護衛に脅されるの図
「俺はこの先、どんな女性に出会っても、千歳様や栞ちゃん以上に優先することはできないと思っているからね」
目の前の美形は笑顔でとんでもないことを口にする。
「相手の女性には悪いと思うけど、それを理解してくれる人でなければ、俺はその女性の手を取るつもりはないよ」
もうやだ、この兄弟。
真顔でなんて、酷いことを言うのか。
凄く心臓に悪い。
「それでは、わたしが相手の女性に恨まれてしまいます」
そんな言葉をなんとか絞り出す。
自分の頭の中で、それがすごく想像できて嫌になった。
そんなわたしを見て雄也さんが苦笑するが……。
「笑い事ではないですよ。もう、目の前で首を掻っ切られるのは本当にご勘弁願います」
それは自分で経験したから分かる。
男女の愛憎劇というものは、本当に怖くて凄まじい感情からくるものだって。
実際に、見せつけられたアレは本当に壮絶だったのだ。
刃の動きに合わせて、真っ赤な血が流れるように飛び散って、ゆっくりと倒れる女性の姿は今も目に焼き付いている。
ただ、推理漫画の殺人現場とかでよくあるような、勢いよく大量噴出はしなかったから、そこだけが救いだったと思う。
でも、あの時、わたしが治癒魔法を使えなければ、あの女性はどうなっていたことだろうか?
癒す際に、吹っ飛ばしてしまったことについては……、まあ、許してほしい。
わたしにもいろいろと思うところはあったわけだし。
それでも、やはり命があっただけマシだろう。
「そこまで自分が誰かに好かれるような自信はないなあ……」
そうかな?
雄也さんなら、それぐらい惚れ込まれてもおかしくはないと思ってしまう。
知らない間にファンクラブとかができていても驚かない。
もしくは、ストーキングされているとか?
「それに、そうなると、多分、水尾先輩ぐらいしかいませんよ?」
水尾先輩なら、一緒に行動してずっと彼らを見ているから、ある程度までは理解してくれそうな気がする。
わたし自身も可愛がってもらっている自覚もあるし。
ワカもわたしを大事にしてくれるけど、既に恭哉兄ちゃんがいるからね。
でも、わたしがそう言うと、何故か雄也さんが一瞬、目を丸くした。
あれ?
なんか変なことを言った?
「彼女は恐らく無理だよ」
「へ?」
雄也さんはそう言って笑う。
「確かに、俺たち兄弟からすれば、水尾さんは理想の女性だ」
「ほっ!?」
り、「理想の女性」とまで!?
「思慮深く、愛情深い。努力の果てに身に付けた知識量は本当に恐れ入る。そして、気苦労も絶えない環境でも背筋を伸ばして前を向ける強さを持っているところは、どこかあの師を思い出すよ」
そう言えば、九十九もそんなことを言っていた気がする。
「そして、何より、俺たち兄弟よりも栞ちゃんを優先してくれる。そこが一番、好ましく、信用が置ける部分でもある」
あ……。
そこは外せないんですね。
でも、確かに水尾先輩は女性としても、人間としても魅力的だとは思う。
だから、わたしは、なんとしても助けたかったのだから。
「だが、彼女の方は違う。国はなくなっても、魔法国家アリッサムの王族である事実は変わらない。何も持たない我が身では全く釣り合わないな」
雄也さんがどこか自嘲的な言葉を口にした。
でも、何も持たない?
雄也さんも九十九もいろいろな能力を持っている。
それに……。
「身分、いえ、血筋というのなら……」
彼らの血筋を考えれば、十分、釣り合いがとれるのでは? わたしが、そう言いかけた時、雄也さんの手で口を塞がれた。
「それ以上はダメだよ」
「ふがっ!?」
目の前に妖艶な黒い瞳がある。
それも、その黒い瞳に驚いた自分の顔が映るほどの、雄也さんの手がなければ、鼻先が接触してしまいそうなほどの至近距離に。
「その先は言わない約束だったよね?」
そして、その端正な顔と紅い唇から零れる言葉は酷く甘い。
なんでしょう?
脅されているのか、口説かれているのかよく分からないこの状況。
思わず、仰け反って逃げ出したくなる。
これは雄也さんの雰囲気がいけないんだ!!
……って、あれ?
よく考えなくても、今、わたしは雄也さんと密室で二人っきりなのでは?
そんな事実に今頃、気付いた。
リヒトもあの「綾歌族」のおね~さんも、別の建物で怪我をしている「精霊族」たちの様子を見ているわけで……。
しかも、傍には護衛無し?
いや、落ち着け!
目の前にいる人こそわたしを護ってくれる心強い護衛のはずだ。
だけど、何故かわたしの頭には九十九の不機嫌な顔が浮かんでいた。
「だから、これ以上はもう何も言わないでね?」
さらに妖しく光る瞳。
背筋に何かが走り抜けた気がする。
殺気とも敵意とも違う悪寒。
これは……、何?
「俺は栞ちゃんを信じたのだから」
わたしは、首を縦に振ろうとしたが、口を押えられているため、上手くできなかった。
呼吸の仕方を忘れてしまったかのように上手く息が吸えない。
口に当てられた手はそこまで強く押さえつけているわけではないのに、酷く息苦しいのだ。
「ごめん、ごめん。ちょっと脅かし過ぎたかな」
それに気づいた雄也さんは妖艶な笑みから、いつもの穏やかな笑みに変化させる。
「栞ちゃんに俺たちの重荷を背負わせてごめんね」
そして、どこか悲し気な瞳。
「本当はキミにまで背負わせたくもなかったんだ」
わたしの口を押えていた手が外される。
かなり強めの緊張感と圧迫感から解放されて、わたしは大きく息を吐いた。
「だけど、あの時はキミに頼るしかなかった」
そう言って、雄也さんは顔を伏せる。
普段、自分にも他人にも厳しく強い人が、不意に弱い所を見せるって、なんとなくズルいと思う。
それが、自分だけに対してっていうのが、尚、タチが悪い。
しかも、無駄に色香を漂わせるとか……。
どんな上級者向けですか!?
わたしはそんな耐性、全くないんですよ!?
最近、九十九に慣らしてもらっているけれど、その訓練も、タイプが違う美形にはまったく効果がないことが分かる。
顔と声は似ているのに、どこか、この兄弟は違うのだ。
これは経験の違いってやつなのだろうか?
「わ、わたしはそのことについて、これまで誰にも言ったことはありませんし、これから先も言うつもりはないです。周囲に雄也さんだけしかいなくても、もう口にしませんから」
もともと誰にでも言えることではない。
だから、この先も誰かの前で言うつもりなんて本当になかった。
ただ、本人しかこの場にいないのなら、と思って口が滑りかけたのだが、それもよくない話だった。
そこに気付けなかったわたしが悪い。
当事者である雄也さんだって、少し前にようやくこの重い事実を受け止めたばかりなのだ。
そして、まだ完全に受け入れているとも言い難い状態でもある。
その証拠に、「情報国家」の名を聞くだけで、雄也さんはほんの少しだけ眉が動いてしまうのだ。
注意深く見ていなければ分からないような微かな変化だが、気付く人は気付いてしまうだろう。
でも、そこまで拒絶したいような事実なのに、関係のない人間から平然と口にされるのは嫌だってことにわたしは気付いていなかった。
わたしが、何も知らない神官から、「聖女」と言われるのが嫌なのと同じ、いや、それ以上のことかもしれない。
わたしの場合は、自分から何かしでかさなければ誰にもバレることはない。
でも、雄也さんたちは違う。
全身に流れる血の問題だ。
そんなこと、少し考えれば分かる話なのに。
「九十九にも?」
雄也さんは確認する。
わたしはどれだけ口の軽い女だと思われているのだろうか?
「言いませんよ。それを言うのはわたしの役目ではないでしょう?」
九十九が自分で調べることは可能だと思う。
彼らの父親は、名を偽っていなかったらしいから。
それでも、調べていないなら、彼にとって、情報国家や自分の父親というものはそこまで重要ではないのだろう。
だから、わたしは彼に言うつもりなど全くなかった。
「わたしはあなたたちの主人ですが、母親や姉ではないのです。そんな形で頼られても困ります」
わたしは胸を張ってそう言った。
九十九の出自について、血縁関係にある身内が告げるのなら問題ない。
でも、血の繋がりが全くない主人が勝手に言うのって何か違うよね?
「そうだね。栞ちゃんは俺や九十九の母でも妹でもない。一人の可愛い女の子だ」
「うぐっ!!」
思わず胸を押さえてしまった。
なんで、わたしの護衛は隙あらば、甘い言葉を口にするんですかね?
こう何度も致命傷レベルの攻撃を食らうと、身が持たないのだけど……。
わたしの反応が楽しいのか、クスクスと笑みを零される。
「ごめん、ごめん。栞ちゃんが可愛いから、つい……」
さらにコンボを組み込んできました。
とどめを刺しに来ているとしか思えません。
わたしは胸を押さえて蹲るしかなかったのだった。
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