髪の毛を切る理由
「水尾さん、もう一度、もう一度だけで良いんです。どうか、どうか……、もう一度だけお願いします」
日頃の冷静さの欠片もないような言葉。
そこに微かに漂う色気がある分、かなりタチが悪い。
「取りようによっては、誤解を招きかねん言葉だな」
他人事のような物言いだが、同感である。
あの後輩に護衛の躾ぐらいしておけと小一時間説教したいぐらいだ。
尤も、そう言っても「わたしも困ってるんですよね~」と、さらに他人事のように返される図しか思い浮かばないのだが。
「水尾さん!!」
「しつこい!!」
「しつこい男は嫌われるぞ~。主に、黒髪、垂れ目の女から」
紅い髪の男はニヤニヤと楽しそうにそう言った。
事の発端は、私の中学生時代のアルバムだ。
それも、部活動だけが厳選されたもの。
そこに中学時代の後輩の写真もあった。
それぐらいなら、ここまでの反応はなかっただろう。
だが、その中に数枚、あったのだ。
夏合宿の写真が……。
あの年の夏合宿は海の近くで行われた。
中学生が、遊泳の許可がされている海水浴場の近くでの合宿。
そして、青少年のこの反応。
お判りいただけただろうか?
「今よりもっとツルペタなシオリの写真など見て、面白いか?」
「ツルペタって言うな!! 栞の水着姿なんて、オレは小学生の時だってまともに見ちゃいないんだ!!」
「小学生で異性の水着を堂々と見るのはただの変態だからな」
黒髪の青年の主張に、紅い髪の男は意外にもやや引き気味な印象だった。
ごく普通の学校指定の紺色水着姿にここまで反応されるのは女冥利に尽きるというべきか。
それとも、こんな護衛で大丈夫か? と問うべきか。
「シオリの水着ねえ……。俺も数はねえけど、こんなところか?」
そう言って、紅い髪の男は数枚の紙を出す。
「この変態!!」
「お前が言うなよ」
差し出された紙を見て、黒髪の青年は叫ぶ。
私も何の気はなしにそれを見たが、どう見ても、小学校、中学校の授業風景。
それも体育の授業だ。
そこに写されている見慣れた後輩のちょっと幼い水着姿や、体操服の姿。
視線がカメラに向けられていない所を見ると、明らかに隠し撮りでしかない。
どこの扇情カメラマンが撮ったのか?
いや、写真自体は、女子小学生、女子中学生の水着姿や体操着ではあっても、そこまで色気のあるようなものではなく、寧ろ、健康的ですらあるのだが。
「教室にいるよりは、外の方が写真も撮りやすかったんだよ」
「許可なく撮ってんじゃねえよ!!」
「そう言いながら、中学生分を懐に入れるな。それは俺のだからな」
この場にあの後輩がいなくて良かったと心底思う。
これはない。
好意から来ていたとしても、これはない。
しかし、紅い髪の男の反応がやや薄いと思っていたが、この男もいろいろ写真を撮っていたらしい。
しかも、すっと出てきたあたり、「印付け」が完了している。
そして、相当数撮ってたんじゃねえか?
「高田に同情するしかないな」
私は溜息を吐くしかない。
「ま、まさか……。お前、この写真でいろいろ悪さしてんじゃねえよな?」
黒髪の青年は恐る恐る確認する。
悪さ?
誰かに売りつけるとか?
そんなヤツには見えないけどな。
どう見ても、自分一人で楽しむタイプだろ?
「オカズ的な意味ならノーコメントだ」
「この野郎!!」
オカズってなんだ?
好きな女の写真を見ながら、メシを食うって話か?
「いや、こんな小、中学生に情欲抱くのは変態だからな」
抱くのは、食欲じゃなかったらしい。
まあ、女の写真があれば、そういうのが好きな男もいるのか。
いや、どこをどう聞いても、ヘンタイじゃねえか。
「そろそろ、片付けて良いか?」
これ以上、これらの写真をこの場に出しておくのは危険な気がした。
「ま、待ってください!! あと少しだけ!! 水着以外の栞も堪能させてください」
黒髪の青年は私の言葉に反応する。
しかし、「堪能」って……。
「護衛が一番、危険人物じゃねえか」
こればかりは紅い髪の男に同感だが、私は口にしない。
前々からそんな気はしていたから、今更、口出しはしない。
「だけど、こんなに髪、長かったんですね」
本当に一度も会わなかったのだろう。
会っていたら、あの身長であれだけの髪の長さだ。
あの中学でそれなりに注目を浴びていた、人形のように可愛い後輩を捨て置けなかった気がする。
接近禁止命令ってそのせいか?
いや、この青年にそんな命令を出しそうなのって、多分、兄だよな?
あの兄は、この頃の後輩のことも知っていたのか?
「なんで切ったんだろう?」
それは私も先ほど思い出した疑問だった。
あれだけの長い髪をバッサリ切るのはそれなりに覚悟が必要だったはずだ。
「失恋じゃねえか?」
紅い髪の男はそんなことをあっさりと口にした。
「「失恋?」」
私と黒髪の青年の声が重なる。
「古来より、女が髪の毛を切る理由なんてそんなもんだろ?」
意外と紅い髪の男はロマンチストらしい。
だが、そんな健気な女が今時いるものか?
「近所の美容室の一日限定爆安価格に目が眩んだらしい」
そして、さらに続いた黒髪の青年の言葉で、その全てが台無しになった感が強い。
その辺りの事情は聞かされていたようだ。
その理由は、「失恋」などという曖昧なものよりも、あまりにも彼女らしくて頭を抱えたくなった。
「一日限定」とか「爆安」とか期間限定、お買い得価格という響きが好きだったあの当時の後輩なら、吸い寄せられた可能性がある。
「だが、何故、その価格設定をミラージュが設定したのかは分からんな」
「ほう。そこに行きついたのか?」
「あからさまな手口だったからな」
ちょっと待て?
ミラージュが美容室の価格設定をして、そこにあの後輩が飛びついたってことか?
それは、あの後輩の思考を読んだことに他ならない。
そして、それを読んだのがこの男なのか、その部下とやらなのか分からないが、どれだけ、彼女を観察し続けた結果なのか?
「だが、あのタイミングで、『高田栞』が髪を切ると思った理由が気になる」
「ああ、あんたは知らないのか?」
「オレは切りたいタイミングがあったとしか聞かされていない」
そんな黒髪の青年の言葉に紅い髪の男は不敵に笑った。
「言ったろ? 失恋したって」
「「は?」」
「好きな男に女ができるなんて、どこにでもある話だ」
「ど、どういうことだ?」
明らかに動揺している青年。
だけど、それって、あの後輩にとっては過去の話なんだよな?
しかも、本当にそれが髪を切った理由ならば、この青年と再会する前の話だ。
それが、そんなに気になるものなのか?
「それよりも、あんたが、あの日。高田栞の傍にいた理由を言え」
「は?」
「俺はずっとそれが気になっていた」
「悪い。いつのことか分からん」
確かにこの青年は私が知る限り、結構な頻度で、後輩の傍にいる。
具体的な日付を言われなければ分からないほどに。
「会話の流れで察しろ。三年前の双月宮14日。人間界で言えば、3月3日だ」
「あれは……、兄貴に、あの場所にいろって言われて……」
言われるまま、素直に答える黒髪の青年。
彼にとって、特に隠すようなことではないらしい。
だが、その日って、あの後輩の誕生日じゃねえか?
「兄に?」
だが、紅い髪の男は訝し気な顔をした。
「馬鹿を言うな。あの男は『未来視』ではないはずだ」
「そんなことまで知っているお前は本当に何者だ?」
確かに青年のいう通り、普通は、他人の「夢視」の能力など、伝えない限り知るはずがない。
「確かにオレの兄の『夢視』は『未来視』ではない。だが、あの日については、兄から聞いた。それは確かだ」
「あんたの能力じゃないのか?」
その言葉は、この青年の「夢視」の能力が、「未来視」だって分かっているということだ。
「残念ながら、オレの『未来視』は日時の特定なんかできん。ただ、あの日については、兄があの場所で待てと指示した。だから、詳しく知りたければ兄に聞け」
「あの男に……、か……」
どうやら、この様子から、紅い髪の男も、あの先輩のことは苦手なようだ。
いや、あの先輩に苦手意識を持たないのって、後輩ぐらいじゃないか?
「つまり、お前たちは『未来視』で、『高田栞』の想い人が近日中に彼女ができることを知ったわけだ。そこで、網を張った……と」
それは、かなり確率が低い話ではないだろうか?
「いや? そんな不安定な可能性に賭けるかよ」
案の定、紅い髪の男は否定する。
「まあ、失恋がきっかけになった可能性はあったと思うが、実際、俺たちの部下が視たのは、受験の日に髪を切った彼女の姿だ」
「おお?」
「つまり、近々、髪を切ると思った。だから、その後押しをする意味で、激安価格設定をさせたんだ」
それも、不安定な可能性だと思うのは私だけか?
大体、「未来視」で視る未来は、確定された未来ではなく、可能性の話だ。
だから、何か一つが狂うだけで、簡単に、その状況から外れてしまう。
確定された未来を視ることができるヤツなんて、占術師……、それも「盲いた占術師」と言われる人ぐらいじゃないだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




