夢なんか見るな
「ところで、『鳥』はどうした? 殺したか?」
紅い髪の男は黒髪の青年に確認する。
「あの『綾歌族』のことなら、殺っちゃいねえ。栞の身に起きたことを考えれば殺りたかったが、そのために、自分が『神の呪い』を受けるのは割に合わん」
「なんだ。知っているのか」
その即答につまらなそうに紅い髪の男は言った。
「身近に『知識事典』がいて、さらに『神事全書』からも教えを頂いている。ああ、時々、『精霊百科』とも話をする機会があったからな」
自分の兄、大神官、そして、ジギタリスの第二王子か。
しかし、彼らを書物扱いするのはどうかと思う。
いや、彼も機械国家の王子から「植物図鑑」扱いされていたが。
「精霊族」は人間よりも神に近しい存在だ。
だから、その命を奪うことに対して神が、その人間に対して「神呪」と呼ばれる呪いを掛けることがあるという。
それは当事者だけでなく、その周囲や血族にまで及ぶこともあるので、「精霊族」に腹を立てても、殺してはならないと言われているのだ。
尤も、人間よりも強力な神の加護によって護られている「精霊族」を害することができる人間は、同じように神の加護を受けている王族の血筋を引く魔力の強い人間や、神や精霊への知識が深い神官や精霊使いぐらいだとは思う。
ああ、神に愛されたと言われる「聖人」もいるか。
その「聖人」とは、その魂が神に認められ、精霊族と同じように、「神力」と呼ばれる能力を振るえる存在のことである。
俗に言う「聖女」だ。
神は女好きなのか、歴史上、「聖人」と呼ばれる存在は、ほとんどが、女らしい。
だから、ほぼ「聖女」という通り名で話が通じてしまう。
……男は本当にいたのだろうか?
だが、神や「聖人」に詳しい大神官が、「歴史の紐を解けば、女性ばかりではなかったようです」と否定したから、私が知らないだけで、隠れた「聖人」がいたのかもしれないけれど。
そして、私の可愛い後輩は中心国の王族の血を引くだけでなく、本物の「神力」を僅かながらも行使できると聞いている。
だからこそ、彼女は「聖女の卵」と言われるのだ。
もしかしたら、この護衛青年だけでなく、魔法国家の王女である私以上に、精霊族を凌駕する可能性はあるのか。
「『聖女の番犬』として、敵になりそうな『精霊族』について、それぐらいの教養を身に着けるのは当然だな」
「『精霊族』は敵ばかりじゃねえよ」
「契約して首輪を付けていない『精霊族』は人類にとって敵以外の何者でもない。奴らは、神の影響が人類よりもずっと強く、自分よりも強者には従い、弱者を見下し蔑む気質を持っているからな」
そして、私をちらりと見て……。
「『精霊族』に夢なんか見るもんじゃない。碌なことにはならん」
そんな皮肉を言った。
三年前ならば、その意味は分からなかっただろう。
だが、この状況になって、その言葉は分かりやすい形で私に伝わってくる。
「その割には『鳥』を使ってるじゃねえか」
黒髪の青年は呆れたようにそう言った。
「アレは使えるから使っているだけだ」
「あの『綾歌族』が、今後も使えると思うか?」
それは低い呟き。
「あ?」
「命は奪ってないが、その源となるモノは頂いた」
「なんだと?」
「あの鳥は、オレの『聖女』に傷を負わせた。その代価だ」
そう言いながら、黒髪の青年は、紅い髪の男に袋を投げつける。
「これ……は……」
その中身を確認し、どこか茫然とする男。
「『精霊族』はどんな姿になってもその能力の核となるモノがある。人類の神官で言えば、髪や瞳だな。そして、『綾歌族』は羽だ」
「お前、アイツの羽を……」
紅い髪の男は袋から鈍色の羽を出して見ている。
「おお、根元から毟りとった。そして、『綾歌族』の羽なら、まだまだここにあるぞ」
さらに別の袋を取り出す黒髪の青年。
先ほどよりも大きなその袋には、明らかに、大量の何かが入っている。
最初の袋と、その袋を全て合わせれば……、かなりの量になるだろう。
「アイツは今、どこにいる?」
そんな低い声の呟きに対して……。
「オレが侵入した最初の部屋に眠らせた上で転がした。羽を毟ると本当に飛べなくなるし、魔法も効くようになるんだな」
黒髪の青年はどこか楽しそうにそう答えた。
「睡眠系の魔法耐性が高い『綾歌族』を眠らせた……だと?」
「おお。簡単に寝てくれたぞ」
その声は明らかに震えていて、それを見る限り、この紅い髪の男がただの『使い勝手の良い精霊』などには見えない。
「『綾歌族』の羽を全部毟らない限り、そこまでなるはずがない。だが、そんなことをすれば、どうなるか知っているのか?」
「『綾歌族』の羽は全部、毟られてしまうと二度と再生しないらしいな。それ以外なら、自慢の歌声で眠らせることもできなくなることぐらいは知っている」
彼らの精霊に対する知識は、明らかに私なんかよりもずっと上だった。
だが、なんだろう。
今の状況は、どっちが悪者かが本気で分からない。
「そこまで知っていて、よくもそこまで……。飛べず、歌えなくなった『綾歌族』がどうなるかも知っているんだろ?」
「短命になるらしいな。だが、お前らがそれだけのことをしたんだろ?」
ただ、黒髪の青年はこの上なく怒っていて、同時に、この紅い髪の男も彼に対する怒りを抑えていることだけは理解する。
下手に生唾すら呑み込めない緊張感。
「あの『鳥』はオレの大事な人間たちに手を出し、怖がらせた。栞も水尾さんも女性としてオレたち男には一生理解できないほど恐ろしい思いをしたんだ。それに対して、相応の代償で支払うのは当然の話ではないのか?」
その言葉に誰かが重なる。
そして、彼の言い分はそこまで非道なものでもない。
やられたからやり返した。
それに、命も奪っていない。
「だから、二人分の羽がここにある」
ただ……、二人分の報復措置だっただけの話だとそう言っているだけのこと。
「それとも、お前が代わりに償うか? 紅髪の飼い主」
そこにいるのはいつも甘い「後輩の護衛」ではなく、強さと厳しさを前面に見せている「王族の護衛」。
黒い髪、金色の瞳の騎士を思い出す。
あの男は敵に対して甘さが一切なかった。
だから、面倒だったのだ。
「行ってやれ。その上で、やり返したければここで待つ」
どこまでも、挑発的な言葉。
だが、その裏には絶対的な自信がある。
同時にこの辺りは甘い。
あの男なら、飼い主も問答なしにぶっ放している。
「その言葉、後悔するなよ、駄犬」
「後悔ならもう既にした後だ。これ以上、する気はない」
その言葉に対して、一瞬だけ、顔を顰めた後、足早に紅い髪の男は立ち去った。
後には、黒髪の青年と私だけが残される。
「本気で待つ気か?」
「まあ、めっちゃ、怒って飛び込んでくるでしょうね」
先ほどまでの剣呑な雰囲気が消え、どこか呑気な口調に戻る。
「だから、アイツが戻ってくる前に……。今のうちに、水尾さんの持ち物を回収しておきましょう」
「あ?」
そんな提案をされた。
「隠し書庫に入っていた私物。全部は持ち出し切れなかったでしょう?」
「あ、ああ」
何故、それが分かるのか?
そう思ったけれど、確かにアイツが戻ってくる前に回収できるならしておきたいのは確かだ。
「戻るまでに、10分……かかるか? まあ、事情を確認するのにそれぐらいだとは思います」
「事情を確認?」
「寝ているのを叩き起こして、その場で話を聞くと思うんですよね。アイツの性格上」
「それでも10分もかかるか?」
その「鳥」を探し出し、その後、そいつの容態を確認し、さらに移動魔法を使うだけだろうから、もっと早そうな気がする。
「かかります」
何故かきっぱりと言い切った。
「まず、混乱するでしょうから」
「あ?」
混乱ってなんだ?
「自分の予想と違った現状が目の前にあったら、大半の人間は混乱するものでしょう?」
そう微笑んだ彼の背後に、黒い髪、黒い瞳の嫌な性格をした男の姿が見えた気がしたのだった。
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