酷い主人
今更である
「スヴィエートさん、起きませんね」
外は既に暗闇の中。
そんな時間になっても、九十九たちはまだ帰ってこない。
小瓶に入った樹液もそろそろ数が少なくなってきた。
いや、その全てが既に透明になっているのだから、樹液というより薬に近い。
これらはこの暑くなった部屋に放置しているだけで一定の時間が経過すれば完全に睡眠薬になる。
スヴィエートさんの話では、小瓶の蓋を開け、歌を聞かせるだけではそこまで大きな反応もないらしい。
薬を丁寧に混ぜながら歌うと、何故か分かりやすく薬の反応が見られたそうな。
そして、小瓶の蓋を開けずに歌っただけでは完全に沈黙されるとのこと。
聞けば聞くほど、謎素材である。
「『聖女の卵』より、『子守歌』を何度も聞かされたらしいからね。『精霊族』には結構な威力だったと思うよ?」
「でも、スヴィエートさんに向けて歌ったわけではないのに……」
わたしは薬に向かって歌っただけだ。
しかも、それは眠らせる目的はなかったし、何か別の意思を込めた覚えもない。
彼女はその反応を確かめるためにその歌を聞いてはいたけれど、やはりどこか納得いかない。
「まあ、彼女は『精霊族』だから、一週間ぐらい飲まず食わずでも死ぬことはないと思うけどね」
「そんなに長く眠っちゃう可能性もあるんですか!?」
「状況的にはなんとも言えないかな。俺はそこまで長くはないと思っているけれど」
おおう。
なんということだろう。
これは、原因不明の昏睡状態というやつではないだろうか?
「彼女がそれだけ疲弊していたという可能性もあるから、このまま一晩、様子を見たいところだけど、栞ちゃんは構わない?」
「はい」
「……迷いもなく即答されるとちょっと複雑だな」
「へ?」
雄也さんが苦笑したことは分かった。
「言い方を変えよう。彼女が起きないなら、俺がこのままここにいることになるけど、それは構わない?」
「ふえ?」
雄也さんが、このままここに?
少し考えて……。
「はい」
わたしは先ほどと同じ返答をした。
それが何か問題になるのだろうか?
雄也さんも九十九と同じようにわたしの護衛だ。
いつもは九十九が一緒だからあまり雄也さんと過ごす時間は少ないけれど、今はその九十九もいないから、そうなるのは自然な流れだろう。
わたしのお守りをしてくれる予定だったスヴィエートさんも眠ってしまったし、彼女を看る意味でも、雄也さんが近くにいてくれるのは心強い。
「よろしくお願いします」
わたしはそう言って頭を下げる。
だが雄也さんは何も言わない。
疑問に思ってわたしが顔を上げると、雄也さんが目を閉じて、眉間に手を当てていた。
「俺は今、心底、九十九を尊敬している」
「へ?」
目を閉じたままそんなことを言う雄也さん。
九十九を尊敬?
何故に?
いや、兄弟で認め合うことは悪いことじゃないとは思うけど。
しかし、それはそんなに嫌そうな顔をしながら言うことだろうか?
「まあ、栞ちゃんが良いなら良いか」
雄也さんはそう言って目を開けた。
「但し、俺と九十九以外の男にそこまで気を許さないように」
「それは当然でしょう」
わたしもそこまで馬鹿じゃない。
九十九や雄也さんは護衛だから、危険な場所ではわたしの傍にいてくれるだけだ。
そして、この島は、今でも油断ができない場所だ。
だから、雄也さんの判断は間違っていない。
「普通の殿方と一緒に一晩過ごすのは危険ですから」
それはソウの時に十分、思い知ったことだ。
世の中には変わった趣味の殿方もいる。
わたしのような女でも、問題なしと判断して手を出そうとするような殿方だっているのだ。
そして、何よりも、「手を出さない」と言う約束は、寝ぼけている殿方には全く適用されない。
「念のために確認するけど、トルクスタン相手なら?」
「謹んでお断りさせていただきます」
トルクスタン王子には悪いが、わたしはきっぱりと言い切らせていただいた。
そのトルクスタン王子は、わたしに求婚するような変わった趣味の殿方だ。
そんな人に「護衛」を任せて一晩共に過ごすことになったら、それを利用して既成事実ってやつを作ろうとされる可能性がある。
「護衛」が一番危険なのは、九十九だけで十分だ。
最近の彼はいちいち心臓に悪い言動をするようになったから。
でも、九十九はそういった方向性ではこの上なく信用のおける殿方だ。
標的を誘き寄せる目的がない限り、必要以上に、わたしに手を出さなかった。
同じ布団の中で何日も一緒に過ごしたのに。
それは、わたしに魅力がないとも言える気もするけど、それは、九十九自身の口から否定してもらっている。
つまり、単純に九十九の自制心が強いだけなのだろう。
そして、わたしがそこに甘えていることも認める。
だけど、雄也さんは明らかに違う。
この人は大人の男性だ。
その言動からも、女性に不自由していないっぽいから、何もわたしなんかに手を出さなくても良いはずだ。
そういった意味では、九十九以上に信用している。
布団どころか、一緒にお風呂に入った仲だ。
精神的に弱っているところを湯船に突き落としたともいう。
二人の扱いを改めて顧みると、わたし、結構、酷い主人かもしれない。
「それなら安心だ」
雄也さんは笑った。
わたし、どれだけ軽い女だと思われていたのだろうか?
「雄也さんと九十九は護衛だから良いんです。でも、それ以外の男性と一夜過ごすなんてしたくありません」
これは、ソウの時に十分、反省した結果だ。
確かにあの時、精神的にもぐちゃぐちゃになっていて、九十九の近くにいたくなかったし、いられないと思ったけど、それでも、自分のしたことは軽率だったと。
ソウがわたしのことを想っていてくれるって知っていたのに、酷いことをしていた自覚もある。
それでも、あの人の優しさがなければ、あの時のわたしは自分の足で踏ん張れなかった。
自分はそこまで強い女じゃないから。
「随分と信頼されていることは光栄だけど、俺たちも一応、男だよ? 女性に対して邪な考えを持ってしまうことがあるとは考えないかい?」
雄也さんはそんな意地悪なことを言う。
「確かに、九十九や雄也さんは男性です。だから、わたしみたいな女でも少しぐらい邪な考えを持ってしまうことだってあるかもしれません。でも、あなたたちは男性である前に、護衛である以上、考えても行動に移すことはないと信じています」
年齢が一桁の頃から、自分たちの仕事に誠意と誇りを持っている男性たちだ。
そんな人たちが、一時の短絡的な思考で、己れの欲望に負けることはあまり想像ができない。
九十九がわたしにいろいろなことをしたのだって、酷いことをされたのは、「発情期」と呼ばれる期間だけだったし、それ以外はお芝居みたいなもので、「発情期」の時にされたこととは比べものにならないほど軽いものばかりだった。
それに、嘘を嫌う護衛兄弟が、わたしを騙すことはあまり考えられないし、その前にちゃんと警告の言葉ぐらいはかけてくれるとも思っている。
先ほどの雄也さんの言葉が、その警告の一種と言えなくもないのだけど。
つまり、これで何かされてしまったら、わたしの見る眼がなかっただけの話ということになる。
「わたしの護衛であるユーヤならば、勿論、この信頼に応えてくれるでしょう?」
できるだけ、上品に。
そして、気位高そうに笑いながら言ってみる。
参考は、法力国家ストレリチアの王女殿下であるワカだった。
わたしは、彼女以上にちゃんと「王女さま」している女性を知らないから。
この手に扇があれば、もっとワカらしくできたと思うが、わたしは召喚魔法が使えないのだから、そこは諦めた。
他にも「王女さま」はもっと身近にいるのだけど、水尾先輩や真央先輩は、あまり「王女さま」しているところをわたしに見せてくれないから仕方ない。
でも、わたしの言葉に雄也さんは目を丸くした。
あれ?
似合ってない?
確かに、柄じゃないとは思っているけど、そんなに驚かれるほどのことだった?
「勿論だ、我が主」
そう傅く美形の青年は、本当に絵になる。
だから、わたしは思ってしまうのだ。
『頼むから、誰か、紙と筆記具を大至急持ってきてください!! 』
こんな状況でそんな阿呆なことを。
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