運命的な出会い
「お前が先ほど会ったあのグレースは気難しい。俺以外の人間のほとんどが身体を触れることができないのだ。だが、あの白い毛並みを整えるのは必要。だから、俺は父上が用意してくれた森の中の泉へ行くことを習慣としているのだ」
父上が用意……?
なるほど、九十九も知らなかったあの池を作ったのはこの国の王さまだったのか。
「城の庭には天馬を洗うところはないのですか?」
「天馬は本来自然界で生きる種族だ。だから、少しでも自然の多い所で世話をしなければならない。城の敷地内では駄目なのだ」
結果として、迷子になっていたわたしを見つけてもらった。
だから、何も言えないわけなのだけど、ある意味この状況って大ピンチってやつなのではないだろうか?
城の中、わたしが一人でいるって状況は、九十九の言葉を借りれば敵陣の真っ只中というやつで、その上、装備品なしの丸腰で単身乗り込んだ無謀な足軽、いや農民……?
せ、せめて、初期装備には竹槍を下さい。
「改めて、俺の名は『ダルエスラーム=ザネト=セントポーリア』。お前の名は?」
「ら、『ラケシス=クロトー=アトロポス』と言います」
これがわたしの偽名だった。
魔界に来てすぐに母や雄也先輩と考えたのだ。
なかなか忘れないような、そして自分の本来の名からできるだけ離れた名前。
でも、いろいろ考えたけど、忘れることができない名前というのが思いつかなかったので、ギリシャ神話に出てくる女神たちの名前からお借りした。
他国ならともかく、保守的で魔界から出ることがないこの国の人間が人間界の神話をしている可能性はほぼないらしい。
頭を悩ませて苦し紛れに出た女神たちの名を口にすると、雄也先輩は「運命の三女神だね」と笑い、母はどこか微妙な顔をしていた。
最近、「運命の女神」という名を思い出すことが多いので、なんとなく付けてみたけれど、何か悪かったのかな?
「変わった名だな。『ラケシス』……。ふむ。だが、響きは悪くない。どこか『救国の神子』の名にも似ているな」
案の定、彼は疑い無くその名を口にしてくれた。
でも、時々出てくる「キュウコクの神子」ってなんだろうね?
無事に帰れたら、雄也先輩に聞いておこう。
今は、わたしのことを少しでも疑われるわけにはいかない。
頭を切り替えておかなければ!
でも、ここからどうすれば良いのだろう?
わたしはこの前、城で行動していた雄也先輩みたいにうまく立ち回れる自信はない。
それに、わたしは芝居がうまいわけでもないのだ。
ワカなら演劇部だったから、即興劇もお手の物だったけど、わたしは彼女の脚本の読み合わせに付き合う程度のことしかしてこなかった。
だから、場面に応じた即興台詞なんて無理だと思う。
なんとか、この王子さまに疑われない程度に誤魔化しつつ、ここから逃げる方法を考えなきゃならない。
この場を切り抜ければ、通信珠を使ってなんとか脱出することもできると思う。
今頃、皆、心配しているだろう。
特に九十九は怒っているに違いない。
後でひたすら謝らないと。
彼は、扉の絵を消した。
その場には扉だけが残る。
これなら知っている人が少ないのも納得はできるけど……、それでも本当になんでわたしに見せたのだろう?
似ているというだけで、素性の知れない相手に大事な絵を見せると言うのは本当によく分からない。
「この絵を描いてもらった時、その作者である盲いた占術師が言ったのだ。『この絵を通して運命的な出会いがある』と。『その縁は俺にとって見過ごすことができなくなるはずだ』とも言っていた」
彼はポツリと口にする。
その言葉にわたしはゾッとした。
同時に、なんてことを言ってくれたのだ、その占い師は……と、会ったこともないその人のことを責めたくもなった。
運命的……、もしそれを指しているのが今回のわたしとの出会いのことならば、間違っていると否定はできない。
この人はわたしの……、母親違いのお兄さんなのだから。
いや、見過ごしてくれた方が良いのですが……。
だけど、それを口にするわけにはいかなかった。
話した印象ではそこまで悪い人ではないのだと思う。
見ず知らずの人間だと言うのに、枝に引っかかった髪の毛を解いてくれたり、迷子と知って助けてくれたりしたわけだし。
でも、わたしの正体を知ってもそのままというわけにはいかないと思う。
逆の立場だったらわたしだって心中穏やかではいられそうにないのだから。
だから、名乗らない。
本当のことは言わない。
いや、言えないよね。
「俺は鼻で笑ったよ。高名な占術師としての能力を疑うわけではないが、運命的とか縁とかそんなもの簡単に信じられるほど平和な頭をしているわけではないからな。だが……」
そこで彼はわたしを見た。
「今は少しだけ、考え方が変わってしまった気がするのだ」
「考え方が?」
「そうだ。俺は運命とか不確かなものは信じぬ。だが、今まで誰に見せることもなかったこの絵を……、出会ったばかりのお前には見せたくなってしまった。そこにどんな力が働いたのかは俺自身にだってよく分からぬが……、これを見せた後でも後悔はない」
そう言いながら、彼はわたしの肩を掴んだ。
「ラケシス……。お前、この城に来る気はないか?」
「は?」
えっと?
それって……。
「この聖女に似ているお前の成長を俺は間近で見ていたくなった。確かにお前の言うとおり、似ても似つかぬ存在になるかもしれぬ。だが、俺は……、お前が聖女に近づく気がしてならないのだ」
あらゆる意味で色々と困る展開になってきた気がする。
な、なんとかしなければ、大変なことになると思うのは的はずれではないだろう。
いや、既に大変なことになっている。
流れている同じ血のせいだろうか。
どうやら、この人にかなり気に入られてしまったのはよく分かってしまった。
わたしも……、これがこの人の素なら、多少強引ではあるけど、そこまで嫌いじゃないと感じているから。
「そ、そんな……。わたしみたいな身分が低い人間に対して何を言ってらっしゃるのですか?」
それでも、簡単に受け入れてはいけない。
この城内には味方の方が少ないのだから。
「ふん。王子が身分の低い女を城に迎えることぐらい珍しくはない話だ。かの情報国家イースターカクタスでは日常的な話だし、何よりこの城にだって前例があるのだからな」
その言葉でドキリとした。
「この城の前例」、彼の言葉が誰を指しているのか分かってしまう。
「何、伽の相手として召し抱える気はない。身体が未成熟な女に欲情するなどこの俺に関してはありえないからな。単に興味だ。それと……、賭けだな」
「興味はともかく……、賭けとは?」
さりげなく出てきた、とんでもない話は自分に害がないみたいだから、ここで問題にするまでもない。
15歳に見られてないのはある意味幸運だったのだろう。
いや、自分が未成熟というのを否定はしないけど。
でも、「伽の相手」ってあまり詳しくはないのだけど、「側室」とか「妾」とかってことだよね?
確か、この王子はわたしの一つ上だったはずだ。
その年齢で、自然に考えることなのかな?
わたしの考えが幼いだけ?
「お前が近い未来にどんな女に育つかだ。それなりのことをすれば、面白く化ける存在になると俺は思っている」
えっと……?
どこでツッコミを入れるべき?
「そんなに大した存在になるとは思えません。王子殿下にとって、時間の無駄になるだけです」
とりあえず、否定する。
あまり否定しすぎるのはいけないけど、肯定することはできないのだ。
なんとかここでうまくお断りしないと。
そう言うと彼は瞳を覗き込むようにわたしを見た。
「不思議な女だな。普通は王子から声がかかれば喜ぶものだと思っていた。真意はどうであれ、これは女として、人間としても、あらゆる方面での機会にもつながるだろう。王がこの城に実力主義とやらを持ち出してからは、皆、我先にと俺から言葉をもらおうとする」
それは分かる気がする。
なんだかんだ言って出世するためには、コネがあった方が有利なのだろうし。
「それに俺はこの国の王子だ。その気になればお前の意思など無関係にどうとでもできるのだぞ。命令という形でな」
おおう。
そ、それは困る。
もしかしなくても、それは脅しというやつではないのだろうか?
「だが、できれば自分の考えでこの城に来てくれないと面白くないのは確かだな。仏頂面の女などつまらん。話を聞けばお前は謙虚がすぎる気がする。もっとふてぶてしく、根拠無き自信を持っていないとこの城では潰されてしまうぞ」
「ですから、城に来るとは……」
「ちょっと待ってろ」
そう言って、わたしの話も聞かずに彼は隣の部屋へと行った。
頼むから、話を聞いて欲しい。
しかし、一人残された今、ある意味チャンスだ。
そう思って、部屋の窓へと手を伸ばす。
鍵は掛かっていなかったため、あっさりと窓は開いた。
ごおっと下から突き上げてくるような風に思わず、カツラを押さえる。
いや、簡単に外れないように固定しているけど、やっぱり心配なのだ。
「すごい風……」
この国が「風の大陸」の中心国ということもあるかもしれない。
いや、単に、ここが高いだけか。
そう言えば、階段を結構上がった気がする。
「どれくらいの高さなんだろう……?」
そう呟いてそっと下を覗いてみる。
すると……。
「え?」
くらり、と軽く目眩がした。
世界がずれるような感覚に思わず額に手をやる。
暑くもないのに全身から何故か冷えた汗がどっと出ていた。
わたしは高所恐怖症ではない。
少し覗いた感じでは10階ぐらいだったと思うが、それぐらいでは目を回す高さのうちに入らない。
わたしは小学校の時、40メートルのはしご車搭乗体験で大興奮するような人間だ。
それに、人間界で九十九に担がれて、空を飛んだ時はもっと高かった。
でも、気持ちが悪い。
船酔いした時のような吐き気がこみ上がってくる。
わたしは思わず、ぴしゃりと窓を閉め、その場に座り込んでしまったのだった。
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