神をも出し抜く
「オレは主を替えた覚えはないし、替える予定もねえ」
黒髪の青年は私に背を向けたまま、きっぱりとそう言い切った。
「そうか? また何かをやらかして、てっきりシオリの護衛をクビになったかと思ったぞ」
部屋にいる声は、まるで、青年を煽るような言葉を吐く。
「まさか」
黒髪の青年は笑いながら応えたのだろう。
「ここにいるのはオレの意思で、同時に主人である栞の意向でもある」
その言葉から感じられるのは、自身への確固たる信念と、主人への変わりない敬愛の情。
その上で、揺らぎない意志を相手に見せつける。
―――― 成長したなあ
それを見守る私としてはこんな感想を抱いてしまう。
まるで、小さい頃からよく知っている親戚の子の成長を見ているような心境だった。
「あ~、通信珠を渡したのは、やっぱりあの女か」
どこか感心したような声。
「おお、見事な手腕だっただろう?」
「あの『鳥』の眼を掻い潜ったのだから、そこは認めるしかないな」
「『鳥』? ああ、あの『綾歌族』か」
精霊族を「鳥」扱いしていたのか。
確かに「綾歌族」は、鳥に変化できると聞いているが、それにしたって、もっと他の表現はなかっただろうか?
「随分、好き勝手、やってくれたみたいじゃねえか。番犬風情が」
「お前たちに言われたくはないな、紅いネズミ」
先ほどから犬と言われているためか、青年は声の主を「ネズミ」と称した。
個人的には、哺乳類に拘るなら、この声の主は、「ネズミ」よりも、なんとなく「キツネ」っぽい気がするのだが、「紅いキツネ」と言ってしまうと、表現的にいろいろ引っかかるものがあったのだろうな。
分かる気はする。
「あの島でお前たちは一体、何やっていやがった?」
黒髪の青年は当然の問いかけをした。
「自分たちの飼育動物の管理だ。部外者に口出しされたくはねえ」
だが、やはり紅い髪の男も素直に答えるはずがない。
「その部外者を巻き込んでおきながら、何抜かす」
「あの島は航路にも入ってない。普通なら立ち寄るはずもない場所のはずだが、なんで、お前たちがやってきたんだ? 俺はそっちの方が気になるんだが……」
「気にするな」
黒髪の青年は目を逸らしながらもそう言った。
私も同感だ。
あの島に行った経緯は、褒められたものでも、自慢できるものでもなかったのだから。
「シオリが望んだか?」
「は? そんなわけねえだろ?」
だが、私たちの態度に何かを感じたのか、声の主から何故かそんなことを問われて、青年は反論する。
「あの女が、黒いのを連れて行きたいって願ったわけじゃないのか?」
「なんで、栞があんな場所にリヒトを連れて行きたいって思うんだよ?」
「なんでって……。ああ、あの時はアイツと違うのか」
そんな意味深な言葉を呟かれては、あの後輩の護衛である青年は、黙っていられなかったようだ。
「何の話だ?」
先ほどの挑発的な言葉には乗せられなかったのに、今度はあっさりと乗ってしまった。
「精霊族が『番い』と感じるのは同種族とは限らない。だが、精霊族としては純血の保持もする必要がある。だから、別種族の血が混じったヤツらは、さらに純血が減らぬようあの場所で保護される」
「保護? 隔離の間違いだろ?」
いや、あの状態は隔離よりももっと酷い。
精霊族……、狭間族の商品……、奴隷化をすすめるような場所だったといっても過言ではなかった。
まるで、この場所のようだ。
「種族が混ざった純血ではない精霊族は、精霊族の本来の世界である精霊界に入ることを許されなくなる。だから、神や人間たちを契約することもできなくなることは知っているか?」
「それは知っていたが……」
そう言って青年は考え込んだが、私は知らなかった。
だが、連れの長耳族は、確かに精霊契約を結べなかったらしい。
それは、精霊界に出入りできないためだったのか。
「精霊界に逃げ込めない精霊族たちが集う場所があることを知れば、良からぬことを企む輩も集ることになる。だから、神々は、人間の手の及ばぬ場所を作り、精霊族たちを護ろうとした。始まりはそんな話だ」
だから、あの島ではほとんどの人間たちが古代、現代に関わらず、魔法が使えないということか?
自然結界は神の遺物と言われている。
もともとそんな目的だったなら、あの島にあった奇妙な結界の存在も分からなくはない。
「保護がなんであんな状態になっていたんだよ?」
だが、青年はそちらの方が気になったらしい。
「神の考えよりも、良からぬことを企む輩の質の悪さが上回っただけだ。そして、そいつらは自分たちに負債を押し付け続けてきた神を恨んでいる。人界には、神の手が届かぬことを良いことに、ずっと神を出し抜くことだけを考えてきたような奴らだ」
「それが、お前たちの国か?」
「いや、神を恨んでいた奴らが神を恨む理由ができた国を唆し、闇に堕とした結果がかの集団だ」
男はあえて、「自分の国」とも、「ミラージュ」とも言わなかった。
その時点で、一枚岩ではないことも分かる。
考えてみれば、この男の言動は終始一貫していた。
国王の命令には従う姿勢を見せてはいるが、その命令を完遂させる強い意思はほとんど感じられない。
露骨に逆らうことはしなくても、咎められても言い逃れできる程度には反発していた。
「そこまで話す理由は?」
「そこのアリッサムの王女殿下への詫びだ」
「詫び?」
黒髪の青年が私を見る。
その肩の向こうに、見覚えのあるあの紅い髪の男の姿があった。
「ああ、ほんの慰謝料替わりだと思ってくれ」
私と目が合った男は口元に笑みを浮かべる。
だが、黒髪の青年のような相手を安心させる笑いではなく、どちらかと言えば、「喧嘩売ってんのか? 」と、問いただしたくなるような笑みだった。
「お前、水尾さんに何をした?」
先ほどよりも冷えた低い声。
「大したことはない。ただ、少しばかり精神的な苦痛を与えただけだ」
どれのことだ?
思わず、私は首を捻った。
正直、心当たりが多すぎる。
男と過ごした時間はそこまで長いものではなかったが、確かにあれこれ混乱させられることばかり言われたことに間違いはないだろう。
「水尾さん、何をされました?」
男からは聞き出せないと判断した青年は、私に向き直る。
「あの島の状態から既に苦痛だったからなあ……」
舟が転覆した上に、魔法が使えない島に辿り着いた。
奴隷のように酷い扱いを受け続ける精霊族と、それを行う精霊族の存在。
怪しい薬の元となる植物の栽培。
そんな場所にあの後輩だけを置いていきたくなくて、気付いたら自分が連れ去られていたとか本当に笑えない。
「ああ、いろいろあり過ぎて分からないんですね」
私の表情から察してくれたようで、青年もそれ以上突っ込んではこない。
「だけど、あの男は私を助けてくれたよ」
気付いたら、そんなことを口にしていた。
「あの男がいなかったら、私は多分、九十九も想像できないほど酷い目に遭っていたと思う」
最初に放り込まれていた部屋ぐらいなら、妄想逞しい年代の男なら想像の範疇だろう。
だが、その後にこの男の口から語られた言葉の数々は、鬼畜も裸足で逃げ出すほどの所業だった。
少なくとも、真っ当な人間の思考ではない。
「考えてみれば、当然か。神を恨んでいる人間たちが、大陸神の加護を持つ王族を見逃すわけはないからな」
しかも、それが中心国と呼ばれる国の王族なら、尚のことだ。
私のことをアリッサムの王族だと分かっていた人間が、あの場所にどれだけいたのかは分からないが、私をここに連れてきたという「綾歌族」から聞かされた可能性は高い。
だからこその「『魔封石』の首輪」だったはずだ。
ああ、だから、アリッサムも狙われたのかもしれない。
同じように大陸神の加護が強い他の中心国に比べ、結界に護られた城郭都市だったために、国の全てが一箇所に纏まっていた。
だが、その結界の効果を奪えば、一極集中型の責めやすい都市でしかない。
しかも神々の結界だ。
どんな経緯があったかは知らんが、神を恨んでいるなら、気合を入れて「神の結界」の攻略方法を探したかもしれんな。
アリッサムの結界がいつからあったのかは知らない。
私が生まれるずっと昔。
忘れられた時代の遺物だと聞かされていた。
そんな時代の煽りを食らったというべきか。
それとも、神の遺物の上に胡坐をかいて、他の防護を考えもしなかった我が国の浅はかさを嘆くべきか。
それらについて何の疑問を持たなかった自分たちの無知を呪うべきか。
いずれにしても、残されたアリッサムの王族は自嘲するしかないのだった。
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