文字通りのカギ
「城の機能は動いてるっぽいんだよな……」
それは、天井の照明が点灯したことでもよく分かる。
私が先ほど壁に触れながら口にしたあの言葉は、城の通路の明かりを点灯させるものだと聞いていた。
でも、実際、私が使ったのは実は初めてだった。
これまでに通路の明かりが消えていたことがないのだから、当然だろう。
夜でも、見回る巡回騎士のために、ずっと通路の明かりはついていたのだから。
「先ほどの言葉は『照明魔法』ですか?」
黒髪の青年が確認する。
「『照明魔法』というより、単純に明かりのスイッチになる言葉なんだと思う。私の魔法力は全く減ってないから」
あの言葉で魔法力が減った気はしなかったから、私は魔法力を使っていないということになる。
つまり、この通路を照らした言葉は、魔法ではないのだろう。
「それでは、先ほどの単語の意味は『明かり』とか、『点灯』、あるいは、『照明』ですか?」
「ああ、フレイミアム大陸言語で『照明』だ」
「なるほど……」
目の前で青年が何やら考え込む。
「それならば、『解錠』を意味するフレイミアム大陸言語を教えていただけますか? オレ、フレイミアム大陸言語は読めるし、書けるけど、発音に自信がないので」
「解錠? ああ、それなら『desbloquear』だ」
フレイミアム大陸言語を意識して発音する。
普段は気にせずに口にしている言語でも、改めて発音を確認されると、ちょっと緊張するものなんだな。
「えっと……、『dis』……ちょっと違うな。『desbloquear』? こんな感じですか?」
「ああ、綺麗な発音だと思う」
青年が日頃使っている言語とは違うものだというのに、彼はあっさりと聞き取った上で、発音する。
「良し」
青年はそう言って、再び扉の把手に左手で触れる。
触れただけでは何もないと分かっていても、先ほど、彼の左手が鮮血を飛び散らせた様を思い出してしまった。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ」
扉の把手に顔を向けたまま、青年はそう言った上で……。
「今のオレには『聖女の祝福』があるので」
彼にしては、そんな意外な言葉を口にした。
今の彼は背を向けているため、私がどんな顔をしているかなど分からないはずだ。
それに、誰よりも自分の主人が「聖女」になることを厭う男が、何故、そんなことを言った?
『解錠』
私の疑問が氷解する前に、彼はその言葉を口にする。
すると、扉から「カチャリ」と聞き逃しそうなほど小さな音が聞こえてきた。
「あ、開いた!?」
「通路の照明と同じように、この扉も、フレイミアム大陸言語を口にすることが、文字通り『カギ』だったわけですね。王族の魔力とかではなくて良かった」
考えてみれば単純な話だ。
だが、数年前までこの城に住んでいた私は、そんなことも知らなかった。
部屋に鍵がかかったことなどなかったし、通路から明かりが消えたこともほとんどなかったから。
私がさきほどの壁に手を触れて「照明」という言葉を言うだけで、照明が点くことを知っていたのは、一度だけ通路から明かりを消されたことがあったからである。
あの男の最初の「発情期」の時。
少しでも、不意を突くために、城中の通路の明かりが落とされ、薄暗い中、迎え撃つことになったのだ。
その際に、明かりを付けるための言葉を聞いていた。
今にして思えば、通路の明かりを消させて待機させていたのは、理性を失っていたヤツを、さらに誤認させるためだろう。
私は、第一王女を護るための囮で、どこまでもただの餌でしかなかったということだ。
私を襲うことで、「発情期」の本懐を遂げることができれば、あの男は二度と「発情期」にはならない。
有能な男は聖騎士団長候補から外されることもなく、そして、第一王女の身は護られるのだから、それを選ばない手はないだろう。
「水尾さん?」
私が動かないことを疑問に思ったのか、声をかけられる。
大丈夫だ。
ここがアリッサム城で、あの時といろいろ重なっても、今の私はあの頃とは違う。
何より、今は後輩の護衛が近くにいてくれる。
だから、大丈夫だ。
「用心のため、申し訳ないですが、オレが開けて良いですか?」
「ああ、悪いけど、任せた」
その扉を開けることに思い入れがあるわけではない。
大事なのは部屋だ。
それに、確かに罠がないとも言えなかった。
後輩の護衛を矢面に立たせることに抵抗がないわけではないが、確かに彼の方が反応速度は速い。
「水尾さんは少し離れてください」
そう言って、さらに私を後ろに下がらせる。
随分な念の入れようではあるが、確かに護衛としてはそれぐらい慎重でいてくれた方が良い。
青年が扉の把手を握る。
何故か、それを見ているだけなのに、かなり緊張した。
先ほどはピクリとも動かなかった扉が、ゆっくりと引かれ……。
「よお」
そんな声が聞こえた瞬間、黒髪の青年は迷いもなく扉を閉めた。
「今のは……」
彼の広い背中があったために、私は部屋の中を見ることができなかった。
「オレは何も見ませんでした」
そう言いながらも、黒髪の青年は後ろ手でしっかりと扉を抑えている。
そんな行動は魔法が使えるこの世界の人間にとって、無意味なことだと分かっているはずなのに。
そして、先ほどの声。
「「……」」
互いに無言となる。
扉からはまだ何の反応もないようだけど、それを開けた途端、同じことが繰り返される気がした。
「九十九……。私が開けようか?」
「駄目です。確実に危険しかありません」
この場合、危険というのは、先ほどの声の主のことだろう。
だけど、私はあの男に対して、そこまでの脅威を感じていない。
「でも、私はその部屋を見たいんだ」
だから、青年が断りづらい理由を口にする。
もともと、ここに来た目的がそれだと彼も分かっている。
少し、考えて……。
「分かりました。ですが、念のためにまたオレが開けますよ」
予想通りの言葉を返してくれた。
しかし、すぐに開けず、何やらゴソゴソしている。
そして、準備が完了したのか、青年は再び扉を開けた。
一度、開けたために鍵はかかっていなかったようだ。
その代わり、ヒュンッと風を切るような音が聞こえ、直後に、ガゴンっと金属製の物に何かがぶち当たるような音がした。
「やっぱり、油断も隙もない男だな」
吐き捨てるように言われた青年の言葉に、私の理解が追い付かなかった。
彼のすぐ足元には、短い矢のようなものが落ちている。
「チッ、外したか」
さらに部屋の奥から聞こえてくる声。
「随分なご挨拶だな。オレが回避行動をとって、後ろにいる水尾さんにうっかり当たったらどうするんだよ?」
「あんたが、そんなヘマをする男か? なるほど、珍しくバックラーを腕に装備していたのか」
「おお。ご丁寧にそのクロスボウでオレの心臓を正確に狙ってくれたから、こちらも軌道が読みやすかったぜ」
なんだろう?
この会話。
どこか殺伐としているはずなのに、妙な信頼感が見え隠れしている。
「大体、ミオルカ王女殿下にこの程度の物理攻撃が通るかよ」
ガチャンと、どこか機械的な音が聞こえてくる。
青年の背中に庇われているため、まだ私は部屋の内部が天井ぐらいしか見えなかった。
「水尾さんは、悪趣味な装飾品のせいで、まだ体内魔気が不調のままなんだよ」
「ああ、一昼夜装備していたからな。流石に魔法国家の王女殿下でも乱調か。だが、それなら猶更、あんたがなんとかするだろう? 主人以外の女に興味がない割に、女に甘い男だからな」
「オレを優男扱いするな」
何かが気に障ったのか。
黒髪の青年はそんなことを苛立ちながら口にする。
「ああ、ライファス大陸言語としては、そちらが正しいな」
部屋にいる男の苦笑する気配がした。
「水尾さん、害虫駆除をしますか?」
「いや、そこまではしなくて良い」
「なんで、お前たちは自然に、人を害虫扱いしてるんだよ?」
ところどころに混ざる単語が、妙に発音の良いところが腹立たしい。
それは青年も同じ気持ちだったようだ。
「『そっくり』だからじゃねえか?」
さらに良い発音で返す。
そして、ここで使ったのが、一般的な「同じ」ではない辺り、部屋にいる男に対する彼の気持ちがよく表れている気がした。
「まあ、そんなところはどうでも良い」
部屋にいる男が、大きな息をわざとらしく吐いた気配がする。
「聖女の番犬はいつから主を鞍替えしたんだ?」
そんなことを口にしながら。
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