【第8章― 出会いは突然やってきた ―】お料理教室
ここから第8章になります。
「う~ん」
わたしは鍋を前にして唸るしかなかった。
「何故こうなった?」
同じく鍋の中身を見た九十九が呆れたように肩をすくめる。
「キャラティとコリマスタを入れた後に、ヌイタを入れたらこうなった」
自分としては、人参とジャガイモを入れた後に、調味料を入れる感覚だったのだが、そこでこの世界特有の現象が発生する。
その結果……、目の前の鍋には明らかに健康に悪そうな青色の何かがあった。
何故、そんな色の液体になったのか、本当によく分からない。
「敗因はヌイタだな。コリマスタと相性が悪い。キャラティだけなら問題はなかったんだが」
九十九が、鍋を掻き混ぜながら、そう言った。
「え……っと、復活はできそう?」
「あ~~~。これならガルメスの追加でなんとか……ならんな。こいつ、完全に液化している」
「うぐ~~! また失敗か~~~~~~!!」
わたしは思わず叫んでしまった。
もうこれで何度目の失敗か分からない。
「仕方ない。まあ形が残ればリサイクルは可能だから良いんじゃないか?」
魔界では失敗した食材は、不思議なゴミ箱に入れることになっている。
すると、そこから部屋の明かりになったり、防犯を兼ねた結界を維持する力となったりといろんなエネルギーに変換されるらしいのだ。
人間界で言う発電機を想像して頂ければ分かりやすいかもしれない。
いや、電気は使えないのだけど、単にイメージの話だ。
「でも、これで何回目だろう、身体に悪そうな謎料理に変化するのは……」
「食べられない代物を料理と呼んでいいかは疑問だがな」
そう辛辣なことを言いながら、九十九は手早く料理をしていく。
その手際の見事さには惚れ惚れしてしまう。
人間界でもお料理上手な九十九は、魔界でも料理がかなりうまかった。
彼の兄である雄也先輩も料理が上手だけど、九十九の料理の方がわたしは好みなのだ。
いや、自分でまともに料理ができない人間が好みとか偉そうに言う資格はない気もするのだけれど。
「まずは自分でアレンジしてみようと思うなって。とりあえずは基本。それができるようになればそのうち自分好みの味付けは可能になるから」
九十九はそう言うが……。
「コンベスよりヌイタの方が味は好きなんだよ」
わたしにだって好みというものがあるのだ。
「だったらそこはコリマスタよりハンバズかヤーヴェを入れるんだな」
「ハンバズってしいたけのようなキノコだったよね。でも、ヤーヴェって何?」
九十九の言葉に、この世界の食材を思い起こす。
「きゅうりみたいなヤツ」
「え~、きゅうりを煮るの?」
「人間界でもきゅうりの煮物はある。味噌汁に入れても美味かったぞ。文句は食ってから言え」
九十九が言うなら、本当に美味しかったのだろう。
どうせなら、食べたかった。
さて、わたしたちは見てのとおり、料理をしている。
勉強の合間のちょっとした息抜きの時間のはずだが、どう考えても休めている気がしない。
むしろ、疲れてしまっているような気さえする。
「お前、テキストの方はどれくらい進んだ?」
「15ページ目で苦戦中。本は2冊読めた」
「進んでいるだけマシだな」
「料理よりは楽だからね。文字もアルファベットそっくりだし。英語と違うのがアレだけど、思ったよりは難しくない」
「オレは料理の方が楽だと思うけどな~」
「良い嫁になるね」
「なんで男のオレが嫁になるんだよ」
この世界に来てから一ヶ月。
わたしはこんな毎日を過ごしていた。
基本的と言われているような読み書きの練習と、その合間に九十九と二人で料理の練習。
母はなんか自室に篭って雄也先輩が届けてくれるいろいろな書物を読み漁っているようだし、その雄也先輩は基本的にお城へ出勤。
…………いや、お城だから登城?
必然的にわたしは九十九と過ごす時間が多くなるのである。
「で、九十九はさっきから何を作っているの? お昼ご飯の準備は出来たでしょ?」
彼は、お昼ご飯とは別に何かを作っていた。
「保存食を作ってんだよ。いつ必要になるか分からねえからな。これは兄貴からの指示だ」
「保存食?」
耳慣れない単語が聞こえた気がして聞き返す。
「そ。作り置きしていれば、いざという時に役に立つからな」
「人間界で言うカンパンみたいなもの?」
缶詰に入れられた賞味期限の長いパンとか、お店で売られている乾パンを思い出す。
「カン……、まあ、非常食と考えれば似たようなものといえないこともないが」
似ているけどちょっと違うらしい。
「それだけ作ってよく失敗しないよね」
本当に感心してしまう。
「法則さえ掴めば誰でも出来ることだ」
「その法則とやらが無数にあって掴むことができないから言ってるんだよ」
「お前は初心者のくせに無駄にアレンジしようとするから失敗してるだけだろ。レシピ通りに作ればそこまでの失敗はなくなるはずだ」
「レシピが細かいんだよ」
「お前が大雑把なだけだ」
そうは言われても、九十九はどう見ても目分量でひょいひょいと作っていくのだ。
目の前でそんなに簡単にされれば、自分だってできるような気がしてしまうのは仕方のないことなのではないだろうか?
「さて、そろそろ買い出しに行かないと、調味料がいくつかなくなりそうだ」
そう言って九十九は作業の手を止めた。
目の前の大皿には、いろいろな料理が並んでいる。
「随分と種類があるけど、これ全部保存食なの?」
「そうだ。同じものばっかりじゃ飽きるだろ? 一つぐらいなら食べてみるか?」
そう言って、九十九は小さな欠片をくれた。
「保存期間はどれくらい?」
「ここにあるものなら短いもので2,3ヶ月。長いものなら10年はもつらしい。流石にそこまで保存したことねえけど」
「10……? 一体、どんな保存料を使えばそんなにもつの?」
缶詰のように密閉はしていなくても、そんなにもつことにびっくりしてしまう。
魔界だから、魔女の薬みたいなものがあるのだろうか?
「言っとくが、怪しい薬は一切使ってないぞ。調味料だって天然素材しかオレは使わねえからな」
「どれだけこだわりが強いんだ……」
人間界で言えば、スーパーで売っているような顆粒出汁ではなく、昆布とか鰹節とかを駆使して、丁寧に出汁をとるようなものだと思う。
「どうせなら身体に良いものの方が良いだろ? それが旨いなら尚更だ。薬品臭いのは好きじゃねえし」
「九十九の奥さんになる方に同情するよ。一生懸命作ったものでもこんなもの食えるか~って言いそうだ」
「オレはそこまで横暴じゃねえ。一生懸命作ったものなら文句言わずに食うよ。死なない程度のものならだけどな」
それが本当なら、九十九の奥さんになる人は嬉しいだろう。
勿論、そんなことを口に出してまで言わないけど。
「で、オレは出かけたいけどお前はどうする? この家の中にいるなら護衛は不要だし、買い物に付き合ってくれるならそれはそれで問題ない」
「ん~。もう少し、この食材たちと格闘してみるよ」
九十九の言葉にそう答える。
「分かった。何かあったら呼べよ」
「うん。じゃあ、気をつけて」
そう言って、わたしは九十九を送り出した。
さて、どうしよう。
彼には食材と格闘すると言ったが、正直、今日は勝てる気がしない。
試しにハンバズとキャラティを入れた後にヌイタを鍋に放り込むと……何故か、毒々しいほどの赤いスープが出来上がった。
しいたけ、人参に調味料……。
おかしい。
ここまで赤くなるものは入っていなかったのに、まるでトマトを煮詰めたかのようだ。
試しに掬ってみると、黒い湯気が立ち上っていた。
これは食べられる気がしない。
……九十九の嘘つき。
だが、こんな状況では勉強する気にもなれない。
仕方なく、お皿や鍋を洗う。
魔界に来て、これだけはうまくなった気がする。
それだけ料理が失敗しているってことなのだと思うと少しだけ悲しくなるけど。
「ちょっとだけ気分転換してみるか」
そう思いたった。
よくよく考えてみれば、この一ヶ月。
ほとんどの時間をこの家で過ごしている。
いい加減、退屈ではあったのだ。
最近は夢見もどこか良くないものが多くて、眠ることも気が進まない。
わたしは料理のために袖を捲っていた自分の左手首を見る。
そこにはいつもと変わらない手首があった。
当然だ。
あれは夢なのだから。
それでも、あまり長く見ていたくなくて、袖で隠す。
こんな時、伸びる素材の服は良い。
退屈ではあったが、それでも、九十九と一緒に出かける気にもなれなかった。
あの商店街の呼び込みは、今の気分には合わない。
そんなわけで、一人で近くを散歩することにした。
通信珠を持っていけば、九十九もそこまで怒ることはないだろう。
だが、わたしはとても大切なことを忘れていたのだ。
この一ヶ月があまりにも平和だったせいかもしれない。
そして、そのことがわたしたちの運命を大きく変えることになるとは……、この時のわたしは全く思いもしなかったのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




