【第76章― 生生流転 ―】祈らずにはいられない
この章から76章です。
よろしくお願いいたします。
夕暮れの海。
穏やかな波の彼方に、沈みゆく太陽の光が見える。
「日が暮れる……」
わたしはそれを見ながらポツリと呟いた。
朝というには早すぎる時間帯に、私の護衛は出かけることになった。
それもわたしの勝手な願いによって……。
それから、既に半日以上が経過したが、彼が帰ってくる様子はない。
間違いなく、彼が生きていることは分かるけど、今の状況が分からないことが辛い。
ずっと胸騒ぎがしているのだ。
自分にとって、何故か途轍もなく悪い予感が胸の内にずっとある。
あの護衛の身に何かあったのか?
それとも、護衛が助けにいった相手に何かあったのか?
考えれば考えるほど深みにはまっていく自分がいた。
「水尾先輩……」
不安で胸が潰れそうになる。
あの護衛のことは心から信じている。
どんなに困難な山も乗り越え、難関な壁も打ち崩してきたような人だから。
だけど、間に合わなかったら?
流石に彼がどんなに優秀でも、時を戻すことなんかできないのだ。
あの時、自分が思いつく限りのことはしたけれど、そんなことよりももっと早く彼を行かせた方が良かったのではないか?
今更、そう思ってしまう。
自分がやったことは全部、無駄だったのではないか? とも。
「栞ちゃん」
近くで声がかかる。
自分をそう呼ぶのは、一人だけだ。
「はい」
わたしは顔を上げた。
「もう日が暮れるから、家に入ったらどうだい?」
そう声をかけてくれる雄也さん。
そこにあるのは彼らしく、とても分かりやすい気遣い。
だけど、わたしは首を振った。
「もう少しだけ、このままでいさせてください」
そんなことを言って、ここにいたってできることなんか何もない。
せいぜい、わたしにできることはあの二人の無事を祈ることぐらいだ。
そんなことぐらい分かっている。
だから、祈らずにはいられない。
わたしには、「聖女」の才能みたいなものはあるのかもしれないが、こんな時にはそんなもの、何の役にも立ちはしないのだ。
できることなんて、無事を祈ってただ待つだけ。
自分が願うことで、あの人を危険な所に追いやることになると分かっていたのに、わたしができたことなんて、多少の「祝福」ぐらいなものだ。
「分かった」
わたしの我儘に応えてくれる人が、ここにも一人。
「それなら俺も少しの間、付き合おうかな」
そう言って、雄也さんは近くの砂浜に腰を下ろした。
今、この砂浜には、雄也さんの手によって二つの簡易住居が建てられている。
一つは、わたしたちが眠るための場所。
これは、九十九が出すものによく似ているが、少しだけ小さいらしい。
でも、外から見てもあまり分からなかった。
そして、もう一つは、住居というよりも、拘置施設だと聞いている。
広間しかなく、あの集落の建物と大差はないが、建物の造りや衛生上の観点からも、こちらの方がかなりマシだということだ。
あの集落の建物は、壁や床の木がずれたり捲れたりして危険ではあった。
それに、自傷、自死の防止と言われたら、反対する理由はない。
その拘置施設とやらの壁には、法具を使った結界などの処置が施されていて、普通の「精霊族」はその建物内で能力を使うことができないという。
そして、見た目は小さな箱型の建物だが、その中は、びっくりするほど広がっていて、あの集落にいた全ての「狭間族」を収容することができたらしい。
毎度のことだけど、この世界の建物はおかしい。
そして、一体、雄也さんはどんな状況を想定してそんな建物を持ち歩いていたのだろうか?
「あの、リヒトたちは……?」
雄也さんの指示で、彼らは昼間、「狭間族」を運び込むために、あの集落とこの砂浜をかなり往復していた。
あの「綾歌族」のおね~さんも、あの集落の住人たちに瀕死に追い遣るほどの怪我を負わせたわたしたちに対して、いろいろと思うところはあるはずなのに、「リヒトの役に立つなら」と手伝ってくれたのだ。
そして、その反対にこの状況を引き起こした原因でもあるわたしは、手伝わせてもらえなかった。
自分が身体強化もできず、さらに、非力なので、戦力外通告をされたのだ。
実際、わたしは、身体が大きくなったリヒトを抱えて運ぶことも難しいのだけど。
でも、それは、あの「綾歌族」のおね~さんに対する建前の話。
つまり、本当の理由はそれだけではなかった。
一部の「狭間族」に見られる、不自然なまでの大怪我は、恐らく、わたしが「祖神返り」というものを行ったせいだ。
そのためか、わたしはその相手に酷く怯えられている。
この姿を見るだけで、相手の心に大打撃を与えてしまう以上、わたしは近付かない方が良いと雄也さんに言われた。
治るモノも治らないということだろう。
化け物扱いは傷つくけど、仕方ないとも思ってしまう。
相手が恐れるほどの化け物にならなければ、わたしは、自分の身も、大事な人たちの身も護ることができなかったのだから。
でも、「祖神返り」……。
わたしの「祖神」って、化け物には見えないと思うのだけど、相手を半殺し以上にしたのだから、十分立派な殺戮マシーンである。
嬉しくない。
「彼らは少し離れた所で、話をしているみたいだね」
リヒトは、あの「綾歌族」のおね~さんと行動するようになった。
雄也さんとは話すけど、わたしとは距離を置くようになった気がするのは、多分、気のせいではないだろう。
リヒトは人間の血が入った相手の心が読めてしまう。
だから、怪我をした人たちの心を読むことで、わたしの「祖神返り」した状態も視えてしまったのだろう。
圧倒的な力で、「精霊族」を怪我させてしまうような「化け物」が、自分に牙を剥かない保証はない。
ましてや、わたしは無意識であり、そのことを覚えてすらいないのだ。
そこに救いはない。
だから、離れていくのは仕方ない。
寧ろ、離れず踏み込んだ九十九はどこか頭のネジが数本ばかりぶっ飛んでいるとしか思えないし、今も、近くでこうして話しかけてくれる雄也さんも、普通の神経の人だとは思えない。
尤も、この雄也さんは利用できるものは何でも利用する系統の人だ。
わたしに分かりやすく害を感じない間は、何事もなかったかのように振舞うぐらいのことはするだろう。
でも、九十九はおかしい。
それは絶対に間違いない。
彼は損得以外のモノで動いている気がする。
九十九は、わたしの護衛は嘘を吐かない。
だから、あの時の言葉に嘘はないとは分かっている。
でも、その言葉が全てというわけでもないのだ。
九十九はわたしに嘘は言わないが、何かを隠すことはよくある。
ただ本当のことを全部言ってくれないだけ。
それが、わたしを護るために必要なことだと九十九自身が思えば、全てを伝えず隠してしまう。
それが悪いことだとは思わない。
でも、自分が起こしたことは自分で責任を取るべきだと思うのは悪いことなのだろうか?
「どうしたの?」
雄也さんがわたしに問いかける。
彼もわたしに嘘は言わない護衛。
でも、やっぱり、隠すことはされている。
「いろいろと不安なんです」
考える時間が多いということは、余計なことを考える時間も与えられているということだ。
この半日余り、何もすることがなかったのがいけないのだろう。
いや、することはあった。
雄也さんから頼まれたことは自分のできる範囲でちゃんとやったし、日課の勉強もした。
でも、それでも妙に空き時間があったというか、他のことを考えてしまう時間がたっぷりあったのだ。
「彼らのことなら、本当に自業自得だ。栞ちゃんが気に病むことではないよ」
もともと彼らがわたしたちに対して、悪いことをしようとしなければ、そんな目に遭わなかったという。
でも、本当にそうなのだろうか?
こうは考えられないか?
わたしが「祖神変化」を起こしたのは、たまたまこのタイミングだっただけで、わたしの置かれていた状況は関係なかったかもしれないのだ。
この島で、怖い目に遭わなくても、その日、その時間にわたしが「祖神変化」を起こすことは「ナニ」かによって既に決められていて、時間設定されたアラームが鳴るように、発動しただけだったとしたら?
それは、かなり恐ろしい話なのではないだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




