穴があったら
「しかし、随分、いろいろ歌ったみたいだね」
雄也さんがわたしの記録を見ながらそう言った。
「の、ノリと勢いで……、つい……」
穴があったら入りたい。
そして、そのまま埋まっていたい。
調子に乗って歌いまくった結果、護衛担当の人間を眠らせてしまうなんて、なんてヤツなんだろう?
「そして、意外にも邦楽は少ないんだね」
「しっかり覚えている歌じゃないと、薬が満足してくれないみたいです。間奏部分でもないところで不自然に途切れたり、詰まったりすると駄目らしくて……」
「薬が満足する……」
雄也さんが呟く。
「そうなると、人間界にいた頃に覚えていた流行りの歌なんかはちょっと自信がなくて……。結果、短い童謡や、学校で何度も練習した合唱曲ばかりになっちゃうんですよね」
何より、普通の邦楽よりも童謡の方が、薬の反応も良かったのだ。
アニメソングを含めた邦楽も、フルならそこまで反応は悪くはなかったが、それでも声に伸びが出る合唱曲には遠く及ばないらしい。
いや、確かに練習したから歌いやすいし、声も出しやすかったのだけど。
そして、童謡は最近歌ったから歌詞を間違えることもほとんどない。
さらに短いので何度も歌える。
何度も繰り返すうちに、スヴィエートさんも一部の歌は覚えたみたいだし。
「小学校と中学校の校歌もあるみたいだけど……」
「間違いなくフルで歌える歌なので」
わたしがそう言い切ると……。
「違いない」
雄也さんも苦笑しながらそう答えてくれた。
薬たちの反応も悪くなかったことが嬉しい。
校歌はその学校を卒業するとほとんど歌うことはなくなる。
だから、こんな形でも歌えたことは妙に嬉しかった。
「だが、中でも一番、気になるのは『聖歌』だね、『聖女の卵』さん」
「あう……」
どこか含みを感じる雄也さんの言葉。
それは当然だ。
わたしは、あの港町で歌姫をやった後、恭哉兄ちゃんから、暫く、人前で「聖歌禁止令」なるものが出されている。
あの港町では「聖歌」を歌いはしなかったが、普通の歌でもわたしは自分の魔法の制御ができなかったのだ。
そんな状態で「聖歌」を歌えば、また何らかの形で「聖女」っぽい力が表れる可能性はあるそうだ。
流石に大神官の補助なしで、「神降ろし」をさせることはないだろうけど、誰の目にも分かりやすい奇跡が視えてしまえば、隠し通すことができなくなる。
どうやら、「聖女」とか関係なく、わたしは歌で魔法が暴発しやすいらしい。
歌に感情を込めやすいせいだろう。
それでも、普通の歌ならそこまで大きな問題にはならないだろうが、「聖歌」自体、歌える人間が限られたものだ。
万一、神官たちの耳に入れば、誤魔化すことが難しくなるとも言われた。
もともとわたしは「聖歌」を口ずさむことはない。
だが、今回はうっかり歌ってしまったのだ。
「ふ、フルで歌えるし、いろいろな歌を試したくてつい……」
我ながら阿呆な理由である。
好奇心に負けたともいう。
「それで、『神扉』は開かれた?」
「まさか!」
そんな奇跡が起きたら、流石に雄也さんも離れていても気付くだろう。
「でも、薬は光り輝いたんだね?」
「……はい」
それはわたしにも分かる変化だった。
薬が喜ぶというのを目で見ることになるとは思わなかったのだ。
だから、歌ったのは一回だけ。
それ以上は流石にいろいろとまずいことはわたしでもよく分かった。
「そして、薬も大満足だったと」
「はい。ご不満ではなくて良かったです」
あれだけ光ったのが、実は怒りからくるものだったら目も当てられない。
「でも、スヴィエートさんを怖がらせてしまいました」
「怖がらせて?」
「わたしが歌った『聖歌』は怖い……そうです」
アレは少しショックだった。
これまで何度か「聖女の卵」として、人前で「聖歌」を歌うことはあったのだが、皆、褒めてくれた。
それで、少し調子に乗ってしまった部分が自分の中にあったのだろう。
だが、精霊族の彼女はそれを怖いと言った。
それも音に敏感な精霊族が。
つまり、褒めてくれた人たちは、「わたしの歌」を褒めていたのではなく「聖女の卵が歌った歌」だから、褒めてくれたのだ。
そんなことに今更気付くなんて、自惚れがすぎるとしか言いようもない。
「聖女の卵」でなければ、ただの「高田栞」に何の価値もないのに。
いや、違うな。
わたしが「聖女の卵」でなくても、どこかの中心国の王族の血を引いている以上、無価値ではないのか。
だからこそ、手配書はどこまでも追ってくる。
その中身が伴わないままに。
「彼女は『綾歌族』であり、『長耳族』でもあるからね。本物の『神力』を間近で見れば、本能的に畏怖や畏敬の念を抱くのは当然かな」
「いふ?」
本能的に畏怖……、恐れと、畏敬……敬い?
「精霊族は神の人間と違って、本当の意味で神に逆らうことができない。だから、怖いんだよ。いつだってきまぐれに、自分に対して絶対的な命令を下せる存在だからね」
「絶対的な……命……」
言いかけて止まった。
その言葉は、雄也さんの前でわたしが使うわけにはいかない。
「神の言葉は精霊族たちにとって、『命呪』に等しいと言えば、分かる?」
「――――っ!?」
雄也さんの言葉に思わず息を呑んだ。
彼の言った「命呪」。
その言葉にはわたしも覚えがある。
わたしの護衛である彼らに深く刻まれた「絶対的な命令」。
「精霊族にとって、神の言葉はそれほど強い強制力を持つんだ。だから、本物の『神力』を使う神官や神女は恐ろしい存在となるだろうね」
知識としてそれはあった。
だが、具体的に言われると実感する。
強制力の強すぎる命令は、相手の生殺与奪すらできてしまうことを。
ああ、それで、「祖神変化」までしてしまう「人間」を恐れることになるのか。
「でも、普通の歌なら大丈夫だったのか。それなら、栞ちゃんの歌は『聖歌』以外、普通の歌だってことなんだね」
それは言い換えれば、「聖歌」は普通の歌ではないということだろう。
同じように歌っているのに、何が違うのか?
「でも、普通の歌でも、この薬は喜ぶらしいですよ?」
そこが分からない。
スヴィエートさんの話では、わたしが何を歌っても、光り輝きはしなくても、何らかの反応を見せるらしいのだ。
「精霊族が見れば、俺や九十九の歌でもその薬が喜んでいるところを見るかもしれないよ?」
ああ、なるほど。
この場合、わたしが特別ではなく、この薬の素が特別だってことか。
何故か歌に反応して、喜びなどの感情の音を見せるという不思議な素材。
そして、それを見ることができるスヴィエートさんの眼も特別ってことになるね。
納得、納得。
「ただ、あの女性が見た薬の感情というものが、実際の効能として、どんな形で現れているのかが分からないね」
「そうですね……」
スヴィエートさんが見ている「音」は、彼女の視点の話だ。
実際に薬に影響があったのか、なかったのか。そして、影響があるとすれば、どんな効果として現れるのか。
それらが全く分からない。
「幸い、治験者には困らない状況にあるわけだが……」
それって「精霊族」たちを使って、人体実験したいってことですよね?
「その方法は、栞ちゃんが嫌だよね?」
「はい!」
それは当然だ。
それでなくても、ここの精霊族たちはわたしのせいで怪我を負わされ、さらにはそれを放置されている。
しかも、わたしが「祖神変化」とやらをやったせいで、精神的にも「恐慌状態」にあるらしい。
そんな状況で、さらに薬の人体実験に使うとか鬼畜の所業だろう。
「精霊族と人間でも効果が変わりそうだから、気にはなるんだけど……」
雄也さんは、何かの効果があると思っているらしい。
「少なくとも、本人たちの意思もなく、治験者にするのは嫌です」
だから、わたしはきっぱりと言い切る。
そう言えば、雄也さんはその手段を選ばないと分かっているから。
「栞ちゃんは彼らのことを考えてそう言っているのだと思うのだけど、今のは少し良くない一手かな」
「へ?」
だけど、雄也さんが何故か笑いながらそう言った。
「この場にいる『精霊族』は、誰一人として、『祖神変化』を起こしたキミに逆らうことができなくなった。その姿を直接見ていなかった『精霊族』たちも、あの瞬間、神に近しい存在が具現化したことをその本能で感じただろう」
その言葉で思い当る。
「そ、それってつまり……、わたしが言えば、彼らは自分の意思と関係なく、断ることができない……と?」
「そうなってしまうね。そしてそれを知っても、キミは彼らの意思を確認するかい?」
「それは、嫌……です」
それでは何の意味もない。
「精霊族」たちに意思確認することが、逆に「強制命令」に等しいなら、逆に何も聞かない方がマシだろう。
「まあ、薬の効果については、専門家たちが戻ってくるまで待つことにしようか」
雄也さんは、わたしを慰めるようにそう言って、頭を撫でてくれたのだった。
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