他人の不幸は蜜の味
『お前たち、あの島に何の目的で近付いた?』
そんな言葉をライトから投げかけられたので……。
「ナンパ」
と包み隠さず素直に答えた。
『おいこら? 流石に非常識なお前でも、精霊族をわざわざナンパしに行くはずがねえだろ?』
あれ?
これは何か聞き間違いをされた?
でも、この人に「非常識」と言われるなんて……。
「いや、『ナンパ』じゃなくて、『難破』」
『あ?』
この世界の翻訳機能ってちょっと不思議だ。
わたし自身が何語で話しているか分からないけど、時々、相手に誤変換されて伝わることがたまにある。
これは発音の仕方やイントネーションの問題なのだろうか?
「乗っていた船が海獣たちにやられちゃって……」
『海獣……? ああ、今はやつらの『求愛期』だったか。それは災難だったな』
「ここ数年、求愛行動が活発らしいよ」
これは港町で聞いた。
『やつらも後々のために、種を残したくて必死なんだろう』
変な間があったがそう答えてくれる。
「そんなわけで事故によってあの島に流れ着きました。でも、結果オーライかな? 長耳族の長が言っていた場所にリヒトを連れてくることはできたからね」
『お前、覚えていたのか?』
「いや、現実ではほとんど忘れている。そもそも、それを聞いたのは、過去の記憶しかない『シオリ』であって、『高田栞』の方じゃなかったから、そこは仕方ないと思うよ」
あの時、ライトは割と近くにいたと記憶している。
それならば、シオリが、長から呼び止められて告げられた話が、彼の耳に届いていてもおかしくはない。
「だから、『高田栞』としては、その時のことを夢で視て思い出したけど、結局、また忘れちゃった感じかな」
今は夢の中だから思い出せている状態だけど、目が覚めたらまた忘れてしまうのだろう。
『ああ、お前は『過去視』だったな。あの時のことを夢に視たのか』
「自分を客観的に見せられるってなんか変な感じだったけどね」
わたしは「過去視」を、俯瞰的立場から視る。
その場所に自分がいたとしても、自分視点ではなく、それを上から見降ろすという形となるのだ。
自分の過去を夢に視たことは何度かあるのだけど、その違和感にはいつまで経っても慣れない。
まるで、「高田栞」以外の何者かになってしまったかのように思えてしまう。
『あの長耳族を手放すのか?』
「いや? なんで?」
そんなつもりで来たわけではない。
『あの島が精霊族の混血たちの保護領域だからだよ』
「……保護?」
あれが?
「奇妙な薬草を育てさせられた上、薬漬けにされて、女性とあらば見境なく襲い掛かる精霊族しかいないようなあの場所が?」
思い出したら嫌悪感しかない。
『なるほど、お前は、相当、内部に入り込んだな』
そして、ライトもわたしの言葉を否定しなかった。
彼も知っていたのだ。
あの異常な島の内情を。
「あれは、ミラージュの企みの一つなの?」
『ミラージュというよりも、ミラージュに籍を置いている一部の人間の企てだな。あの場所で育てられた生物が、各大陸にある「ゆめの郷」に流されているらしい』
「生物……? 薬草だけじゃなくて?」
その言い方に含みを感じた。
『薬草だけでなく、そこで生まれた「精霊族」の混血児たちも含むからな。運が良ければ、「ゆめの郷」に「ゆめ」や「ゆな」として売られる。通常の扱いとして気狂いたちの「玩具」。最悪、あの島で壊れることもあると聞いている』
「……他人事のように言うんだね。ミラージュの王子殿下」
その言い方に棘が混ざったのは許して欲しい。
あんな状態を見せられて、黙っていられるほどわたしは無神経にはなれなかった。
『俺が知ったのはこの一年、あの「迷いの森」でこの場所の存在を知った後だ。だが、その時点で「ゆめの郷」の件もあった。ただでさえ、自分のことで手いっぱいなのに、国のやらかしを全て面倒見切れるか』
その言葉は大きな声ではないのに、鋭く強かった
『それでなくても、あの国は俺に対して『やらずぶったくり』なんだ。面倒ごと、後始末だけ都合よく押し付けやがる』
「『やらずぶったくり』って……何?」
初めて聞く単語だと思う。
そして、不思議と妙に耳に残る。
『相手に何も与えず、取り上げるばかりのこと……って、一番どうでも良いところに反応してるんじゃねえ!!』
「あなたが珍妙な言葉を使うからじゃないか」
もっと分かりやすい単語を使って欲しい。
何も遣らずにぼったくること、いや、ふんだくるのほうが近いかな?
『お前と話していると疲れる……』
「そう? それは残念。わたしはあなたと話すのは割と嫌いではないのだけど」
わたしがそう答えると、ライトはその端正な顔に思いっきり大きな縦皴を刻んだ。
主に眉間。
そして、口元。
これは一体、どんな表情なのだろうか?
『お前は警戒心が欠けているにもほどがある』
「それはよく言われる」
主に護衛から。
『護衛に心底同情する』
それを言った相手は護衛だとわたしは言っていないのに何故、分かるのだろう?
もしかして、わたし、自分に警告してくれる友人が少ないと思われている?
確かに多いとは言えないけれど、わたしの友人たちって基本的に悪いことは悪いって注意してくれる人たちばかりなのに。
『まあ、お前たちが海難事故で偶然、あの場所に辿り着いたことは理解した』
辿り着いたというか、流れ着いたというか。
『そして、無事で良かった』
「……無事?」
果たして、アレを無事と言って良いものか?
『純潔は護られたんだろう? それなら「無事」というべきではないのか?』
それは殿方視点の話だ。
わたしはあの時、それなりに怖い思いをしている。
知らない男性から自分の身体に触れられた記憶はないけれど、それでもあの時、暗闇で聞こえた声は、今もこの耳にこびりついて離れないのに。
『悪かった』
「え……?」
だが、不意にそんな言葉が聞こえた。
『俺たちの国とお前の倫理観、貞操観念は違うと分かっていても、その顔を見るまではもっと軽く考えていた』
「顔……?」
なんとなく両頬に手をやる。
『男を知らない女からすれば、下賤な男たちから卑猥な言葉を浴びせられるだけで、情欲に塗れた視線を向けられるだけでも十分、身がすくむほどの恐怖だよな』
この場合の「男を知らない」というのはそういう意味なのだろうけど、何故、こうもはっきりと言うのか?
いや、実際、恐怖体験だったけれど!
わたしにそういった意味で触れた男性は多くない。
でも、その男性たちは知り合いで、わたしがいろいろ錯覚してしまう程度に好意も持っていた。
だけど、見知らぬ男性からそういった視線を受ける……というのは、神官たちを除けばいなかったのだ。
神官たちは「聖女の卵」をそういった目で見る人も結構、いるから、そこは気持ちが悪いけど仕方がないと割り切っている。
わたしのことを何も知らない人たちでも、「聖女の卵」ってだけでかなりの価値があるそうらしい。
それでも、わたしはそんな神官たちに対して、大神官や、法力国家の王女殿下、何より護衛たちからかなり護られていたために、そんな欲に塗れた視線を浴びる機会は最低限で済んでいたのだと思う。
そういった意味では、わたしはかなり運が良いのだろう。
そんな護りを持たないごく普通の「神女」たちは常にその危険性を孕んでいるのだ。
見目が良ければ最悪だと言える。
自衛手段を持っているか。
もしくは、治癒術や浄化術などが際立っているか。
治癒、浄化に関しては、魔法でも適性が必要とされているが、法力にも同じことがいえるそうだ。
誰でも使えるわけではないため、高位の神官から重宝、保護の対象になる。
『まあ、なんだかんだ言っても、男の俺としては、お前の、その、珍しく女性らしい弱った顔を見せられたことを僥倖と思うしかないのだが……』
「趣味が悪い」
別のことに思考を巡らせていたせいか。
何の捻りもない答えを返す。
彼なりに慰めとかを含んでいたのだろうけれど、それでもやはり良い趣味とは言い難かった。
わたしが弱った顔を見て幸せを感じるというのはどこか歪んでいる。
相手を苛めて悦に浸るような加虐趣味とは少し違うかもしれないけれど、似た種類の危うさを感じる。
『相手の不幸を糧とする国に生まれた人間の思考なんて、そんなものだ』
ライトは紅い髪を揺らしながら、暗に「他人の不幸は蜜の味」だと笑うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




