王族として迎え入れる的な話?
「いや、それ以外にも囚われた人間たちがいたようだから、一時的に連れてきただけみたいだった」
「それ以外の人間って、他にもいたってこと?」
「ああ。だが、悪いがその話は後でさせてくれ」
ぬ?
後回しとは珍しい。
いつもはわたしの疑問に答えてくれるのに。
そして、そのまま本題からそれてしまうことが多々ある。
今は、話を逸らしたくはないってことか。
「オレがその空に浮いた城を目視できる場所まで飛んだ時、最初にオレに向かって突っ込んできたのが、灰色の羽の『綾歌族』だった」
「『綾歌族』って皆、灰色の羽?」
「いや、本当かは分からんが、生まれた大陸で羽の色が分かれると聞いている。それだけ様々な色の羽があるのだろう」
精霊族と契約した人ぐらいしか分からない話だから、そこは仕方ない。
少なくとも、何種類かの色があるってことか。
スヴィエートさんは完全に鳥になってしまうけれど、舞い散った羽は黒っぽかった気がする。
「それなら、同じ人かも。わたしの前に現れた『綾歌族』も、灰色だったから」
「それなら、話が早くて助かるな。それに、あんなの何度も相手したくはねえ」
「強かった?」
「メチャクチャ強かった。空中戦に慣れているし、何よりも飛翔速度が半端なかった。お前の『守護』がなければ、オレはもっと苦戦していただろうな」
九十九が「強い」と言うなら相当、強かったのだと思う。
それでも、「苦戦」しても敗北、つまり、負けはないと言える辺りは流石だ。
相手は「神の遣い」とも言われる精霊族。
法力を使ったり、神の知識が深い神官でもない普通の人間なら、防戦一方になってもおかしくないのに。
でも……。
「わたしの、『守護』?」
それに心当たりがない。
いや、その言葉自体にはどことなく聞き覚えがある気がするのだけど、少し考えてもはっきりとは思い出せなかった。
「あ~、お前が『精霊の祝福』を真似たやつだな。聖女の祈りを形にして、他者の強化することを『聖女の守護』と言うらしい」
顔を横に向けながら、九十九は少しだけ、気まずそうな声で答えた。
これは、思い出されているな。
わたしも気まずくなってしまう。
「そ、それは、誰から聞いたの?」
顔の赤さと熱さを誤魔化すように確認する。
「あの紅い髪だ」
「……ライトか」
九十九は基本的にライトを名前呼びしない。
嫌い……というより苦手意識が強いのだろう。
わたしがその名前を口にするだけで、暗くても分かるぐらいにその整った顔を歪めているぐらいだし。
尤も、彼らはお互いに苦手だと思っているみたいだけど、傍から見ているとあまり仲が悪いようには見えないんだよね。
似てないようで似ている所もあるから、どちらかというと、同族嫌悪に近いのかな?
「『綾歌族』のそいつを制圧した上で、羽を毟らせてもらった」
「え? 丸裸にしたの?」
なんとなく嬉しそうに羽を毟る九十九を思い浮かべる。
そして、そのまま脅すための刺身包丁ではなく、その首を落とすために出刃包丁を構える図も。
その先については、考えたくないな。
「その表現はどうかと思うが、流石に全ては毟ってねえよ。飛ぶ能力を失くす程度に毟っただけだし、それらも眠らせた後で治癒魔法を使えば、あっさり生えてくる程度だった」
「再生可能なのか」
しかも、人間の使う治癒魔法で再生したというのは少しだけ意外な気がした。
「オレが使ったのが古代魔法だからかもな」
「なるほど」
古代魔法は忘れられた時代と言われる時代以前に主流だった魔法で、その中には神から与えられた魔法もあるらしい。
九十九が使っている治癒魔法がどんな経緯で人間の手に渡った魔法なのかは分からないけれど、少なくとも、純粋な精霊族すら癒すことができるものではあるらしい。
しかし、治癒魔法で羽が生えるのか。
「それなら、あの眠っている精霊族たちも癒せる?」
彼らはずっと眠らされ、監視下にある。
意識を取り戻しかければ、また眠らされるというのを繰り返していた。
確かに精霊族の血が流れている以上、人間より頑丈な身体を持っていることは分かっていても、摂取しているのが睡眠薬のみという現状は身体によくないと思っている。
「お前を怖がらせたのだから、いっそ、オレはトドメを刺したいぐらいなんだが?」
「精霊族を殺せば、『神呪』を受けるよ?」
尤も、本来は、それがわたしに起こった可能性もあった。
人間が精霊族を殺せば、それらが神の怒りに触れ、呪いがかかることがあると言われている。
あの建物にいる精霊族たちを、生かさず殺さずの状態で置いているのもそのためだろう。
厄介なことにその呪いは、神の気まぐれで発動するものであり、絶対にかかるという確実ではない。
だけど最悪、自分の血族や周囲の人間にまで及ぶこともあるほど広範囲に強力な呪いがあると思えば、手出しは難しくなる。
因みに呪いの種類も身体や精神をじわじわと蝕んでいく趣味の悪いものから、当人の運が極端に悪くなる嫌がらせのようなものといろいろある上、その期間も一日から一生涯までと極端すぎて、対応を検討する気にもなれない。
それを教えてくれた大神官は、「疲れるだけだから精霊族を相手にしないように」と神妙な顔で言い、精霊遣いでもあるジギタリスの第二王子殿下は「嬢ちゃんなら神のご加護の方が強そうや」と笑いながら言った。
「ここのヤツらはほとんど混ざってるから、『神呪』が働くかは分からんぞ?」
「でも、大神官がわざわざ相手にしない方が良いと言うくらいだから、無駄なことはしない方が良くない?」
そして、彼らを殺す理由もない。
確かに怖い思いはしたのだけど、結果として無事であったからかもしれない。
「分かってるよ。今更、殺す気もないし、ちゃんとヤツらに報復してきたからな。気は済んだ」
「それなら良かった」
「報復」というどこか物騒な印象を受ける単語に不安を覚えなくもないが、九十九がそこまで気にしていないなら、大丈夫だろう。
「兄貴も何か企……考えているっぽいから、ヤツらの処置は任せる。オレは難しいことは考えたくねえ」
そんな風に、わたしよりもずっと難しいことを考えて生きている青年は笑うのだった。
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