強すぎる絆
くうくうと、小さいながらも安定した寝息が聞こえてくる。
先ほどまで、微かに彼女以外の気配が纏わりついていたが、今ではいつものように清らかな体内魔気しか感じない。
どうやら、どこからかやってきた侵入者は、いつの間にかいなくなったようだ。
それでも彼女が起きる様子がないので、必要な話は終わったのだろう。
誰も立ち入らないようなその場所で、その侵入者とどんな話をしたのかは分からないが、少なくとも、以前のような不浄な気配はしなかったため、今回は、俺も邪魔はしなかった。
あの気配なら夢とはいえ、前のように自暴自棄な行動に出ることはないだろう。
僅かでもそんな気配があれば、迷わず邪魔するつもりではあったが、現時点でそれは容易なことではない。
魔法力の消費も多いことも理由の一つではあるが、やはり、こんな敵陣に等しい場所で、無防備な身体を放置する気にはなれなかったのだ。
この建物の防護を厳重に固めているとはいえ、人間のすることに完璧はない。
自身の考えを過信して、その隙を突かれるのは一度だけで十分だ。
それに、俺には青少年の恋路の邪魔だてをして、馬に蹴られるような趣味も持ち合わせてはいない。
そして、選ぶのも、判断するのも最終的には主人だ。
万一、彼女自身が選んだものが、誰の目にも茨でできた道であっても、俺はその意思を尊重するだろう。
まあ、あの弟の方は、分からないが。
ふと窓を見る。
まだ夜明けまで時間はありそうだ。
今の自分と同じように、今そこで眠り続けている主人も、同じ窓を何度もマメに見ていることを知っている。
待ち人は未だ来ず。
だけど、心配症の主人は、戻ってくることを確信しているようだった。
自分には分からないナニかを視ている、いや、感じているのかもしれない。
あの愚弟は、出掛けに途轍もない身体強化を受けた。
その影響もある。
だが、それ以上に、そこの主人とあの愚弟には、自分にはない絆があることを知っている。
自前の感覚に上乗せされたような鋭敏すぎる知覚能力。
それは本来、血族以外の他人同士では、「嘗血」と呼ばれる行為でしか得られないはずの強すぎる縁だった。
それについても、心当たりがある。
それが正解かは分からない。
だが、俺はそれ以外に心当たりはなかった。
もしかしたら、父親なら知っていたのかもしれないが、今となっては確かめることもできなくなってしまった。
その「嘗血」自体が、特殊な儀式ぐらいでしか知られていないような行為だ。
真っ当な神経をしていれば、血縁もない赤の他人の血など、自分の口に含もうなどと考えることはないだろう。
しいて言えば、人間界で毒物を吸い出す行為等の知識があれば……、考えられなくもないが、この世界の人間は、基本的に魔法でなんとか解決しようとする。
毒に侵された人間がいれば、「解毒魔法」を使えるような人間を探すか、一般的には、聖堂へ駆け込んで、「解毒術」を神官に施してもらうのが自然な発想だ。
何でも、自分でなんとかしようとする必要などどこにもない。
できないことは周囲の知恵と能力を借りるしかないのだ。
あの愚弟が、主人と「嘗血」行為に等しい状態になったのも、そんな様々な巡り合わせの結果だった。
ただの偶然でもある。
だが、その偶然がなければ、恐らく、愚弟は生きていない可能性が高い。
あれだけは、俺にもどうすることもできなかった。
今なら、その解決策を知っているし、その代替策も思い浮かぶのだが、当時の俺は幼すぎたのだ。
自分の意思で周囲の助けを借りるのではなく、近くにいた大人たちの決定に流されるしかできなかった。
そのことに多少の悔しさはあっても、それは、失敗したという後悔ではない。
結果として、愚弟が俺以上に主人の助けとなることができるのだ。
寧ろ、僥倖だったと思うべきだろう。
どこにいても、何をしていても、その存在を感じ取る奇跡。
それは互いの魔力が強くなればなるほど効果を発揮するものだ。
俺たちは兄弟だから、ある程度、互いの存在を知覚できるが、それでも「嘗血」をした人間たちほどではないことは、この二人を見ていればよく分かる。
血を分けた兄弟以上に強い絆を持つ。
それは、一般的な常識とはかけ離れていることだ。
だから、そんな事実と、その特異な方法に気付くことができる人間は、この世界にどれだけいるだろうか?
俺が知る限り、あの大神官くらいだった。
そして、俺たちにとって、幸運なことに、あの方は基本的に口が堅い。
大神官という聖職にあることも理由の一つだろうが、他者の事情を訳知り顔で話すような種類の人間ではないのだ。
どちらかと言えば、他者から距離を置きたいと考えるような人間である。
加えて、あの主人と愚弟に対して、悪い感情も持っていない。
だから、様々な情報を繋ぎ合わせてその事実に気付いたとしても、それらは誰にも語ることはないだろう。
愚弟と主人がただの幼馴染以上の絆を持っていることは、誰かに知られて困ることではないが、そのきっかけを作り出した人間が何も言わない以上、俺は公言するつもりもなかった。
それが、当事者たちであっても。
これは軽い嫉妬もあるのだろうな。
その絆は、俺には決して、持ちえないものだから。
「んっ……」
先ほどから見ていた主人が寝がえりを打った。
どうやら、お目覚めが近いようだ。
「ぬ……?」
どこか寝ぼけたような声。
先ほど聞こえたどこか悩まし気な声とは違う辺りが如何にも彼女らしい。
「どうしたの?」
「いえ、なんか夢を視た気がするのですが、思い出せなくて……」
目を擦りながら、首を捻る。
これが、自分の意識のみで作られた、ただの夢ならもっと思い出しやすいだろう。
だが、「過去視」などの「夢視」は、自身の魔力を使って意識を一時的に別の世界に送る行為だ。
そして、夢の中に誰かが介入するのは、他者による魔法行為であるため、無意識に自身の魔力が防護に使われると言われている。
いずれにしても、本来なら問題なく覚えていられるはずだが、彼女の場合はちょっと事情が異なるため、魔力を使った夢は、記憶に残しづらいようだ。
これらは推測、推論の域を出ないが、実際、この主人は通常、覚えているはずの「過去視」をあまり記憶に残せていないのは確かだった。
「良い夢だった?」
「覚えていないけれど、奇妙な夢だったことは確かです」
侵入者のことを思えば、彼女のこの発言は「酷い」の一言でしかない。
その内容はともかくとして、彼にしてみれば、様々なリスクを背負ってまでこの愛らしい主人に会いに来ているというのに。
だから、思わず俺は笑ってしまった。
そんな俺を不思議そうな顔で見つめた後、彼女はまた窓に顔を向ける。
暗いままの窓は、まだ彼女の願いを聞き届ける気はないらしく、先ほどと変わらぬ景色を映したままであった。
「わたし、どれぐらい寝てましたか?」
「4時間ぐらいかな」
しっかりその時間を計っていたわけではないので、体感でしかない。
俺自身も彼女たちの様子をそれぞれ確認しつつ、机上の紙たちと向き合っていたためでもある。
ただ4時間は、睡眠時間としては短い。
個人的にはもう少し寝ていて欲しくもあったが、目が覚めてしまった主人をまた無理に寝かすこともできないだろう。
それに、あまり、あの愚弟が何度か彼女に対して睡眠薬を処方しているようなので、これ以上、警戒させたくもなかった。
使うなら、全く無防備を狙う方が良い。
「何?」
書類が気になるのか、俺の手元や机を見ている。
「あの、書類……、増えてませんか?」
「ああ、ごめん、ごめん。片付けをしていなかった」
思ったよりも早い目覚めだったために、書類の回収が間に合わなかった。
これらは全て日本語で書いているため、この世界のほとんどの人間には読むことができないものではあるが、この主人には読めてしまうのだ。
そして、ここにある記録は、これまでの情報を纏め、推論から暴論まであらゆる角度から書き散らしたもので、あまり見られたいものではない。
それらをさりげなく、隠しつつ……。
「ごめんね。ちょっと見苦しいところを見せたかな?」
俺がそう笑うと……。
「い、いいえ、全然!」
人の好い主人は、思惑に気付かずにそう言ってくれたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




