理想の女性
こんな状況だというのに軽く意識が飛ぶかと思った。
いや、魂が身体から抜け出たかと思った。
いきなり、なんてことを言いやがるんだ、この青年!!
この場で、そう叫ばなかったのは、これまで魔法制御のために感情を抑える訓練をしてきた結果だろうか?
「オレ、水尾さんのそういうところが、好きですよ」
さらりと、日常会話のように彼はそう言った。
そこに恋心とか下心とか、そんなものは一切感じさせないほどの爽やかな笑顔で。
「お前……」
言われた言葉の非現実さに対して、思わず放心しかけた私が何か言葉を発するよりも先に、紅い髪の男の方が、何故か、力が抜けてしまったかのように口にする。
「そんな言葉は本命にこそ言え」
全くだ。
同感だ。
なんで、このタイミングでそんな言葉を私に言うんだ?
まさか、主人がいないこのタイミングだからか?
「好きなものに対して、素直に好きって言うのは悪いことか?」
先ほどまでその男に向かって殺気を放っていたヤツと同一人物とは思えないほどの気軽さで、黒髪の青年は言葉を続ける。
「それに、オレだけじゃなくて、兄貴も水尾さんは『理想の女性』だと言うと思うぞ」
さらに容赦のない追撃を図るとか。
本当に勘弁してくれ。
私は、あの後輩を怒らせたくも、泣かせたくも、恨まれたくもないのに。
「……『理想の女性』とは?」
だが、紅い髪の男はそこに引っかかりを覚えたようだ。
それも、当然だ。
私は自分で言うのもアレだが、世間一般で言う女性らしさとはかけ離れていることは自覚している。
言動も容姿も、女性らしいとは言い難い。
それなのに、何故、彼はそんなことを表情も変えずに口にするのか?
「水尾さんは、オレのことよりも、栞を優先するだろ?」
「はあ~あっ!?」
自身の問いかけに対して、黒髪の青年が出した答えに、紅い髪の男はこれまでにないほど大きく奇妙な声を上げた。
「下手すれば、オレだけじゃなく、自分自身よりも栞を大事にしてくれる。そんな『理想の女性』が他にいると思うか?」
……真顔でそんなことを言われた。
だが、なんだろう?
本来、身近な異性から、「理想の女性」と真顔で言われれば、少しぐらい嬉しさはあると思う。
だが、そんな感情が今の私には一切なかった。
寧ろ、嬉しくないと言いたくなってしまったのが正直な私の気持ちだ。
「お前……、それはミオルカ王女殿下にかなり失礼な発言だとは思わないのか?」
紅い髪の男が私を見ながらそう口にする。
もしかしなくても、気遣われたのかもしれない。
「いや、真面目に言えば、もっといろいろあるんだぞ?」
黒髪の青年自身も少しは罪悪感があるのか、そう言ってはくれたものの……。
「だが、オレにとって最も優先すべきは主人だ。だから、オレが求める『理想の女性』という言葉で括るなら、最初に出てくる条件はそれだ」
結論は変わらなかった。
なんというか……。
これ、私は怒るべきところなのか?
そう思いはしたものの、やっぱり、怒ることなどできなかった。
この黒髪の青年にとっては、どこまでもあの主人が最優先であり、あの主人こそが唯一なのだ。
そこに迷いも揺らぎもない。
だからこそ、他人……、具体的には自分の相方になる可能性のある異性に対してすら、そのことを望んでしまうのだろう。
尤も、女性の立場からすれば、ふざけた話だと思う。
既に特別な想い人がいると公言されているようなものなのだから。
だけど、黒髪の青年当人にとっては、本当に真面目な話なのだ。
そして、彼が言うように、それが最大の判断基準ならば、行動を共にしている私や、あの後輩の友人である法力国家の王女なんかは、彼にとって「理想の女」と言って差し支えはないかもしれない。
法力国家の王女の方は嫌がりそうだが。
「ミオルカ王女殿下? 貴女は怒らないのか? ここは怒った方が良い。この場は怒るべきだ。寧ろ、怒るしかない。いや、問答無用で怒れ!」
なんとなく『怒る』の五段活用をされた気がする。
そして、私よりもこの男の方が、この状況に怒りを感じているのは気のせいではないだろう。
明らかに黒髪の青年の基準が歪み過ぎているのだから。
「ここまで言われて怒る気力が湧くと思うか?」
だが、主人最優先も、ここまで突き抜ければ、笑うしかないだろう。
どこまでも主人しか見ない男は、自身の「理想の異性」すら、主人が基準になっていると嘘偽りなく口にしているのだから。
そして、彼自身も先ほど言った通り、その兄も同じものを女性に対して求めている気がする。
この年頃の兄弟に、特別な女性ができない理由はよく分かった。
そうなると、これは、あの後輩がこの兄弟を二人まとめて面倒をみるしかないんじゃないか?
いくら何でも、この兄弟の魔法国家の貴族並みに強い魔力が、次世代に全く継承されないのは、勿体ないだろう。
セントポーリアは一妻多夫を認める国だったか?
逆なら他の国でもよく聞くんだけどな。
「そこまで分かりやすく主人への愛が溢れまくっているのに、主人に手を出さない理由が分からん」
明らかに不機嫌な紅い髪の男に対して……。
「いや、普通に考えれば、主人に手を出す護衛なんか最悪だろう」
私が反射的にそう言うと、黒髪の青年は目を逸らしながら自身の胸を押さえた。
何かが深く突き刺さったらしい。
それについて、心当たりがあるだけに苦笑したくなる。
そして、この紅い髪の男もそれを狙ったのだろう。
実に、的確な言葉だった。
「お前たちにそれぞれの理由があるように、この兄弟たちにも事情があるんだろう。そうじゃなければ、こんなさらりと口説き文句を真顔で言えるような男が、高田に対して、何も言わないはずがない」
そこには私が知らない事情があるはずだ。
その証拠に、あの「ゆめの郷」の滞在以降、主人に対して、その全身全霊で好意を表現するようになった男が、一番肝心な部分を何も言わないのだ。
言っても問題はないような位置にいるというのに。
私にすら、さらりと「好き」だと言ってしまうような男だ。
あの主人に対して、その感情を口にしない、口にできない理由がどこかにあるはずだ。
もしかしたら、それが雇用契約の際に施された「条件」……、ではないだろうか?
あるいは、主人に抱いている感情が、恋情とは似て非なるものだと今も思い込んでいるとか?
いや、「発情期」で自覚したはずなのに、それがあり得ないだろう。
それとも、相手にその見込みがないから諦めている?
正直、そんな諦めの良い男だとも思えん。
「だから、何も知らない第三者は何も言うな」
私はそう結論付けた。
「貴女は、それで良いのか? ミオルカ王女殿下」
「九十九が高田に言おうが言うまいが、私には関係ないことだからな。高田が泣かなければそれで良い」
私がそう言うと、紅い髪の男は露骨に嫌そうな顔を見せ、黒髪の青年は嬉しそうに笑った。
「尤も、不義理で高田を泣かす男は誰であっても、私の敵だけどな」
そう言って、目の前の男どもを牽制する。
ここにいる男どもがどれだけあの娘のことを想い、愛を囁こうと、勝手にしてくれと思うだけだが、彼女を泣かせるというのなら、話は別である。
あの後輩は私にとっても大事な恩人なのだ。
私の心身だけでなく、魔法国家の王族としての矜持すら、彼女によって護られたのだ。
彼女がいなければ、今の私という存在はなかった。
彼女と再会して、供に過ごすうちに、私は少しずつ、王族としての誇りを取り戻していった。
彼女に出会わなければ、護られていたことにも気付かない傲慢なだけのただ魔力が強いだけの女に成り下がっていただろう。
運命の女神に激しく振り回されている割に、我が道を突き進むあの「聖女の卵」は、本人が意図しない方向に道は創られても、笑って前に踏み出す強さを持った力強い娘でもある。
そんな彼女の歩みを止めさせる存在にはなりたくないのだ。
「だから、オレは水尾さんが好きなんだ」
そんな黒髪の青年の言葉は聞こえなかったことにした。
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