言葉が通じること
「まず、スヴィエート嬢。俺は貴女の言う『黄の王族』と言う呼び名を好まない。弟に対してもだ。謹んでもらいたい」
何よりも、大事な部分を先に告げる。
『ツツシンデ……?』
何故か疑問符を浮かべられた。
『ユーヤ。スヴィエートはお前たちほど言語に明るくはない。もっと言葉を選ばないと伝わらないぞ』
……なるほど。
考えてみればこんな環境にあって、言語を解するだけでもマシなのだ。
今でこそここで偉そうにしているこの長耳族の青年も、一年前は、言語に不自由していたことを忘れていた。
『俺は別の理由だ。余計なことを考えるな』
釘を刺される。
「では、改めて、スヴィエート嬢。俺は、『黄の王族』という名が嫌いだから、そう呼ばれたくない。同じように弟にもそう呼んで欲しくない。それは分かって欲しい」
『なんでだ? 嬉しくないのか?』
「俺にとって、『黄の王族』は『親を殺した相手』だ。そんな奴らと一緒にされたくない」
それは極論かもしれない。
だが、俺は今でもそう思っている。
この女性が言う「黄の王族」がいなければ、身体の弱かった母が死ぬことはなかった。
そして、父もあんな場所でひっそりと眠ることなどなかったのだ。
『なるほど! 父様は大事だもんな。そんな奴らの仲間と一緒にされたくないのも分かる』
……思った以上にあっさりと納得された。
『約束する。お前にも、弟にもお前の嫌いな呼び方はしなければ良いんだな?』
どこかキラキラした瞳。
その様子が先ほどまでと違って、正直、戸惑った。
この変わり身の早さは一体なんだろう?
『言葉が通じるからだ』
「…………は?」
思わず短い言葉を返してしまった。
『スヴィエートによると、お前もツクモも、シオリの使う言葉も難しいらしい。言葉が分からないことがあるそうだ』
「…………なるほど」
話を聞かないのではなく、多少なりとも理解できない部分があったのか。
それについてはこちらの配慮不足だ。
だが、こちらの話の全てを理解できてないわけではないようなので、もともと話を聞かない部分もあるのだとも思う。
『では、黒い男!』
何の、いや、どこの話だ?
恐らくは髪の毛のことだとは思うが、別のものを考えてしまう。
弟からよく「腹黒」とか「黒い性格」とか言われているためだろう。
『スヴィエート……、それは名前ではない』
リヒトが思わず口を挟んだ。
『確かに、弟も黒かったな』
しかし、その納得の仕方はどうなのか?
『その男の名前は「ユーヤ」だ。弟が「ツクモ」』
『ユーヤ? それと……、ツケモ?』
『ツケモではなくて、ツクモ』
『ツキュマ?』
『どうしてそうなった?』
そういえば……、リヒトも始めは「ツクモ」の発音が上手くできなくて苦労していたな。
それが今では別の人間に教えるほどになるとは……。
思わず感慨深いものがあった。
『ユーヤ』
一通り、リヒトから習うと「綾歌族」の女性は俺の名を呼んで向き直る。
『島の人間を助けてくれ!』
「断る」
今、ようやく振り出しに戻ったことはよく分かった。
だが、少し前は「黄の王族」と呼ばれていたのだから、それよりは前進したといえなくもないのか。
『何故だ!?』
「それを決めるのは俺じゃない。俺の主人である栞様だ」
『主人……、あの凶悪な女か?』
その言葉を聞いて思わず苦笑してしまった。
あの主人の外見で、「凶悪」と称する人間は多くないだろう。
小柄で、強い魔力を感じない無害な娘。
そう俺たちがそう見えるようにしているから。
だが、それは人間の視点にすぎない。
様々な方法で押さえているはずの体内魔気の質を鋭敏に嗅ぎ取った上で、あの主人を「橙の王族」と言った。
魔法国家の王族のように体内魔気で人間の感情を読み取るには至らないが、少なくともその質は見抜いてしまうようだ。
そこでふと思う。
セントポーリアの第一王子は、「翼馬族」と呼ばれる精霊族……、俗に言う「天馬」を従えていた。
その天馬も、実は、あの王子に流れる「橙の王族」の血の薄さを知っているのではないか?
さらに、その天馬はたった一度だけだが、セントポーリア国王陛下の血を引く娘と出会っている。
「翼馬族」は人間の言語を解すると言われているが、少なくとも俺が知る限り、あの天馬は人間の言葉を話すことはできない。
そのことを幸運に思うしかないだろう。
尤も、精霊族の言葉を理解できる人間もいるのだから、油断はできないのだが。
「俺たちは栞様の意思に従っている。だから、男たちの命を助けて欲しいとお願いするなら、あの方に言ってくれ」
『あの女が島の男たちを傷つけたんだぞ!?』
そもそも、その前提が違うのだが、それを言っても現時点ではこの女性は信じないだろう。
この女性は島の人間たちの変貌を見ておらず、幼かった彼女の前では島の男たちはまだ無害な存在だったのだから。
「だから、俺たちの意思ではどうにもならない。俺が助けると言ったところで、あの方がまた島の人間たちを傷つけようとすれば、どうにもならないことは貴女にも分かるだろう?」
俺がそう答えると、「綾歌族」の女性はぐっと押し黙った。
あの主人と俺たちの力量の差も、そして、互いの立場も理解できているようで何よりだ。
だが、あの主人がこの島の人間たちをこれ以上傷つけるようなことはありえない。
その逆の方が、ずっと可能性が高いぐらいだろう。
俺や弟はあの主人が傷つけられるぐらいなら、その相手を全力で排除する。
だが、俺たちの主人は俺や弟が、他者を傷つけることすら好まない。
だから例え、自分が傷つけられても我慢しようとしてしまうのだ。
それが時に、酷く恐ろしい。
俺や弟、親しい友人の身が人質、あるいは、それに近しい状態となって脅しをかけられた時、迷わず従ってしまう気がしている。
そして、そんな主人が自分の意思で他者を傷つけようとするのは、自分の身近な人間を助ける時だ。
そんな状態にならないように努めるのが俺たち護衛の仕事ではあるのだが、それでも今回のように不測の事態と言うのはどうしてもある。
だから、俺も弟も今のままでは駄目だということはよく分かったわけではあるのだが。
『だが、あのままでは……』
「だから、彼らを死なないように管理……、あの場所で見守っている」
死ななければどうにでもなる話だ。
寧ろ、下手に治癒を施す方が良くない。
俺がそう言えば、主人はその意味も理解してくれた。
どこか複雑な顔をしたまま、「雄也さんに任せます」と言ってくれたのだ。
『それは生かしているだけで、治しはしないってことじゃないか』
「俺たちは、あの場所に行った時、話し合いもなしにいきなり殺されかけた。それは貴女もご存じだろう?」
実際は少し違う。
奴らの狙いは女性である真央さんのみで、俺がその邪魔をしようとしたから排除されかけただけの話だ。
『島への侵入者に対して戦うのは当然のことだ』
「それに対して抵抗するのも当然だろう? 話し合いもせず、訳も分からないまま殺されかけても何も言わずに我慢しろと貴女は言うのか?」
『だ、だが……、侵入者だ』
反論する声が弱まってきた。
思ったよりも話が通じる相手だったらしい。
「こちらからすれば、相手の話も聞かず、事情の説明もしないまま殺そうとするのは、魔獣と変わらない」
『まっ!?』
流石に神に近いとされる「精霊族」の血を引く者として、知能が低く、本能だけで生きている一般的な「魔獣」と同じ扱いをされることは腹が立ったのだろう。
その表情には分かりやすく怒りが見られる。
「魔獣は勝手にその場所に現れて、勝手に自分の居場所と決めつけて、そこに入るだけで怒り狂う。それと何が違う?」
『か、勝手に決めたわけじゃない』
そうだな。
俺は知っていたし、少なくとも、この島については近隣の住民も知っているはずだ。
それが、ここまで酷い状況になっていたことまでは知らない可能性が高いのだが、今はそれが問題なのではない。
「こちらはその事情も教えてもらえなかったのだ」
あれは、船の難破が原因だった。
『それは知らなかったお前たちが悪いんだ』
言葉が大分弱くなったが、それでも頑張っていることは認めよう。
「確かにその点においては、知らない俺たちも悪いが、この場所について知らなかったことが問題ならば、俺たちに話もせずに襲い掛かれば、抵抗されて命の危険があることを知らなかったそちらにも十分、問題があることになるな」
俺はそう言って、「綾歌族」の女性に向けて笑うのだった。
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