本質の変質
どうしてこうなった?
この世界に来て、もう何度目だ? この台詞。
雄也さんから薬の製作を任されて半日以上頑張ったのは良いが、わたしのその頑張りは、どうやら明後日の方向に向かっていたらしい。
今にして思えば、大量生産を頼まれたわけでもなく、効果の変質を頼まれたわけでもなかった。
それなのに、薬を大量に、それも、品質も変えてしまったっぽい。
本質を取り違えて、暴走してしまった。
でも、そのこと自体にお咎めは一切なかった。
調薬好きな王子殿下と、調薬好きな護衛が確実に興味を引くものが出来上がったので、渡せば、喜んで勝手に調べてくれるだろうとのこと。
だが、わたしの初めての薬製作の結果は、好奇心旺盛な護衛の探求心も大きく刺激してしまったらしい。
その結果……。
「ううっ」
「やっぱり恥ずかしい?」
「は、恥ずかしい……です……」
わたしは辱めを受けていた。
いや、これだと語弊があるな。
わたしは雄也さんの前で恥ずかしい思いをすることになった。
「九十九や彼女の前では平気なのに?」
「そ、それでも改めてとなると、恥ずかしいです」
九十九は良い。
彼とは人間界にいた時にカラオケに行った仲だし、それ以外でも近くにいることが多いため、歌っているところは既に何度も見られている。
最近だって一緒に歌った。
スヴィエートさんは、鼻歌をうっかり聞かれた時、警戒心が強かった瞳が和らいでくれたのだ。
さらに、あのキラキラした瞳で「お前の歌、もっと聞きたい」なんて言われたら、情が湧くというものだろう。
ずっと懐かなかった猫が、頭を摺り寄せてきたような瞬間であった。
でも、雄也さんは違う。
慣れてないのもあるけど、歌って……、真面目な顔してそんなにじっと見つめるものですか?
それを意識したら、薬を混ぜながら歌うなんてことができなくなってしまったのだ。
「栞ちゃんの歌は港町も聞いているのだけど……」
「そうなんですけど……」
あの時とは状況も違い過ぎる。
妙に緊張するのだ。
自分の一挙手一投足を見逃さないような強い視線を意識したら、もう下手なことができない気がした。
「ふむ……」
雄也さんは少し考えて……。
「あまり混ざりモノは入れたくなかったんだが……」
そう言いながら、雄也さんはどこからかギターを取り出した。
九十九も持っているのだから、兄である雄也さんが持っていても驚かない。
弾けることも聞いていたしね。
そして、椅子に座って足を組み、調律を始める。
その姿を見て、「歌よりあなたの絵を描かせてください! 」と、思わずそう叫ぶところだった。
雄也さんの調律する姿は実に自然で、何よりそれだけで絵になっている。
ギターを支えるためみたいだけど、足を組んだ雄也さんってレアなのだ。
稀少価値なのだ。
調律が終わったのか、指慣らしを始めた。
ギターでも指慣らし……で良いよね?
その姿も絵になる。これは、どこの芸能人のプロモーションビデオでしょうか?
そして、指慣らしのはずなのに上手い。
今、雄也さんが弾いているのは、わたしでも知っている映画の曲……だったはずだ。
その映画自体は観たことはないのだけど、ギターの練習曲としては有名な曲だったので知識として知っている曲だった。
わたしも、この曲はピアノなら初心者向けにアレンジされていれば、弾けなくもないが、それでもここまでテンポを速くされると左手がついてこない気がする。
しかし、この曲って歌詞もあるのかな?
曲としてしか聴いたことがない。
「久しぶりだから少し感覚が違うな」
ボソリと呟かれたその声もいつもと違う。
自分に向けられた声じゃなくても、良い声ってやつはそれだけでポイントが高い。
何のポイントか?
勿論、ときめきポイントだ。
この兄弟はいつだってそのポイントで高得点を出してくれるから本当に困るよね。
毎度ながら、心臓に悪すぎる。
雄也さんのこの行動の意味が理解できないわけではない。
そうまでして、わたしが歌いながら薬を混ぜる所を見たいのでしょうか?
見たいんですね。
だけど、スヴィエートさんが眠っているからどれくらい歌えば良いのかな?
「ほとんどの樹液が5分ぐらいで満足しているみたいだから、それぐらい歌ってくれるかな?」
心……、読めませんよね?
恭哉兄ちゃんといい、九十九といい……、この世界にはわたしの心を読めるのではないかと疑いたくなる殿方が多すぎるのは何故だろうか?
そして、5分?
何故、それが分かるのだろう。
「それとも、やっぱり俺の前で歌うのは嫌?」
そんな不意打ちに鼻血が出るかと思った。
一気に体温が上昇し、顔まで赤くなっていることが分かる。
ただでさえ、顔の良い御仁がそこで色気を漂わせる意味が分からない。
しかも、いつものように「嫌かな? 」「嫌かい? 」ではなく、「嫌?」というどこか胸の内を擽るような言い方はズルいと思う。
「大丈夫です」
まだ緊張はしているけど、伴奏がある分だけ気は紛れるだろう。
「リクエストは何かある?」
「こっちがリクエストする側なんですか?」
演奏者が何を弾けるかも分からないのに。
「先ほどの栞ちゃんが歌った歌なら全部弾けるから大丈夫だよ」
さらりと言うけど、結構な量を歌った気がするのに、その全てが弾けるのか。
しかも、この美丈夫は、ギターだけでなく、バイオリンまで弾けてしまうのだ。
港町での演奏は本当に見事だった。
多才すぎるよね。
でも、実は努力型なのも知っている。
勿論、ある程度の才能もあるのだろうけど、九十九の話に「兄貴にやらされた」「兄貴から仕込まれた」などと「兄貴から~」という言葉がよく出てくるので、雄也さんも弟に指導するためにいっぱい勉強したのだと思っている。
自分ができないこと、知らないことを誰かに教えるなんてできないからね。
しかし、リクエストか……。
何が良いだろうか?
わたしは少し考えて、無難な日本古謡を選ぶ。
「では、『さくらさくら』で」
これは以前、港町でも歌っている。
まあ、うっかり魔法が溢れてしまった歌でもあるのだけど。
そして、スヴィエートさんにも気に入られた曲の一つだ。
彼女は何故か、テンポのゆっくりめな和風の曲が好きらしい。
「桜が好きなの?」
「はい」
桜は日本を表す代表的な樹木だ。
だから、この歌を歌うだけで人間界を思い出してしまって、少しだけ切なくはなるのだけど、それでも桜が好きなのだから仕方ない。
かの有名な一休宗純の言葉にも「花は桜木、人は武士、柱は檜、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」とあるぐらい、日本人の心に根付いた植物。
昔は短歌で読まれた花と言えば「梅」だったが、気が付けば「桜」に変わっているというのも古典好きなら有名な話だろう。
自分の誕生日を考えれば、「桃」であるべきかもしれないけれど、わたしが「桃」と名前がつく歌ですぐに出てくるのは、御伽話を基にして作られた童謡の「桃太郎」ぐらいだ。
それは明らかに方向性が違う。
実はフルで歌えるけどね。
「分かった。それでは、歌姫を独り占めする栄誉を賜ろうか」
雄也さんは冗談めかしてそう言う。
しかし、薬を混ぜながら歌う「歌姫」とは一体……。
だけど、そんな脳内で突っ込んでいるわたしを気にせず、雄也さんが前奏を弾き始めてしまった。
ゆっくりとしたテンポで、優美で柔らかい音が響く。
ここまでお膳立てされては仕方ない。
わたしも歌い始めることにした。
同時に手もちゃんと動かす。
こっちが本来の目的だからね。
周囲が暑いため、既に透明になって数時間の樹液をぐるぐると掻き混ぜながら、わたしは歌う。
歌は不思議だ。
人間界のカラオケとかではあまりそう思わなかったのに、この世界に来てから特にそう思うようになった。
歌い始めると周囲の音が全く気にならなくなる。
耳には入るのだけど、頭に残らない。
港町で歌うことになった時もそう思った。
酒場の人の声も人の気配も気にならなくなり、歌だけにこの神経が集中していく。
でも、雄也さんのギターの音はしっかり耳が拾っているようだ。
これってどんな状態なんだろう?
だけど、まあ、結局のところ、わたしは歌うことが好きなのだろう。
気が付いたら、雄也さんに誘われるまま、夜が更けるまでたっぷりと歌うことになってしまったのだった。
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