不思議な言葉が聞こえた
「ところで、栞ちゃんは彼女が倒れる直前まで何をしてたの?」
リヒトは特に何も言っていなかった。
だから、薬製作に勤しんでいたのだとは思う。
だが、問題は、そこで、何が起きたのか? だ。
気を付けないと、俺もあの「綾歌族」の二の舞になる恐れがあるため、今のうちに原因を探っておくべきだろう。
「部屋全体を温室にして、薬の加工をしていました」
「かなり暑くしたね」
温室にすると報告を受けていたので、室内が暑くなることは分かっていた。
だが、湿度を高めているためか、想像していたよりも、この室内はずっと暑く感じる。
「温度計や湿度計がないからはっきりと分かりませんが、何もしなくても瓶の中にある薬の色が薄くなる状態に調整しました」
なるほど、室内の環境を小瓶内の薬の素の変化で調整したのか。
彼女が言うように、周囲に置かれている瓶は全て、薬として効果が出ていると思われる無色透明となっている。
瓶の中の液体は、室温が一定ならばその温度に近付くはずだ。
実際は、様々な要因で伝達する温度がやや下がるから、この周囲は40℃ぐらいの室温なのだろう。
湿度を上げたのは、中にいる人間たちの身体への負担を考えてのことか。
だが、瓶の中身の温度を人肌に近付けるには、40℃の室内に置くよりも、50℃のお湯に瓶を浸ける方が良い気がするが、そこで何故、湯煎を選ばなかったのだろうか?
確かに大量生産には良い気がするが、心身ともに負担が大きい。
普通なら。
だが、自分の主は、普通ではなかった。
周囲の環境を全て変化させるのは結界の一種だ。
何の道具の助けもなしに数時間もそれを維持した上、今も平然と会話を続けている。
その魔力の強さと魔法力の多さには脱帽するしかない。
そして、それが自分にできるかと問われたら、「しない」と返すだろう。
いろいろ無駄だから。
「まさか、渡した素材を全部一気に加工する方向に挑むとは思わなかったよ」
俺は苦笑するしかない。
普通に温めてのんびりと薬を作ってくれるだけで良かった。
主人の手ずから作られたものというのはそれだけで価値が高い。
愚弟など、大金を積んでも手に入れたがるだろう。
それに、普通の人間と「聖女」の素質を持っている人間が作り出す薬の効果というのも見てみたかったという好奇心もあった。
この世界に「薬師」という職業がないのは、この世界でも素材の扱いの難しさだけでなく、同じ調合でも効果の強さが変わり過ぎる点にもある。
作ろうとする物によっては本人の体調、気分にも左右されるため、料理と同じように何らかの法則性はあるのだろうが、今現在分かっているのは配合と手順さえ間違えなければ、一定の品質は保証されることぐらいだ。
それは、どこかの機械国家の第二王子が作った調薬手順でも証明されている。
調薬のみではあるが、同じ条件を整えれば、効能の種類は変わらず、効果の出方が変わるだけらしい。
意外と自称「薬師」は多いのだが、その効果の強さが一定でないため、なかなか職業にはできないのはそこにあるのだろう。
そして、味に拘れば良い料理と異なり、薬はその効果こそ重視される。
本来は、不安定なはずの料理でも薬でも、一定以上の効果が保証できるあの弟は、この世界でも「異常」だろう。
その理由について心当たりはある。
あの弟が、主人同様、どこか異質な点があるのは……。
「いっぱい作るのは駄目でした?」
そんな言葉で思考の渦に呑まれかけていたことに気付いた。
確証のないことを今は考えても仕方がないことにも。
見ると、不安そうな黒い瞳が俺を見ていた。
「いや、大丈夫だよ。あれら全ては栞ちゃんに任せたものだからね」
幸いにして素材は大量に手に入る場所だ。
そして、失敗しても危険はない。
仮に好奇心で冷やしたとしても、苦みが強く、ドス黒い塊ができるだけだとは聞いている。
その上、冷やしたものは、苦いだけで睡眠導眠剤としての効果もなくなるらしい。
そんなものを既に試しているあの弟もどうかと思うが……。
「駄目な時は駄目って言ってください」
慰められたと思ったのか、主人はそう言うが……。
「別に駄目じゃないよ。俺にはない視点、発想は純粋に面白いから」
自分に思いつかないような言動は、それに触れるだけでも刺激となる。
さらに、その言行によって、新たな結果が伴えば言うこともない。
「小瓶があちこちに置かれている理由を聞いても良い?」
恐らく、人間界で培った観察記録のような実験をしてみたのだろう。
単純に薬を作るのではなく、その際にいろいろ試してみようとする好奇心は、あの弟の影響だけではないと思う。
「ああ、それは、熱源に近い位置と遠い位置で効能の差が出るかなと思って、いくつかいろんな場所に置いてみました」
「熱源?」
「わたしがこの部屋を温室にする時、この中心っぽい場所で魔法を使ったんです。そのためか、中央が一番温かくなったようで……」
「中心……。ああ、ここか」
言われた場所に手を置いてみる。
熱いだけではなく、かなりの魔力がそこに集まっていることが分かった。
残留魔気が強すぎる。
この環境を整えるために、何度、この場所で魔法を使ったのだろうか?
「それで、机に並べられている小瓶が多いのは何故?」
この部屋に入ってきた時からずっと気になっていた本命に触れる。
少し離れた場所にある机の上に、小瓶が整列しているのだ。
なんとなく、出荷待ちの製品を思い出すような整然とした並びで、いろいろな場所に置いた実験とも違う扱いだった。
そして、綺麗に並んではいるが、実験の結果を見比べやすくするためのようにも見えない。
あれは、渡した瓶のほとんどが並んでいるのではないだろうか?
「ああ、こっちの瓶たちは別の方法を試している所だったんです」
「別の方法?」
しかも「試している所」と言った。
彼女の中でその実験は終わっていないらしい。
「最初は単純に瓶を手に持って振ってみたり、ガラス棒で中身を掻き混ぜたりしていたのですが……」
ふと主人は、眠っている「綾歌族」の女性を見る。
あの女性が関係しているらしい。
「わたし、掻き混ぜている時に鼻歌を歌っていたらしいんです」
「鼻歌を?」
確かに、この主人は機嫌が良いと時々、歌を歌っている。
薬作りは楽しんでもらえたようだ。
「はい。それで、それを見ていたスヴィエートさんが、『その水が喜んでいる』って言ったので……」
「水が……、喜ぶ?」
不思議な言葉が聞こえた気がした。
理解ができないわけではない。
自分の近くにいる長耳族も、そんな不思議な言葉を、時折、口にするから。
「なんでも、スヴィエートさんは、動植物の音が聞こえるらしいのです」
そう言えば、「綾歌族」の女性は、「長耳族」の血も入っているらしいな。
「自然とともに生きる長耳族の特性だね。彼らは動植物と心を通わせるというから」
「それで、混ぜながらいろいろな音を出してみた結果、やはり歌が一番喜ばれたみたいで……、いろいろ歌いながら混ぜた結果が、この机にある液体たちです」
そう言いながら、今から販売する商品の説明をするかのように、並んでいる薬たちを紹介した。
「これは全部、鼻歌で?」
「いえ、ちゃんと歌いました」
なるほど。
「聖女」の歌で作られた薬。
それだけ聞けば、神官たちがこぞって大枚をはたくことだろう。
尤も、愚弟がそれを越える価格で買い占める気がするが。
「これがその記録です。何の歌を歌って、その結果、薬がどんな反応を見せたかが書いてあります」
しっかり歌とその結果も記録してくれていたらしい。
この暑さの中、薬を混ぜながら歌うことだけでも大変だっただろうに。
だから、しっかりと彼女たちの成果を拝見させていただこう。
弟とは違った可愛らしい文字で、歌のタイトルとそれを見た「綾歌族」の女性が薬の反応を見た感想が書かれている。
少しばかり独創的で、感覚的でもある言葉ばかりだったが、そのまま記録してくれたのだろう。
言いたいことは伝わった気がする。
記録には机に瓶を置いた位置も書かれていた。
それよりは、瓶にも印を残した方が後で困らないだろう。
俺は粘着テープを取り出し、それらの記録に合わせて一文だけ「綾歌族」の感想を書き、瓶に貼っていく。
「なるほど……。栞ちゃんはいつも、予想外の結果を齎してくれるね」
全ての小瓶にシールを貼り付けた後、その中の一つを手に取って素直な感想を述べる。
記録の中でも、この瓶は外に出せないものだとはよく分かった。
この「聖歌」と書かれた瓶だけは、大神官に相談して、対処が必要となるだろう。
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