「聖女の守護」持ち
「そろそろ時間か。俺は行くが、お前たちはもう少しいちゃつきながら、散策するつもりだろう? 外部から誰も来ないと思うが、ほどほどにな」
と、紅い髪の男はさりげなくとんでもないことを口にした。
「親切だな」
だが、黒髪の青年はさほど気にした風でもなくさらりと流す。
そして、どの辺が「親切」だと感じたのかが分からない。
紅い髪の男も自分の吐いた台詞に、特別深い意味はなかったのか、鼻で笑って続ける。
「今のあんたに攻撃仕掛けたら、大半の人間は返り討たれる。本物の『聖女の守護』持ちを相手にするには準備が足りないし、分が悪い」
それは、準備が整えば可能ってことか?
だが、どれだけの準備をすればそれが可能なんだろうか?
この紅い髪の男が言う「聖女の守護」というのは、あの後輩が彼に施した強化魔法だと思う。
だけど、先ほどよりも、「体内魔気」の気配が分かるようになった今、黒髪の青年の「魔気のまもり」がとんでもないものだってことはよく分かる。
やはり、ただの強化魔法でこれはありえない気がした。
「当人は『祝福』だと言っていたぞ」
「馬鹿を言え。そこまで強力な『祝福』があってたまるかよ」
「そんなこと言われても、一分とかからず……、ああ、二回重ね掛けしたからか?」
首を捻りながらも黒髪の青年はそう答えた。
当人もよく分かっていないらしい。
でも、なんとなく顔が赤い気がするのは気のせいか?
あの後輩からの「強化魔法」がそんなに嬉しいのだろうか?
嬉しいか。
これまで、魔法らしい魔法がほとんど使えなかったあの後輩が、自分のことを思って補助魔法を使ってくれたのだ。
護衛としても、彼女を想う男としても嬉しくないはずがない。
それを考えると……、強化魔法の効果が上乗せされているのも分かる気はする。
「二回重複させたぐらいで、そこまで能力向上している自分に疑問を持ってくださいませんかね?」
口調こそ丁寧だが、紅い髪の男は苛立たしさを隠さない。
どこか嬉しそうな黒髪の青年に対する苛立ちなのか、それ以外の感情から来ているのかは私では判断がつかない。
「しかも、結構な時間が経っているはずなのに、まだその効果が切れる様子がないのが恐ろしい」
もしかしたら、長々と会話を続けていたのは、それを確認したかったらしい。
そして、それなりに時間を稼いでも、この青年に施された強化……、いや、「聖女の守護」とやらは効果を失わなかったってことになる。
「主人からの愛だな」
「抜かしやがれ、ヘタレ従者が」
臆面もなく主人からの好意を口にする黒髪の青年のことが、癪に障ったと言わんばかりに紅い髪の男は言い返す。
「オレは、ヘタレでも良いんだよ。あの主人が強ければ」
「ほう。主人を盾にする気か?」
「違う。あの主人が強くある限り、オレは絶対、情けない所を見せられないから」
迷いもなくそう言い切る。
そこに眩しさを感じたのか、紅い髪の男は少しだけ片目を細めた。
「溺愛しすぎだろう、番犬」
そんな捻りのない言葉に対して……。
「おお。だから、主人に集る質の悪い虫やネズミが多すぎて困ってる」
真っすぐに相手の目を見る黒髪の青年。
そこにあるのは確かな敵意ではあるが、相手を射殺すほどの殺意は感じられなかった。
……これまでは。
「お前に聞いておきたいことがある」
不意に、黒髪の青年の声が一段、低くなった。
「あ?」
「あの島にあの『綾歌族』を向かわせたのはお前か?」
この様子から、もしかしたら、ずっとこの質問を切り出すタイミングを計っていたのかもしれない。
「俺の命というよりも、王の命だな。羽があるヤツの方が、あの場所を行き来しやすい」
紅い髪の男にとっては、聞かれて困ることでもないのだろう。
隠すことなくそう答えた。
「そのために栞の身が危険に晒されたことは知っていたか?」
「…………」
そこで紅い髪の男は沈黙する。
それは、答えに窮しているというよりも、何かを思い出そうとしているような顔だった。
「犯された……、いや、マワされたか?」
「なっ!?」
零れるように呟かれた言葉に対して、思わず、声を出してしまった。
その「マワされた」ってのはよく分からなかったけれど、先に言われた言葉ぐらいは知っている。
「いや、それなら、あんたが短時間でここには来てないか」
さらに続いた独り言のようなその台詞には、微かに安堵が籠っていた。
もしかしたら、その言葉を吐いた当人自身にはその意識はなかったかもしれない。
だが、確かにこの紅い髪の男の言動とその表情には変化があった。
一瞬にして張り詰めた空気。
そして、直後にそれが解け、漏らされた息。
さらに、血の気が引き、蒼褪めた表情から、熱を取り戻して赤みが戻る瞬間を見たのだ。
そこにあるのは害意ではない。もっと別の感情だ。
「おお。確かに栞は無事だった」
だが、それとは対照的に、黒髪の青年からは表情が消えている。
「あの女は、『祖神変化』することで助かったんだ」
「祖神……、変化……だと?」
紅い髪の男が顔を顰めながらそう返す。
私も首を捻るしかない。
勿論、王族として「祖神」ぐらいは分かる。
自分の魂の素となる神のことだ。
魔法適性を含めた人間の能力は、その神の影響を受けて左右すると言われている。
だが、「変化」ってなんだ?
その言葉を素直に受け止めれば、その祖神に変身したってことになる。
それでも、どんなに「聖女」の素養があっても、そんなことが簡単にできるとは思えなかった。
そうなると、神官の隠語か何かか?
「それで、シオリは、戻ったのか?」
紅い髪の男は探るように確認する。
どことなく、再び蒼褪めているように見えるのは気のせいだろうか?
「おお、戻してやった」
「戻して……、やった?」
「法力国家の王女殿下による有難い助言があったからな。アレがなければ……、戻せたかは分からん」
「そうか……」
それは、先ほどよりも分かりやすくほっとした様子の男。
私にはよく分からんが、その「祖神変化」とやらは、この男にとってよくないことだったらしい。
いや、この護衛青年にとってもそうなのか。
「だが、お前らのせいで、栞が危険な目に遭ったのは事実だ」
先ほどまで落ち着いていたはずの黒髪の青年は、その時の怒りを思い出したのか、感情を露わにする。
当然だ。
その「祖神変化」ってやつのおかげで助かったとはいっても、誰だって、自分が好きになった女が危険な目に遭うことを喜べるはずもない。
それも、そんな形の危険なんて……。
「自分の手で護れなかったことを、他人のせいにしてんじゃねえよ」
だが、それに対して紅い髪の男は冷えた言葉を返した。
「あの女は俺たちが関わらなくても、神官や精霊族たちに好まれる魂なんだ。護衛なら、その危険ぐらい熟知しておけ」
そして、先ほどまでの動揺を隠すかのように言い捨てる。
まるで、自分には関りのないとでも言おうとしているように。
「それなら、お前も飼っている『鳥』や『獣』の管理ぐらいはしておけ」
黒髪の青年はそこで大きく息を吐く。
「お前だって、栞が他の男のモノになることは許せても、神のモノになることだけは許せないんだろ?」
誰よりもそれを望まないはずの男が、紅い髪の男に向かって同意を求める。
言われた男は目を見開き……。
「そんなこと、俺が知るか。そう願うなら、お前こそしっかり護り切れよ。『聖女の護衛』」
言葉の勇ましさとは裏腹に、どこか苦し気にそう返した。
だけど、黒髪の青年は目を細めて、こう言った。
「明るい虚言だな」
珍しい言い方だが、明朗な嘘ってことだろう。
だが、それは、この男のことをよく知らない私でも分かるようなことだった。
自分に知るものかと言い返した瞬間、この男の顔が苦痛に歪んだのだ。
あんな痛ましさを見せておきながら、素知らぬふりなんて道理が通らない。
「まあ、あの状況を作り出したのが、お前の意図でなかったのならば良いんだ」
「はっ! 甘いことだな」
吐き捨てるように紅い髪の男はそう言った。
「ああ、オレは甘い」
そう言いながら、黒髪の青年は紅い髪の男を見て薄く笑う。
「お前が水尾さんを保護してなければ顔を見た瞬間に、首をすっ飛ばす程度はしたかったぐらいにな」
一瞬、風が吹き抜……、いや、突き抜け……、どこからか刃物を取り出し、紅い髪の男を切り上げるような黒髪の青年の幻を見た気がした。
実際は、二人とも微動だにしていないのに。
幻視のような殺気。
そんなものを私は初めて見た。
だが、紅い髪の男はそこまでの殺気を叩き込まれても尚、口元に笑みを浮かべる。
「ミオルカ王女殿下。俺は、貴女の存在に命を救われたらしいぞ」
「馬鹿言え。命の危機に瀕したのも、その命が救われたのも、私じゃなくて、お前の行いの果てにあったものだ。私の存在はその判断材料の一つでしかない」
私がそう言うと、紅い髪の男も黒髪の青年も目を丸くした。
どちらも驚いてはいるが、紅い髪の男は信じられないと言わんばかりの顔をしている。
そして、それは分かる。
だが、それに対して、黒髪の青年の方はどこか嬉しそうに見えるのは何故だろうか?
「水尾さんらしいや」
さらに笑いながら、そんなことを言われても、疑問が増えるだけだ。
私はどちらかと言えば、男の言葉を振り払っている。
それを「私らしい」と言えばそうなのだろうけど、そこで笑う理由にはならない気がする。
さらに、黒髪の青年は言う。
「オレ、水尾さんのそういうところが、好きですよ」
そんな爆弾発言を。
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