意味がないとは思えない
「うわ~、懐かし~」
屋内へと場所を移した後、わたしは雄也さんが出してくれたアルバムの表紙を見ただけで、そう口にしていた。
まだ中身を見なくても、それらの表紙に見覚えがあったのだ。
雄也さんが手にしているのは、間違いなく、人間界にいた頃、わたしの家にあった物だった。
あの頃は、いつでも見ることができると思って、気が向いた時に開く程度だった。
あれから既に数年。
いつでも見ることなどできなくなった。
その存在があることも聞かされていなかったから。
でも、もし、これらのアルバムがあることを最初から知っていたら、わたしはどうしていただろう?
今のように、人間界へ戻りたいと全く零すことなく生活できていただろうか?
できていた……、かな?
自信はないけど、そんな気がする。
この世界に来て、既に三年もの年月が経っているが、目まぐるしい変化ばかりが起きる日々だった。
一つのハプニングが起こって、それがようやく落ち着いたと思ったら、今度は次のトラブルが発生する。
呪われているんじゃないかと何度思ったことだろう。
実際、わたしは「神の御執心」とかいう、それに近しい状況にあるわけだけど。
どうしてこうなった!? と何度、叫んだことだろう。
いちいち数えることもしていない。
「どれから見る?」
雄也さんがアルバムを丁寧にテーブルに並べてくれた。
分厚いものから、薄いポケットアルバムまでいろいろある。
ずっとこれらを大事に保管してくれていたことが嬉しい。
その中でも特に目立つのは、プロによるしっかりした装丁の二冊のアルバムだった。
「これが見たいです」
わたしは、その中の一冊を指し示す。
それは、中学校の卒業記念アルバムだった。
これは確か、一度だけしか見ていなかったと思う。
あの中学校を卒業した後、この世界に来る直前に、卒業式の写真も載せた物が家に届けられたのだった。
間に合ってくれたと安堵した覚えがある。
でも、それでもあまりしっかりと中を見ていない。
人間界への未練となることは分かっていたし、何より、ここに来るきっかけとなった卒業式のことも思い出してしまうと思ったから。
「はい、どうぞ」
雄也さんがわたしに手渡す。
赤い表紙のずっしりとした重みのある本。
懐かしい中学の名前と校章が刻まれた分厚い冊子。
まるで、初めて読む本を開く時のような緊張感がそこにあった。
開くと、俯瞰から大きく写し出された中学校の校舎と校庭が目に入る。
そして、そこには同じ学年の生徒たちの姿があった。
「えっと……」
なんとなく、自分や友人たちの姿を探してしまう。
同じ紺色の制服を着た同年代の少年少女たちが、合わせて100人を超える壮大な人探しゲーム。
まるで人探しの絵本を見ている気分になる。
自分はすぐに見つかった。ワカもすぐ横にいたので探すまでもなかった。
それ以外にも、仲が良かった生徒ほど、すぐに見つかる。
同じクラスの生徒だったり、同じ部活の部員だったり、共通点があるほど探しやすい。
仲間内で集まってポーズを決めたり、澄ました顔をしたり、真顔だったりと、写真の写り方にも個性が分かれていて面白い。
「俺も横から見ても良い? 昔の栞ちゃんを見てみたい」
「はい、どうぞ」
同じ学年の生徒たちが持っているものだ。
別に見られて困るような物も写っていないだろう。
それに昔と言っても、中に映っている写真のほとんどは中学三年生時点の物で、雄也さんも知っているわたしとそこまで大差がない。
……身長も差がない。
本当にない。
「それでは、失礼して……」
そう言いながら、雄也さんはアルバムを一緒に見るためにわたしの隣に座った。
「…………」
なんだろう?
雄也さんがこの距離にいるのはかなり珍しい。
そして、妙に緊張する。
九十九がこの距離は別に珍しくない。
でも、雄也さんがわたしの真横に来ることは、ないわけじゃないけど、こう改まった感じが妙にドキドキしてしまう。
一緒にアルバムを見るだけなのに、不思議。
そういえば九十九と並んで何かをするって意外とないな。
わたしが絵を描く時も、九十九が報告書を書く時も、向かい合わせばかりだ。
まあ、何かをかく時に、こんな風に引っ付いていたら、邪魔だしね。
「このアルバムの栞ちゃんは、かなり髪の毛が長いね」
雄也さんが興味深そうに言った。
そう言えば、彼も九十九も、ここまで髪の長い時代のわたしは知らないはずだ。
今も短いとは言わないけれど、流石にこのアルバムほど長くはない。
一番長かったときは、確か、腰の下まであった気がする。
今となってはそこまで伸ばす気はない。
あの長さは重いし、面倒だから。
「ああ、はい。このアルバムなら、短いのは卒業式ぐらいだと思います」
卒業まで残り二週間ほどで、髪を切ったのだから、当然だ。
「なんで、髪の毛を伸ばしていたのかを聞いても良い?」
「髪を伸ばした理由……、ですか?」
はて?
単に気付いたら長くなっていたというか。
美容室に行く気が起きなかったというか?
皆が望むような理由はなかった気がする。
日本舞踊経験者であるワカが、「日舞をやってるなら分かるんだけどね」と言ってた覚えがあるのだけど、わたしは何故、自分がそこまで伸ばしていたのかを覚えていない。
「俺が知る限りなんだけど、栞ちゃんは合理的な面がある」
「合理的……、ですか?」
ぬ?
「非合理」と言われることはよくあったけれど、「合理的」?
それは、日頃のわたしにとって真逆の評価だった。
「例えば、九十九の『右手』をあまりとらない」
「へ?」
「キミは九十九の『右手』をあけさせようとするんだよ。護衛の利き手はいざという時のためにいつでも自由にしておけって」
「それって、普通の考え方じゃないんですか?」
九十九は左右のどちらでも剣と魔法が使えることは知っている。
でも、やっぱりいざという時は利き手を動かせた方が良いと思うのだ。
確かにどちらも使えるけど、九十九は右手の方が、早く動かせるし、力強いから。
「自分を支える腕は揺らがず、力強い方が良いと望む女性もいるんだよ」
「九十九は右も左も、わたしを担いですら揺らぎませんよ?」
肩に担がれることが多いけど、わたしを腕だけで支えることもできる。
されたことはないけど、恐らく片手だけでも、わたしを高々と掲げることもできるんじゃないかな?
「それ以外にも、いろいろあるけれど、一番大きなものは、同じ年代の女性としては、無駄を好まない部分があるよね」
それは地味とか、質素とかそういう方向性の話でしょうか?
それなら納得。
ゴテゴテと無駄なものは好きじゃない。
同じことができるなら、飾り気はない方が良い。
お洒落することが無駄だとか、飾り付けが無意味とかいう意味ではない。
それはそれでしっかりとした意味があることは知っている。
着飾り、装いは女の子の武器だからね。
単純に好みの話だ。
すっきりした方が好きなだけの話。
まあ、似合わないというのもある。
「そんなキミが、ソフトボールの選手時代に髪の毛を長くしていたことに、全く意味がないとは俺には思えないんだよ。プレイの邪魔になるために中学生でもベリーショートにする選手も少なくはないから、逆に短くするなら分かるんだけどね」
このアルバム鑑賞は「餌」だったか……。
なんとなくそんな気がした。
わたしが髪の毛を長くしていたことは、雄也さんも知っていることだろう。
それがどこから得た情報なのかは分からないけれど、わたしが髪の毛を伸ばしていたことなんて、中学時代を調べればすぐに分かることだ。
当時のわたしの特徴は、「背が低くその分、髪の毛に栄養が取られたような少女」だったらしいから。
そんなことはない。
髪は勝手に伸びるが、どんなに努力しても身長は伸びない。
いや、今はそんな話はどうでもいい。
「単に、切りに行くのがめんどくさかっただけだとは思いませんか?」
実際、それもないわけではないのだ。
「ここまで長い髪を手入れする方が面倒だと俺は思うよ。九十九みたいに世話焼きが身近にいれば、違うかもしれないけど」
確かに、あの当時に九十九が近くにいて、今ほどわたしに手をかけてくれたら、もっと楽だっただろうね。
でも、それでは意味がない。
「わたしの髪の毛について、ここまで突っ込んできたのは雄也さんが初めてですよ」
わたしは笑った。
ワカや高瀬でも、突っ込んではこなかったのに。
いや、彼女たちは聞いて欲しくない事情があると察すれば、どんなに気になることでも、ちゃんと引いてくれる人たちだったか。
でも、この人は違う。
興味があればとことん突き詰める。
言葉巧みに相手の思考を誘導して、言質をとりつつ、さりげなく本音を引き出すことだって造作もないだろう。
それに、心を読めるリヒトを使えばすぐに分かるようなことだ。
わたしは思考の防御なんてものはできないのだから。
それでも、意思確認されるということは、やはり、主人ということもあって、丁重に扱われてはいるのだろう。
「気に障ったらごめんね。でも、気になることはどうしても、追及したくなるんだ」
「そこまで期待を持たせて申し訳ないですけど、理由としてはありきたりで面白みはないですよ?」
本当にちょっとした理由。
それでも単純だけど、わたしらしいといえばわたしらしいきっかけ。
「ある無口な男子に言われたんですよね。『綺麗な長い髪が似合っている』って」
それはどこまでも少女漫画のような主人公にはなれなかった女の話。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




