【第77章― 試行錯誤 ―】笑顔で脅す娘
この話から77章です。
よろしくお願いいたします。
「どうしてこうなった?」
わたしは目の前にある瓶を見つめながら、いつものようにそう呟いた。
『それはアタシの言葉だ』
小さな声で言ったつもりだったのだが、すぐ傍にいる褐色肌の女性にも聞こえていたようだ。
誰が見ても分かりやすいほど不服そうな顔をしながら、彼女はわたしにそう言葉を返す。
『アタシはリヒトの傍にいたいのに、ユーヤがリヒトは働かせるからダメだって言って断られたんだ』
そして、分かりやすく頬を膨らませる。
雄也さんは九十九がいないために、リヒトをその分使うと言っていた。
リヒト自身は、「九十九並に扱き使われたら、ほとんどの精霊族は過労死する」と苦笑していたが。
しかし、いつの間にか、この「綾歌族」のおね~さんは、雄也さんのことを「ユーヤ」と呼ぶようになっている。
謎だ。
『だが、何故、お前の護りをアタシがしなければいけないんだ!?』
うん。
わたしもそう思う。
何故か、雄也さんがそう提案したのだ。
なんでも、わたしが近くで動くと、怪我をしている精霊族たちにとって、精神的によくないらしい。
精霊族たちは一部の例外を除いて、薬で眠らされているというのに。
わたしは一体、何をしでかしたんでしょうね?
それだけの傷を負わせたことは理解しているが、その全てを覚えていないところが本当に困ってしまう。
眠っている相手に近付くことも許されない。
そして、そんなわたしにも雄也さんから直々の使命が与えられる。
「栞ちゃんにはその眠る薬を作ってもらいたいんだ」
まさかの調薬任務だった。
人選の誤りとしか思えない。
でも、今は人手が足りないのだ。
そこは仕方ないだろう。
あの精霊族たちの集落はまだ何かあるかもしれないので、自分の身を確実に護れる保証のないわたしは近づけない。
そして、怪我をした精霊族たちの様子を見ることもできない。
そうなると、できることが限られてしまうのだ。
これが、いつものように九十九がいれば話は少し違っただろう。
でも、まだ帰ってくる様子はなかった。
彼が飛び立った方向を見ても、青い空が広がっているだけで、白い雲以外のものが見えない。
でも、その調薬も間違いなく大事な仕事だ。
いつもは九十九の仕事でもある。
それを任されてしまったのだから、頑張るしかないだろう。
そして、彼女……、綾歌族のおね~さん、改め、スヴィエートさんは、そのわたしの護りを任されたらしい。
それも、髪の毛一筋の傷すら許さないというほどの厳命だとか。
勿論、ただではなく、ちゃんと彼女にも見返りはあるそうな。
彼女は彼女の望みのために、わたしの「護り」……いや、「お守り」をすることになったということになる。
でも、なんだろう?
その字面だけ見ると、そこまでかけ離れた意味ではないはずなのに、フリガナ一つで、印象が大きく変わってしまうという日本語の不思議。
『そんなわけで、お前は一切、この場から動くな!』
「そんな無茶苦茶な……」
雄也さんから任された調薬の材料にはサトウカエデ……、違った、ルピエム? とかいう名の木から採れる樹液が必要だ。
ただその木は例の集落に生えており、わたしは樹液を取りに行くことができない。
そのために雄也さんが用意してくれたものを使って調合していくことになると思うのだが、わたしは調薬に慣れていないのだ。
絶対に素材を無駄にする自信がある。
そうなると、素材の消費は早く、追加素材をまた雄也さんに頼むことになるのだ。
その時は、自分から雄也さんの元へ移動するべきだろう。
『無茶じゃない。お前を捕まえて縛り付けておけば良い!』
そんな極論が飛び出した。
だが……。
「そんなことするなら、わたし、全力で抵抗しますよ?」
そうなれば、確実に傷を負うことになる気がする。
「そうなると、怪我しちゃいますよね?」
主にわたしが。
この女性が襲い掛かってきても、わたしがそれに反応しきれる気がしない。
前に、鳥に変化した彼女に襲いかかられた時は、九十九が対応してくれた。
でも、今は彼がいないのだ。
うん。
一方的に羽が突き刺さる未来しかないね。
『お前……』
だが、何故か顔が蒼褪めるスヴィエートさん。
ぬ?
わたしは、何か変なことを言った?
『それは脅し……、というやつか?』
「脅し……?」
言われて考える。
この人は雄也さんから「髪の毛一筋の傷すら許さない」と言われている。
そんな人がわたしに傷を負わせたら、雄也さんが怒る気がした。
そして、時間差で九十九も。
それは、確かに脅しと言えなくもない。
「わたしを縛り付けるなんてこと言うからですよ」
そんなことを言わなければわたしだって馬鹿なことをするつもりはない。
無駄に怪我なんかしたくもないしね。
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「どうしてこうなった?」
目の前にいる小さな娘はそう呟いた。
『それはアタシの言葉だ』
どんなに小さな声でもアタシは聞き逃さない。
この長い耳は、音が本当によく聞こえるのだ。
『アタシはリヒトの傍にいたいのに、ユーヤがリヒトは働かせるからダメだって言って断られたんだ』
アタシはユーヤという名の人間から、リヒトから暫く離れるように言われたのだ。
なんでも、「邪魔」らしい。
リヒトはアタシの「番い」だ。
一目見て、それが分かった。
リヒトだってそうだろう。
だから、身体が番うために成長した。
それにリヒト自身から、熱い言葉も言われた。
言われ過ぎて、立てなくなったけど。
あれって、アタシのことを「番い」だって思っているからだと思うんだ。
そして、言葉だけでアタシを倒してしまうリヒトは強い!!
『だが、何故、お前の護りをアタシがしなければいけないんだ!?』
そこがすごく嫌だった。
この小さな娘は、ユーヤの主人で、リヒトにとっては恩人……、助けてくれた人間らしい。
だから、危険がないように護ってくれって言われたのだ。
でも、この村で危険なことなんて何もない。
皆、優しいから。
この娘によって大怪我してしまった男たちだって本当に優しくて、いつもアタシを大事に護ってくれていたのだ。
それなのに、ユーヤはアタシにこの娘を護ってくれって言った。
こんな小さいのに実は狂暴な力を持った娘。
今のままじゃ子供なんて産めそうにもないほど細い腰、小さい尻なのに、大人の男たちよりずっと強いらしい。
アタシはそれを見ていない。
男たちが大怪我しているのは知っているし、リヒトもそう言っていた。
それに、眠っている男たちが低い声で唸りながら、時折、「女神の裁き」とか「神力を使う娘」って言っているから、そのことに間違いないと思う。
アタシは耳が良いんだ。
この場に意識のある娘は、この「シオリ」って名の人間しかいない。
でも、ユーヤたちはそんな強い力を持った娘が、小さな怪我もしないように護れって言うんだ。
護る必要ない。
この娘は「精霊族」より強いんだから。
『そんなわけで、お前は一切、この場から動くな!』
動かなければ護る必要もないだろう。
アタシも自由に動けるようになるはずだ。
「そんな無茶苦茶な……」
シオリは困ったような顔で言う。
『無茶じゃない。お前を捕まえて縛り付けておけば良い!』
それが、一番いい手段だと思った。
だけど……。
「そんなことするなら、わたし、全力で抵抗しますよ?」
シオリはいきなりそんなことを言った。
……全力?
男たちに大怪我をさせてしまうような娘が?
「そうなると、怪我しちゃいますよね?」
笑いながら言われたその言葉に、背中の方がゾワゾワって変な感じがした。
『お前……』
アタシは動くなって言っただけなのに、なんでそんなに怒っているんだ?
アタシは「適齢期」に入ったばかりの若い精霊族だ。
変化の力も未熟で、まともに力を使うことができない。
しかも、半分は「長耳族」の血のせいで、「綾歌族」としても力も使えないのだ。
そんなアタシに全力……だと?
『それは脅し……、というやつか?』
「脅し……?」
アタシの言葉に首を傾げるシオリ。
その仕草を見る限り、そんなに凄い娘には見えない。
でも、時々、身体から感じる「橙の音」。
思わず従いたくなるような、不思議な響きがこの娘から聞こえるのだ。
これって、多分、この娘が「橙の王族」だからだと思う。
そんなことを口にしたら、ユーヤがまた機嫌が悪くなるかな?
「わたしを縛り付けるなんてこと言うからですよ」
そう言って再び、瓶を見つめるシオリ。
この娘は縛り付けられたくないらしい。
でも、そうしないと勝手に動きそうだ。
アタシはどうしたら良いんだろう?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




