確信に近い予感
―――― どうして、こうも彼女は自分の内側に入ってくるのか?
俺の傍で落ち着いた寝息を立てている女性の黒い髪を撫でながらそう思う。
始めから、自分が意図していたわけではない。
本当にただの巡り合わせだ。
だが、その結果。
彼女は、より俺たち兄弟の深みに入り込んでくることになる。
昔から、大人しそうな見た目に反して、かなり行動的なところは母親にそっくりすぎて戸惑っていた。
それが、いつから別の意味で目と手も離せないような存在になってしまったのだろうか?
間違いなく、この世界に戻ってきてからだな。
俺たち兄弟が彼女の人生を再び、歪めた結果だ。
彼女にはこの世界に関わらないという選択肢もあったはずなのに、思考を誘導して、戻るように仕向けた。
だから、それにまつわる苦難については甘んじて受けるしかない。
元より、その覚悟をして選んだ道で、選ばせた道だった。
そして、先ほどの彼女の反応で、母親が元「神女」だということは確定してしまった。
いや、なんとなく気付いていたのだが、ずっとその核心に触れることを自分が避けていた面はある。
母親が元「神女」であっても、これから先の人生に何の問題があるわけでもないのだが、これ以上、自分たちの出自を掘り起こしたくはない。
あの母親は、父親と一緒になった時は、既に還俗していたのだと思う。
それでも、その言動の端々は少しだけ変わっていて、まるで、自分を別の場所に置く人間のようだったと思えることも何度かあったのだ。
その在り方は、自分より神を重視する敬虔なる「神女」のようだったと今なら分かる。
そのことも、主人がきっかけで神官や神女たちに接する機会が増えたからこそ、気付けたことではあるのだが。
そして、あの「聖歌」のことを思い出したのも、本当に先ほどだった。
ずっと閉じていた記憶の蓋を開くきっかけは、昨日見たアルバムや、この主人の歌だったのだと思う。
それまでは思い出しもしなかった。
魔界人とはいえ、二歳の記憶だ。
寧ろ、しっかり、歌詞を覚えていたことを褒めてもらいたい。
実際、俺自身はあまり思い出したくなくて、完全に記憶から消去していたのだろう。
芋づる式に思い出してしまうこともあったから。
それでも、一度、思い出してしまった以上、どうしてもそれを明らかにしておきたかった。
俺の悪い癖だ。
浮かび上がった疑問は、できるだけ早期解消したくなる。
結果、騙し討ちのように、主人を巻き込んでしまったが、この場で彼女以外に「聖歌」を知る人間がいなかったのだから、そこは諦めてもらいたい。
酷く勝手な従者もいたものだと自分でも思う。
だが、俺は、「聖歌」を確認する際に、誰かに知られるなら、事情を知らない神官どもよりは、やはり彼女が良かった。
あの大神官にこれ以上借りを作りたくもない。
主人が作り出した貸しの方がさらに大きそうだが、それは彼女の貸しであって、俺の手柄ではない。
だから、いつか、どこかで纏めてその借りを返せと言われそうな気がしているのだ。
あの人も、自分と似た種類の人間だから。
母親についてはこれ以上、深追いしないことにする。
ストレリチアに出入りはできるが、それによって誰かに気付かれても面倒だ。
特に、情報国家の人間というものは、どこにでも潜んでいるから。
主人が心構えをさせなかったことに憤ってはいたが、それでも、本気で怒っているわけでないことは分かる。
伊達に何年も「試し行動」を行っていない。
やり過ぎか否かの判断ぐらい分かっているつもりだ。
それでも、取り繕っていない素の反応を見たかったのだから仕方ないと思って欲しい。
だが、それがきっかけでどことなく、男女の話になってしまったのはどういうことだろうか?
自分でもよく分からない。
いや、いずれはちゃんと話しておかなければとは思っていた。
彼女は異性に対して無防備……、というよりも、気を許した異性限定でかなり無防備な面がある。
でも、彼女自身が気を許した所で、その相手は彼女を邪な目で見てしまうのだ。
それは忠誠とか責務とか友情とかそんな言葉では誤魔化しきれない本能的なものなので、当人たち自身にもどうすることもできないのだ。
身近に妊娠可能な年頃の女性がいたら、かなり対象から外れていない限り、男は反応してしまう。
そんな哀しき男の習性を彼女自身が理解してくれないことには、いろいろと対応も対処も難しい。
完全に隠し通すことは可能だ。
だが、それでは彼女のためにもならない。
それに、世の半分は男だ。
いくら彼女のためでも、世界の半分を排除するわけにはいかないだろう。
だから、少々露骨な言葉を使ってまで説明することにした。
愚弟の回りくどすぎる表現では、全く伝わっていないわけではなさそうだったけれど、あまり伝わっていない予感はあったのだ。
そして、実際、一部しか伝わっていなかった。
それでも、以前よりはずっとマシではあったのだが。
あの男の場合は、主人に対する私情も多分に入っているから余計に分かりにくくなっている。
まあ、それも無理はない。
それだけ、この主人が女性としても魅力的なのだから。
あの童貞に等しい男には、今更、どうすることもできないのだろう。
いっそ、もっと開き直ることができればかなり楽なのだろうが、ヤツはそれを選べるほど器用でもない。
この身体に「命呪」と呼ばれる呪いがある限り、せいぜい、禁忌に触れない範囲で、今の立場を利用して触れるぐらいが関の山だ。
いずれ、誰かに攫われることを知っていても。
いや、知っているからこそ、彼女が誰かに奪われるまでに、自分の痕を深く根強く付けたいのかもしれない。
阿呆だと思うが、痛々しいほどのその気持ちには、誠に遺憾……、いや、痛恨ながら覚えがあるので何も言えないな。
だが、それもローダンセに着くまでだろう。
どうしても、この主人はあの国の事情に巻き込まれる。
それは、確信に近い予感だ。
そこに根拠はない。
だが、既に縁付いてしまったあの王族が、この主人の存在を無視できない気がしている。
出会いが、人間界だったから気付かれずに済んだ。
あの頃の彼女は、まだ自分の魔力を封印していたため、誰もが、ただの人間という認識だったはずだ。
だが、今は違う。
左手には神官最高位の大神官の法力が籠った「御守り」を身に付け、その身に恐ろしいほどの風の魔力を内包し、一度、歌うだけで「聖女の卵」の一片を拝むことすらできる「歌姫」となってしまう。
多少、誤魔化した所で、敏感な人間はどうしても存在する。
そのためだけに特化し、王族たちに雇われる人間もいるのだ。
さらに周囲にいる人間も普通ではない。
魔法国家の双子の王女殿下たちだけでもおかしいのに、さらに新規追加されてしまった機械国家の王子殿下。
これは一体、何の冗談だ? と、「運命の女神」に問い質したい。
そして、彼女自身がトルクスタンに言うまで俺たちも気付きもしなかったが、それなりの能力を持つ従者を引き抜くために、今後近付いてくる存在もいる可能性がある。
本来、従者……、臣下や部下の引き抜きなんてものは、個人に交渉すべきはずなのだが、二人同時に囲い込むなら、主人ごと引き入れた方が面倒はないと考える短絡的な輩がいないとは限らない。
「考えることが山積みだな」
そう口にした所でそれらが僅かでも減るはずもないのだが、この主人に触れている今ぐらいは、頭から余計なことは抜いておきたい。
俺よりもずっと数奇な運命に巻き込まれがちな主人。
この小さな身体で、どれだけの世界の勝手な条理に耐えなければならないのか?
小柄な身体、か弱い肩、細い手足、そのどれをとっても普通の女性と変わらないのに。
黒く艶やかな髪を撫で、柔らかい頬に触れる。
それでも彼女が起きる様子はない。
やはり、この主人には緊張を解した上で、一服盛る方法が一番、効果的らしい。
俺は、話疲れた彼女に水分を渡しただけだ。
そして、疑うことなく彼女はそれを口に含み……、今に至る。
まさか二日続けて同じように休ませることになるとは思わなかったけれど。
それだけ、自分の大事な愚弟と、あの愚弟のことが気にかかるらしい。
ふとした時に、窓の外を見ようとしているから。
それでも、そんな二人を差し置いて、この場所にいることができることを栄誉に思おうか。
手を伸ばせば、触れる距離。
手を伸ばしても拒絶されない時間。
それを邪魔したければ、二人仲良く、とっとと戻ってこい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




