聖女の姿
「昔……、魔界の危機を救った……聖女?」
絵を見ながら、呆然と呟く。
「マカイ?」
彼の言葉で、わたしはあることに気付く。
彼は先ほど、ここを「魔界」と言わず「世界」と言った。
よく考えてみたら、「魔界」は「人間界」から見た呼称でしかなく、ここに住んでいる人達はその言葉自体を使わないのかもしれない。
考えてみれば当然だ。
わたしだって人間界のことを「世界」と呼んでいたのだから。
「あ、いえ……、この『世界』を救ったとされる人のことですか?」
慌ててごまかした。
わたしの周囲は、この世界のことを「魔界」と呼ぶ人が多いから、ちょっと気を付けなければいけない。
「そうだ。これこそが本物の聖女。忘れられた時代より生まれた『救国の神子』の血を引き、我が国の王族でもある者だ。世界の歴史が始まって以来最大に最高しての存在だと俺は思っている。各国は『救国の神子』たちこそ至上と言うがな」
そう言いながら、彼は誇らしげな瞳で絵の中の女性に笑みを投げかけた。
わたしの誤魔化し方はあまり上出来とは思えなかったが、彼はさほど気にした風でもなかったのでほっとする。
油断すると、魔界の知識が浅いことがバレかねない。
この世界に足を踏み入れてから今まで、雄也先輩や九十九ぐらいとしかまともに会話していないのだから仕方はないのかもしれないが、今はそう言っていられないのだ。
なんとか一人で切り抜けないといけない。
この場でわたしを護ってくれる人は誰もいないのだから。
「巷で溢れているニセモノの肖像などとは違うぞ。これは、高名な占術師に描かせたものだからな」
「センジュツシに……?」
え~っと、戦術? 占術? この場合、戦は関係ないだろうから、占術……、占い師ってことか?
仙術かもしれないけど、魔法の世界でもあるものだろうか?
いや、それを言ったら占いっていうのもおかしい気がするけど。
「聞いて驚くなよ。これを描いたのはあの盲いた占術師だ」
驚くなと言われても、残念ながらわたしはその人を知らない。
そんなに有名で、魔界人なら誰でも知っているようなら、雄也先輩か九十九が教えてくれていると思う。
この国の王や王妃、王子の名前は聞いたし、法力国家ってところに神官の頂点に立つ大神官って地位があることぐらいは習ったけど。
「めしいた」……「飯板」?
うん、なんか違う気がする。
そんなわたしの反応を見て、彼は肩を竦めた。
「……そうか。一般国民の間ではそう有名ではないのかもしれないな。ましてや、お前のような年代の娘では知らぬのは当然か。今、隣国のジギタリスにいるあの高名な占術師の師である、と言えばその能力が分かるか?」
「凄い方なのだろうなというのはなんとなく分かりました」
この彼の話ぶりからそう推察はできる。
なんか、勿体ぶった言い回しとかがそんな感じなのだ。
でも、すみません。
申し訳ないけれど、わたしにはその凄さが伝わってこないのです。
人間界で育った身としては、魔法を使えるってだけでも十分驚くべきことなのだから。
「盲いた占術師というのは、かつてこの世界において分からぬ事柄など何一つとないとされた賢者だ。その目こそ光を知らぬが、それと引き換えに現在、過去、未来においてあらゆるものを見通す力を神から授けられたという」
「現在、過去、未来を?」
魔界人でもそれは凄いことなのか。
魔法で様々な時代を自由に行き来できる人は珍しくないかと勝手に思っていた。
「占術師ともなれば、多少はその能力が備わっている。だが、その占術師はこの世界の始まりから終わりまでを人の身でありながら知り得たと聞く。真実のほどは定かではないがな」
「それは、想像を絶する凄さですね」
「だろう?」
全ての歴史を知る……。
確かにそれが本当ならば凄すぎると思う。
でも、同時にそれはひどく悲しいことでもあるような気がするのは、わたしが人間界で育ったせいなのだろうか?
「その者に描かせたのが、この絵だ。これこそが、本物の聖女の姿であることは疑いない」
誇らしく嬉しそうに彼は言いきった。
……とはいえ、その人が本当に、その聖女と呼ばれる人を描いてくれたのかはその人自身しかわからないことで……。
それにその人が知っているその聖女とやらを少しの狂いもなく再現できたかといえばまた別の話だと思う。
思うとおりに描けないのが、絵画というものだろうし。
わたしは、人間界で絵を描くことが好きだったから、余計にそう思うのかもしれない。
そんな風に考えてしまうわたしは、もしかしなくても疑い深く、さらには性格も悪いのだろうか?
この人は少しの揺らぎもなく、その占術師とこの絵のことを信じきっているというのに。
「それで、何故この絵をわたしに?」
分からないのはその点だ。
彼の話を聞く限り、この絵は自慢の逸品なのだと思う。
でも、それを会ったばかりの、それも疑われてもおかしくないような正体不明の娘に披露したのだろうか?
「似てないか?」
「え?」
彼の言葉の意味が分からずに思わず聞き返す。
「この絵……。いや、この聖女にお前が似ている気がしないか?」
そう言われて改めてこの絵をよく見てみる。
そこにいるのは金髪、紫の瞳を持つキラキラしい美人さん。
いや、どう見ても似ていないでしょう。
わたしは、こんな美人でもないし、表情とか雰囲気とかそういったものを含めて全然違うと思う。
「この髪がもう少し光り輝く色であり、その瞳も、もっと紫水晶に近い色合いであったならば……」
そう言いながら、彼はわたしの前髪に触れた。
そこで気付く。
今の自分の姿が少しだけ色とかが似てしまっていたことに。
本当の自分は黒髪、黒い瞳だから、自分の感覚としては似ても似つかない。
でも、言われてみればほんの少しだけ、わたし自身の容姿よりはこの絵の女性に近付いてしまっている。
「い、いえいえ! こんな綺麗な方に、それも聖女と言われるほどの方に似ているなんて……」
わたしは慌てて否定した。
だが、彼は構わず続ける。
「今はまだ幼いが、あと10年……、いや、5年もすればお前はもっとこの聖女の姿に近づく気がするのだ」
この絵の女性は見たところ20歳前後の姿だと思う。
魔界人の外見的年齢が人間界のものと同じだとは思わないけれど。
5年といえば、わたしは20歳。
そう言った意味では確かに近付くといえば近付くけど、それでも、本当のわたしの姿が似るとは思わない。
「確かに年齢的には近付くかもしれませんが、それでもわたしは聖女ではないので、もっと似るというのは無理だと思いますよ。もしかしたら、今が一番似ているような気がするだけで、これからどんどん似ても似つかない姿になる可能性だってあるのですから」
まあ、正直なところ、こんな美人に似ると言われて悪い気はしていないかったりする。
寧ろ、容姿に自信が持てるといいますか……。
九十九だったらお世辞でも言ってくれないだろうな。
「この絵を見せる気になったのはお前が初めてだ。この絵の存在を知っているのは、俺とこの絵を描いた占術師自身だけだった。王である父ですら知らんのだ」
「え?」
な、なんか……、今、なんか、変な言葉が出てこなかった?
「今……、あなた……」
呆然と問い返す。
「ああ、言わなかったか? 我が父はこの国の王だ」
「つ、つまり……、あなたは……」
「この国の王子ということになるな」
ニヤリと挑発的に笑う彼……、いや、王子さま……じゃない、王子殿下。
しかも、この顔を見る限り、この人、わたしを驚かせるために、わざと黙っていたな?
誕生日から二ヶ月ほど……。
いろいろあって感覚が麻痺してきていた感はあったけど、まだまだだった。こんな事態は想定していなかった。
それでも突然、驚愕の事実発覚が起きても叫ばない程度の耐性は付いているようだ。
だけど、身体が動けなくなってしまった。
でも、わたしが凍りつくのは無理ないと思う。
普通に絵本やテレビでしか見たことない王子さま、プリンス、皇太子殿下。
……金髪碧眼、さらには色白で細身。
……うん。
確かに彼は絵本の王子様像を満たしてはいる。
「うむ。なかなか良い反応だな」
彼が満足気に何か言っている気がする。
それに対して何か言わなければいけないのに言葉も出てこない。
いや、正しくは下手なことを言うことができない。
彼が本当にこの国の王の息子だというのなら、この人がわたしの……?
「お、王子殿下ともあろう御方が何故、あんな森の中を……」
そう口にするのがやっとだった。
……「殿下」の使い方、間違ってないよね? と、どこか明後日な方向の話を考えながら。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




