任されたからには
『ところで、お前は何をやっているんだ?』
先ほどからわたしが小瓶の液体を揺らしているだけなのが気になったのだろう。
スヴィエートさんが質問してきた。
「雄也さんから頼まれて、調薬……お薬を作ることになったのですが……」
時間はかかるが、温度管理さえ適性ならそこまで難しくはない調薬だという。
人肌ぐらいの温度で一週間の保存。
熱に強くないので、あまり温めすぎてはいけないらしい。
樹液を小瓶に入れて保温するだけのものを、果たして調薬と言って良いのかは謎である。
だが、それなら危険もなく、わたしにもできそうだとは思った。
但し、問題はその手段である。
どうやって温めようか?
ずっとその温度を保つというのが結構、難しい。
先ほどからそれを考えていたのだ。
失敗しても良いとは言われている。
でも、任された以上、失敗はしたくない。
「わたし、薬を作るのって初めてなんですよ」
普通に生きてきたら、調薬、調合なんて縁がない行為だろう。
それは人間界だけではなく、この世界でも同じだ。
この世界には魔法があって、それを代用するような「薬品」など、わざわざ使わなくても生きていける。
だから、薬効耐性なんてない人間が多くなるし、病気に対抗する手段も発展しなかったのだろうけど。
でも、わたしの身近にいる人間たちはその「薬品」の有用性を知っている。
そして、目的のために手段を問わない部分もある。
そんな彼らの主人であるわたしが「薬」に対して無知でいて良いはずもない。
油断すると、主人に一服盛ることも手段として使うことを躊躇わないような護衛たちだと知っているから。
『くすり……。あの飲むと眠ってしまうヤツか?』
「今、わたしが手に持っているのはそうですね」
このままでも精霊族には効果がある薬。
でも、薬はいずれ、耐性が付く。
少しずつ成分を変えていく必要があるらしい。
尤も、この場所にこれからさらに一週間以上滞在するかは未定だ。
でも、九十九たちや真央先輩たちがいつ戻ってくるかは分からない。
それならば、念のため……ということらしい。
わたしの気分転換の意味もあるのだろう。
『お前に作れるのか?』
馬鹿にしたわけではなく純粋な疑問なのだろう。
「さあ? この薬で爆発することはないと思いますが、分かりませんね」
そんなに危険なものなら、雄也さんはわたしに扱わせないと思う。
でも、この世界の料理や調合はまだよく分かっていない部分が多いのだ。
本当に危険がないとは、調薬の研究を続けているトルクスタン王子や九十九にだって言い切れない。
『ば、爆発だと!?』
「わたし……、料理で4回ほど爆発させたことがあるんですよね」
ストレリチア城でお世話になっている時や、大聖堂にて保護されている間にやらかしているのだ。
その全てがストレリチア国内……、というよりも、ストレリチア城内というのがちょっと悲しい。
仮にもわたしは「聖女の卵」だというのに、神のご加護はいずこにあるのか?
爆発といっても、鍋の中で調理中のものが弾けるとかその程度の小規模なものだ。
自分や部屋を吹き飛ばすほどの威力はない。
ただ、頑丈なはずの鍋の蓋にヒビが入ったことはある。
この世界の料理は調理中に状態変化を起こしやすいので、調理器具はかなり頑丈だ。
フライパンで殴打した相手の物理耐性が弱ければ瀕死となることも、……って、それは人間界でも同じだったか。
鉄のフライパンって割と凶器だよね。
でも、この世界の調理器具って、本当に頑丈なのだ。
料理青年である九十九が扱う物は、ちょっとした魔法なら跳ね返してしまうほどだったりする。
彼は護衛だから、いつ、いかなる状況でも対応できるようにということだろうか?
思い起こせば、店先で売っている調理器具で、九十九の御眼鏡に適う物って、少ない気がする。
彼はいつもどこからか調理器具を手に入れてくるのだ。
背中に仕込んだ刺身包丁で敵対する相手を撃退しちゃうような人だから、この世界の、平均的な料理人とは違うのかもしれない。
『お前の言う「りょうり」って……、食べ物のことだよな? 爆発することもあるって、そんな危険な行為なのか!?』
「『赤の大陸』に住む人たちにとっては爆発することは日常風景らしいですよ」
「赤の大陸」……、人間たちで言うフレイミアム大陸に住んでいた水尾先輩と真央先輩が遠い目をしながら言っているから間違いないだろう。
その結果、変質しにくい調理法ばかりになっていくらしい。
その中でも、料理中によく使われる油があって、それで肉や魚などをコーティングすると、変化が起きにくくなるそうな。
その話を九十九にしたところ、彼にはその油に心当たりがあったようで、「見た目だけで、味をぶん投げる手段だな」と言っていた。
それを聞いた水尾先輩と真央先輩の顔は、これまでに見たこともない種類のものだったと付け加えておこう。
「まあ、今回作るのは食べ物ではなくお薬なので、大丈夫でしょう」
『ま、待て!! 爆発することがあるなら、アタシは止めるぞ!!』
何故か慌てるスヴィエートさん。
「でも、頼まれましたから……」
その工程も難しくないから大丈夫だろう。
冒険心を起こさなければ、失敗することはない。
『ちょっと待てって!!』
「えっと、どうやって温めるかな」
『わざわざ温めて爆発させる気か!?』
「爆発が前提……、爆発すると決めつけて話さないでくださいよ。この薬を使いやすくするためには温めた方が良いってだけです」
わたしが一度使った物騒な言葉をいつまでも引きずられても困る。
ちゃんと説明して、理解してもらわないとね。
この睡眠薬の素は、熱くすると消えてしまうとは聞いている。
そうなると、冷やせばどうなるのだろうか?
今度、九十九に聞いてみよう。
この世界の料理や調薬に関しては、冒険心、ダメ、絶対!
それぐらい、わたしにも分かっているほどの常識だ。
「良い案はありますか? スヴィエートさん」
『あ?』
念のために意見を求めてみる。
自分一人で考えるのって、限界があるから。
「体温と同じくらいの温かさに保つことが大事らしいです。そうすれば、爆発することはないと聞いています」
『たいおん?』
「えっと、人間の身体と同じくらいの温かさ……、ですね」
具体的には35度から37度の間?
でも体温計も温度計もないこの世界ではその具体的な温度は伝えにくい。
『人間の身体と同じくらいの温かさ?』
そう言いながら、スヴィエートさんはわたしの手を握った。
実際に、触れて確かめたくなったようだ。
『温い』
まるで、お湯のような表現をされた。
でも、言いたいことは分かる。
スヴィエートさんよりも、わたしの方が体温は低いようだ。
「スヴィエートさんは熱いですね」
わたしを握る彼女の手は、高熱が出ている人に似ていた。
でも、平然としているように見えるから、体調不良ではないのだろう。
これは種族の違いというやつだろうか?
でも、長耳族のリヒトはそこまで熱いと思ったことはない。
何度か触れたことはあるが、どちらかと言えば、わたしよりも低い気がする。
この薬の素は高熱じゃなければ消えることはないと聞いている。
それなら、触れることができる程度に熱い分には問題ないだろう。
わたしはぎゅっと小瓶を握る。
瓶……、玻璃を通す分、わたしの体温では温度が低くなるかもしれない。
人肌ぐらいの温度の管理ってどうすればできるのだろう?
こうずっと握っているのも難しいよね?
そうなると、通信珠のように小袋に入れて肌に密着させる?
それだともっと熱の伝導が悪くなるかな?
九十九なら魔法で管理できるだろう。
でも、わたしにそれができるだろうか?
作るのは温室?
温室効果の魔法?
寝ている間もそれを維持できるかな?
人間界の料理で言う湯煎みたいに、密封してお風呂に浸けてみる?
でも、その間、お風呂が使えなくなっちゃうのは嫌だな。
そして、流石に人が入ったお湯に浸けたくもない。
考えれば考えるほどドツボにハマっていく気がする。
素材の特性を知っていても、その通りにするって難しい。
九十九はいつもこんな悩みを抱えていたのかと、「薬師になりたい」と口にしていたこの場にいない青年の顔を思い浮かべるのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




