運命は音を立てて
「どうして、こうなった?」
これが、今の自分に相応しいとても素直な感想である。
いや、流石にわたしだって城下の森はとても迷いやすいため、一人で行くことはできないと分かっていた。
方向感覚が狂うとかそれ以前の話で、目印などほとんどない森という場所を一人で歩けるとは思えない。
自分はそこまで無謀な人間ではないのだ。
しかし、わたしは自分が方向音痴だということを忘れていた。
ちゃんと道なりにまっすぐ歩いていたつもりなのだが、いつの間にか周りが「森に進む」以外の選択肢がなくなっていたのである。
後で分かることだが、わたしの進んでいた方向はある意味袋小路だったらしい。
この場所に来てしまった時点で既に詰んでいたのだ。
「元、来た道を行こうにも、その道すら分からないとはどういうことなのだろう?」
森に囲まれたと気付いた時点で、素直に後ろに戻ろうとしたのだが、どうやらその道も何故だか見失ってしまったらしい。来た時は開けていたのに。
行きは良い良い、帰りはなんとやら、だ。
「参ったな……」
幸い通信珠は持ってきている。
だが、今、九十九を呼び出せば、怒られることは間違いないだろう。
あれほど、一人で出歩くなと言われていたのに、出歩いてすぐこのザマである。
彼はどれだけ怒り狂うことだろう。
「戻れなければ、進むしかないよね」
そう思って、前に歩みを進めることにした。それが何の解決にもならないのは分かっていても退くこともできないなら、そうするしか無い。
どうせ同じ一歩だ。
後に戻るよりも前に進む方が少しだけ気分も違う気がしたのだ。
さて、先程も言ったが、わたしは方向音痴である。
方向感覚を持たない者が、土地勘のないところで無闇矢鱈と行動すればどうなるか。
当然ながら、わたしは身をもって知ることとなる。
暫く、前に進む。
前に進む。
どれくらい歩いたかは分からないまま、前に進んでいく。
「真剣に困った」
どこをどう歩いても森、森、森!
光も木々の間から少ししか漏れていないせいか、あまり時間の感覚がない。
でも、光があるってことは、少なくとも日が差している時間帯だとは思う。
「結構歩いた気がするけど……」
ぐ~っとお腹の音が聞こえた。
「そう言えば、お昼ご飯食べてなかったっけ」
せめて何か食べて来れば良かったと、九十九が準備していたお昼ご飯を思い出す。
すぐ戻るつもりだったので、何も口にしなかったのがよくなかった。
またお腹の音が鳴る。
周りには木と草しかない。
九十九ならともかく、わたしにはこれらが食べられるかどうかも分からなかった。
「一食ぐらいは抜いても、人間、生きていられるだろうけど……」
精神衛生上はあまり良くない。
ダイエットしているわけじゃないのだからお腹がすけば何か口にしたいと思うのは自然なことだろう。
と、その時、九十九がくれた保存食の存在を思い出した。
「どうせなら大きいのをくれれば良かったのに……」
この場合、九十九に非はないのだが、今のわたしにはそう思うしかなかったのだ。
一口で食べ終わってしまうような保存食は、少し硬くて歯ごたえがあった。
「まあ、ないよりかはマシだよね」
小さな欠片ではあったが少なくとも先ほどよりはお腹も落ち着いたように思える。
「こんな時、下手に歩かない方が良いのかな?」
でも、九十九の話ではこの森自体、滅多に人が来ないところらしいから、せめて光の届くところに出なければ発見されない気がする。
しかも、魔法に制限がかかるとか言ってなかったっけ?
「……ってことは、今更、助けを呼ぶのも無理ってことか」
正確な時間はわからないけど、足の疲れから少なくとも一時間は経っている気がする。
九十九も買い物から帰っている頃だろう。
「さて、本格的に困った」
文面だけ見ると落ち着いている口調だが、正直、かなりパニックだ。
このままここで野垂れ死にとか笑い話にもなりはしない。
この森の中で記憶にあるのはあの湖のあるところだ。
あそこまでたどり着けば、九十九が見つけ出してくれるかもしれない。
「道はわからないけれど、行ってみるか。」
方向音痴という人種は、どうしてこうも自信満々で迷うのか。
結果として、わたしはますます森の奥深くに迷い込んでしまうこととなった。
「さっきよりも光が少ない気がするな……」
そう思うのは気のせいではないはずだ。
行けども行けども同じ風景。
目印を付けながら歩いているはずなのだが、一度たりとも同じ道を通っていないのか、付けた目印が見当たらない。
「パンくずとかを散らしているわけじゃないから、小動物が食べてしまうこともないよね」
パンがあったらまず口にしている。
今、目印にしていたのは、落ちている石や木の枝だ。
尤も、これだけの森だというのに、小動物の気配も鳥の鳴き声も感じられなかった。
磁場の狂いを嫌って、動物はあまり来ないという話だったが、よくよく見れば虫も見かけない。
普通ならアリの一匹くらいは目につくはずなのに。
「大きな獣が出ても困るけど……」
この森はまるで植物以外の生命が存在していないように感じられた。
……だとしたら、わたしがこの森に存在する唯一の動物ということになる。
「道らしいものがないのも迷う元だよね」
あまり出入りする人がいないのだから道を作る必要がないのだろう。
尤も、道があったところでわたしが迷うのは避けられない気もするのだが、今は何かのせいにしていなければ自分の精神が持ちそうになかった。
「参ったな……」
魔界に来て一ヶ月。最初にして最大のピンチ。
それもほぼ自爆というのだから救いようのない話である。
――――― パシャンッ
「ん?」
気のせいか水の音がした気がする。
「もしかして、あの湖に着いた?」
そう思って、音が聞こえた方に行こうとして……足を止める。
「なんで、水の音が聞こえる?」
あの場所に行ったのは二回。
それでもそこに着くまではそこに湖があるなんて気がつかないほど静かな場所だった覚えがある。
近くに滝があるからそれなりの音がしそうなものだが、水の落ちる音は森の中に吸い込まれるかのように全く聞こえなかった。
「ふむ……」
しかし、それ以外の方向に進むこともできない気もする。
万一、湖ではなくても最低限の水分の確保はしておきたい。
喉も渇いたし。
生水を飲むことに抵抗がないわけではないけど、今は贅沢を言っていられない状況だろう。
「あれ?」
でも、予想した場所と違う景色が見えた。
いや、森は森だし、大きな水が広がってはいたけど、あの湖っぽくはない。
湖畔に生えていたポワポワした植物もないし。
そう言えば、九十九に連れられて最初に湖へ行った時にその途中で池があったからもしかしたらそこかもしれない。
しかし、問題はそこではなかった。
人がいたのだ。
それも真っ白な馬のような生き物を連れて。
見たところ、その馬の身体を洗っているようだった。
わたしが先ほど聞いた水音はこの音だったのだ。
さて、どうしよう。
その場にいきなり現れて助けを乞うか。それてもこのまま見つからないようにしておくか。
まず一番問題となるのは、相手の正体が分かっていないことだ。
見る限り、相手はちょっと変わった服装だった。
何度か歩いた城下では、一度も見たことがない種類の服なので、もしかしたら、お城の関係者かもしれない。
今のわたしは一応、姿を変えてはいる。
髪の色も髪型も瞳の色すら本当の自分とは違うものとなっているのだ。
だから簡単には素性が知られることはないとは思うが、それはそれで怪しい人物には変わりがない。
万一に備えて、キャラ設定のようなものはある。
具体的には偽名だ。
日本ならともかく、「シオリ」と言う名はこの国では珍しいらしく、しかも母のことを知っている人は娘であるわたしの名を知っている可能性もあるという話だった。
それに、母とわたしは過去に城に住んでいたのだから、その当時を覚えている者もいるかもしれない。
だから、この国にいる以上、わたしは本当の自分でいることはできないということなのである。
そんなことを考えていると……。
『きゅ~?』
耳慣れない声がした。
少なくともわたしの知っている生物の声ではない。
なんかアニメやゲームのマスコットキャラクターにいてもおかしくないような、とても可愛い声だった。
え?
今のって、あの馬だよね?
見た目の印象よりかなり高い声。
いや、人間界でも馬は高い声だった気がする。
あまりしっかりと聞いた覚えはないけど。
「どうした、グレース?」
それに続く少しだけ低い男の人の声。
まずいな。
このままだとあの人に見つかっちゃうかもしれない。
なんだかあの馬がこっちを見ている気がする。
でも、下手に逃げてもダメだ。
気配を消しての移動なんてわたしができるはずもない。
「そちらに何かあるのか?」
男の人もこちらに顔を向ける。
思わず……、反射的にその視線から逃れようとしてしまって……、ガササッとすぐ近くから音が聞こえた。
ああ、やってしまった。
近くの枝に長い髪が引っかかったのだ。
目測を誤ったとも言える。
「何者だ!?」
先ほどよりも鋭い声が飛んできた。
まあ、ジタバタしても仕方ない。
別に悪いことはしていないのだから、姿を見せるしかないだろう。
「あれ?」
髪が……、引っかかって取れない?
これは……、絡まったわけではなく、三つ編みにした髪が、枝に突き刺さった感じになっている。
そして、その髪をなんとか解こうとすると、当然ながら枝が揺れ、音が繰り返されてしまった。
状況が分からない人からすれば、不気味極まりないことだろう。
「おい、何をしている?」
すぐ近くで声がした。
「髪が……」
わたしは、その声の人物を見ずに返答する。
正しくは、顔を向けられなかったのだ。
何故か、髪がどんどん、酷いことになっていく。
カツラだから、外れないように気を使っていたのがいけなかったのだろう。
「なんだ? 絡まったのか?」
そう言って、その男の人は親切にも解くのを手伝ってくれたのだ。
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