絡まる思惑
全く根に持つ男だ。
俺はそう思うしかない。
たった一言を、いつまでもしつこいぐらいに引っ張っている。
俺に対する当て擦りで、繰り返し何度も言うのは止めて欲しい。
単に事実を口にしただけなのだ。
でも、それを言えば、またこの男は不機嫌になるのだろう。
見た目やその言動に騙されやすいが、その実、もっとずっと幼い男なのだから。
幼い頃に両親や、恩師と死に別れ、残された弟を護りながらも、ずっと生きてきた青年は、同年代の男たちに比べても、早く大人のようにならざるを得なかった。
弟もその環境は同じだったが、護る者と護られる者ではその立場だけではなく、考え方すら同じであるはずがない。
たった二年。
されど二年。
弟よりも少しだけ早く生まれたということで、その肩と背中には、様々なものが載せられていた。
弟が生まれる前、まだ基本的な生活習慣や規則、簡単な礼節を学ぶような年頃に、彼は父親から既に基礎的な学習を受けていたらしい。
父親から直接学べた時期が弟よりも長かったのは、この青年にとって本当に良かったのかは俺にも分からない。
それは知りたくもない事実に、向き合う年齢も早まったことになったのだから。
人より早く学び始めた男は、人よりも早く世界の闇を知ることになる。
母親は弟を産んで一カ月と少しで、聖霊界へと旅立ったという。
その母親が死んだ後、父親は一度、家族を裏切るほどの行為をした。
死んだ母親に代わって弟を育ててくれた人は、自分たちを置いて出て行ってしまった。
父親もまた、母親と同じように自分たちに全てを伝えず、聖霊界へと旅立った。
幼かった弟は自分と父親との約束を破り、外の世界へと踏み出してしまった。
自分たちの世話を引き受けた人間は、それと引き替えに、兄弟の言動に呪いを掛けた。
恩師とその友人は自分たち兄弟に広い世界と知識、そして家族の愛を教えてくれたのに、いなくなってしまった。
これまでの生活から離れ、言語も違う見も知らぬ世界で、十年という年月を過ごすことになった。
恩師の損壊された遺体検分の場に立ち会わされた。
可愛がっていた幼馴染は自分と弟のことなど全て忘れていた。
たった一人で、権力という名の強大な敵と対峙を繰り返すことになった。
それらの出来事は、全て、十にも満たない子供の身に起きたのだ。
人間の生態にそこまで詳しくなくても、その流れが異常だということは分かる。
だが、同情はしない。
その結果、得られたものの大きさも知っているから。
『島の皆を助けてくれ!』
「断る」
だからこそこのやり取りも当然だった。
何も犠牲にせず、多くの物を得られるはずもない。
安全なところから高みの見物を決め込もうとしても許されるはずがないのだ。
「主人を害した男どもにかける情けなどあるものか」
目の前の男はその嫌悪を隠さない。
この男の主人はその身体から血を流しただけでなく、その心もフカイ傷を残すところだったのだから。
『害されたのは島のヤツらの方だ。何もしていないのに、お前たちの主人の方が一方的に酷いことをした。それは本当のことだろう?』
「綾歌族」を名乗る女はさも当然のように言う。
自分たちは悪くない、悪いのはお前たちの主人の方だと。
何も知らないのは本当に恐ろしいことだと感じた。
その無知な発言に、男……、ユーヤの敵意もより一層、膨れ上がる。
この「綾歌族」を名乗る女は、あの時、自分の身に何が起きかけたかも理解していないのだ。
この男の主人であるシオリが「祖神変化」という奇跡を起こしたからこそ、自分の身も一緒に護られたことに全く気付いていなかった。
島の連中は仲間で、自分を護ってくれる存在。
それが、「適齢期」に入った途端、簡単に覆されていたなんて、思いもしないのだろう。
あの時、俺たちは同じ建物内にいたのだ。
そして、「綾歌族」であるスヴィエートは、外部から来た狂暴で凶悪な男たちを避け、慣れた島の者たちの傍で眠っていた。
島の者たちが怪我を負っていたこともあるだろう。
しかも、それが癒されることもなく、放置された上で眠らされていたのだ。
同じ島に住む者として心配にならないはずもない。
だが、運の悪いことに、その島の男たちは、以前から、薬によってその精神を蝕まれていたのだ。
幼い「精霊族」には無反応でも、「適齢期」に入れば、事情が変わる。
「精霊族」のほとんどの種族は、「適齢期」に入れば、子を生すことができる。
言い換えれば、「適齢期」に入るまでは、子を産むことができないのだ。
だからこそ、心も身体も幼かったスヴィエートは、これまで無事でいられた。
子を産むことができないような未熟な異性に対して繁殖意識を持つ種族は少ない。
だが、「適齢期」となってしまった。
その心はともかく、身体は十分過ぎるほど成長したのだ。
怪我をして身体を動かせない状況にあった男たちでも、ギラついた視線を向け、邪な感情を抱く程度には。
そして、スヴィエートはあの時間、その位置的に、シオリよりも、もっとずっと悪い場所にいた。
さらに人間ではなく、男たちと同じ精霊族の血が流れている。
薬に惑わされての行動ではあるが、結局は血を繋ぐための行為だ。
選択肢が与えられたような状況ならば、本能的に自分たちに近い存在を選ぶ。
そんな彼女が、先に目が覚めた男たちから、すぐに魔の手を伸ばされたのは自明だっただろう。
その時、本当に危険だったのは、害意に反応して目が覚めた「人間」ではなく、眠り続けていた「精霊族」の方だったのだ。
だが、シオリがそれを許さなかった。
その悪意を向けられたのは自分ではなかったのに。
自分の身体を「祖神変化」させてまで、その手が自分に向かって伸びるよりも先に、眠っていた無防備な彼女に向けて伸ばされた男たちの手を捻り潰したらしい。
さらにその上、男たちを完膚なきまでに叩き伏せ、「橙の王族」としての力ではなく、「神の化身」としての力を発揮する。
「祖神変化」は肉体を神へと変化させる行為であり、本来ならば、その魂は、人間のままだったはずだ。
だが、外部から現れた別の「綾歌族」によって、シオリが強制的に眠らされていたため、そこに本来の意識がなかった。
それでも身体が動いたということは、無意識……、人間たちの言う「魔力の暴走」に近いらしい。
魔力が強ければ、その意識がなくても、魂のみで動くというのが、人間の不思議な部分だと思う。
尤も、シオリの場合は人間でも特殊な事例で、その身体にいくつかの人格が形成されているようではあるのだが。
もう一つ考えられる推論もあった。
あの状態は「祖神変化」ではなく、実は神の「受肉」だったのではないかということだ。
神の意識だけを降臨させる「神降ろし」、肉体を自身の基となった神に変化させる「祖神変化」、聖霊界へと繋がりその意識も肉体も神に譲り渡す「受肉」。
それらは全て、人間が神に至る領域の話である。
神の手により生まれた人間族は、神から枝分かれした精霊族よりも、神に近付くことができるという。
ただ、その人間たちも血が混ざり過ぎて、神に近づけるほどの能力を持つ魂が生まれること自体が、稀となってしまった。
だが、「王族」と呼ばれる血族には数代に一度、先祖返りのように誕生することがあるらしい。
だからこそ、精霊族も人間の「王族」と呼ばれる一族には敬意を表す。
その代にはいなくても、次代、次々代にその「先祖返り」の魂が誕生しないとも限らないから。
そして、今代の「橙の王」の血を引く人間に、その「先祖返り」のような魂を持つ者が誕生した。
それも、生まれる前に「分魂」と言われる神の力を分け与えられたという珍しい存在として生まれたのだ。
そこに何の意思が働いたのかは分からない。
だが、その全てはこの先に繋がるようにできている気がしてならない。
創造神「アウェクェア」に見出された魂が、強制的にこの世界へ呼び出され、娘を産んだことから全てが始まった。
そして、その娘の祖神と思われる導きの女神「ディアグツォープ」は、貞節を重んじる女神である。
自身の目の前で、相手が人事不省なのを良いことに、集団で不埒極まりない振る舞いをしようという輩に対して、大人しくしていられるような神ではないそうだ。
かの女神の逸話の中に、人間の「神女」と言われる女性に対し、その立場を利用して、不埒な行いをしようとした男神が無性の神に変わらざるを得なかった……というものがいくつかある。
一話でない辺りが、かの女神の恐ろしさを表している気がしなくもない。
そのため、一部では「去勢の女神」などと不名誉な呼ばれ方を神官たちの間ではされているそうだ。
実際は、もっと酷い報復措置をしている女神の方が多いのだが……。
そして、そんな「女神の化身」である存在は、その行いが当人たちの意思ではなく、薬という別の意図が働いていたのというのも許せなかったようだ。
どこまでも規則正しい女神は、その対象が精霊族であっても、いや、精霊族だったからこそ、容赦もなかった。
「女神の化身」より、報復という名の処罰を向けられた精霊族の男たちは、精霊族の心すら見通す「長耳族」の能力を持っても読みにくいほどの思考回路となったほどだった。
あの時、何が起きていたのか。
俺は眠ってしまっていたので見ていたわけではない。
だが、怪我人たちの心を読むことはできた。
薬や恐怖で混濁した心でも、その行動を覚えていないわけではないのだ。
尤も、俺の能力が不完全である可能性も高いのだが。
「リヒト……。どこまでやって良いか?」
そんな男の言葉に対して……。
『お前の心行くまで』
俺はそう言って答えた。
もしかしたら、笑っていたかもしれない。
『今回のことはこう見えて、俺も怒っている。やはり、会ったばかりの女よりも、俺は自分を救ってくれた恩人の方がもっとずっと大事らしい』
その気持ちに、偽りはない。
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