【第75章― 温故知新 ―】昔の疵
この話から75章です。
まだ主人公は出てきませんが、よろしくお願いします。
「ここはアリッサム城?」
その答えを口にした黒髪の青年は驚愕の表情を浮かべる。
恐らく、それを気付いた時の私も同じような表情をしていたのだろう。
心配されるわけだな。
「そうと決まったわけじゃないが、造りは全く同じだったし、何よりも、私の言葉で照明が付いたんだ。先ほどまで私がいた場所は城のサロンだな。賓客用の応接室だったはずだ」
そこにいた時は気付かなかった。
内装はもとより、置かれている調度品も変わっていたのだ。
あれで気付けという方が無理な話だろう。
通路の壁が光に照らされたのを見て、そこに思い至ったことが奇跡のようなものだと思う。
「なんで照明をつける言葉を口にしてみたのかを聞いても良いですか?」
黒髪の青年もそこが気になったのか、私に確認する。
「あの部屋を出てすぐの場所……。石造りの壁の一部に疵があったんだ」
「壁に……、疵?」
「城にいた時、マオがカルセオラリア製の花瓶を叩きつけて、割った時の破片の一部が飛んで、壁を疵が付いたことがあった。その時の疵にそっくりなものがあったんだよ」
その疵が付いたのは偶然だった。
そして、その疵がその場所にできていることを知っているのは、私とマオの二人だけ。
だから、城が健在の間も直されることもなかった。
その疵が付いた経緯が経緯だけに、誰にも言えなかった二人だけの秘密。
「水尾さんじゃなくて、真央さんが花瓶を?」
「そっちかよ」
「いや、真央さんが、花瓶を叩きつけるなんて、そんな激情的な面もあるんだとちょっと驚きました」
「私ならやりかねないということか?」
「オレは、初対面で水尾さんから胸倉を掴まれましたよ?」
冗談めかして、青年は笑った。
だが、マオがその花瓶を叩きつけるに至ったその経緯を知れば、彼はもっと驚くことだろう。
「でも、子供の頃のことでしょう? よく覚えていましたね」
後の聖騎士団長となる男の頭をかち割った場所だ。
私は簡単に忘れることなんてできなかった。
破片は撤去され、血みどろになったカーペットも片付けられたが、自分の身体に落ちてきた血の生温さとか、致命傷を負った男の顔とかは普通、忘れられるものではないだろう。
「実は、私もマオにあんな面があることを知らなかったんだよ」
私と違って、マオは、女王陛下と王配殿下の命令に逆らったことがないほど良い子だったのだ。
だから、そんなマオが、私を助けるためだけに、近付くなと言われている場所に潜んで、あんな行動に出るなんて誰も思わなかっただろう。
そして、あの時は、状況が状況だけに、マオは誰にも咎められなかった。
やり方はかなり乱暴ではあったが、聖騎士団長候補の男の「発情期」を止め、王族を護ったことには変わりないのだ。
本来の聖騎士団の仕事でもあったため、口封じの意味もあっただろう。
さらに、あの男の治癒を、マオが魔法で行ったことも、あの時、咎められなかった理由の一つだった。
それまで、マオは全く魔法を使えないと思われていたから。
「人に歴史あり、ですね」
同じようにいろいろなものを抱えていそうな青年が笑った。
その経緯や理由を根ほり葉ほり聞く気はないらしい。
先ほどと同じように「言いたければ言え」ということだろう。
それならば、私は言わない。
言ったところで、彼に余計な気を遣わせたくはないのだ。
特に、自分の罪と重ねてしまうだろう。
合意なしに襲われた人間は、10年以上経っても、その傷は消えないなんて、今の彼はもう知らなくても良い。
「九十九はどうして、ここがアリッサム城だと思ったんだ?」
「水尾さんが知っているような建物で、オレが知らないような場所となれば、ある程度、限られていると思うので」
確かにこの世界に戻ってきてからは、ほとんど彼らと行動している。
そんな彼が知らない場所と言えば、私がアリッサムの王女時代に行った場所ぐらいと言っても過言ではない。
「後は……、この城塞の外観ですかね」
「外観?」
「この建物の四方にある城壁塔と中央の主塔と呼ばれる塔の全てに鐘が吊り下がっていました。アリッサムと言えば、国そのものが結界と城壁、水路に囲まれている城郭都市として意識されがちですが、建造物として城だけを見ると、鐘塔のイメージが強いと聞いています」
そんな意外にもしっかりとした知識に驚いてしまうが……。
「それは……、先輩から?」
「そうですね。兄がそう言っていました。残念ながら、オレは見たことがありません」
彼の兄を思えば、不思議ではない気がする。
あの国を見て、城がどんな建物だったのかを思い出す方が難しいと言われるほど都市と城が一体化した国だった。
周囲は砂漠に囲まれているにも関わらず、壁の内側に入ると、まず大きな水堀が目に入る。
城壁に沿って幅広く深い水路があるのだ。
そこからさらに都市のあちこちに水路が張り巡らされている。
そして、どこに行っても水路しかない。
どんな細道、裏道に入りこんでも、大小さまざまな水路が見えるのだ。
火の大陸にありながら、水の印象が強い国。
それがアリッサムだった。
城と城下の境は、青年が言うように四つの鐘塔とされていた。
別名結界塔。
その四つの塔を起点として、結界が内外に広がっていると私は聞いていたが、今となってはそれが本当だったのか確かめる術はない。
だが、鐘塔の鐘は普段は隠れていて、毎日決められた時間以外には現れないようになっていたはずだ。
だから、あの四つの塔が鐘塔だと知る人間は、他国には少なかったと私は聞いていたのだが……。
「鐘塔のことを知っているなら、それを見て、この建物がアリッサム城だとすぐ分からなかったのか?」
鐘塔の存在を知っていたなら、そちらからすぐに思い当っても良さそうなのだが……。
「アリッサムの有名な水路が一つもなかったんです。あったのは鐘塔の内側部分。完全に城のみでした」
「そう……か……」
完全に城とその周囲を囲んでいた城下都市は切り離されていたらしい。
それなら、私も分からなかった可能性は……ないな。
時間を気にして、毎日のように見ていた鐘塔を私が見間違えるはずもない。
「それより、この扉はどうします? 魔法国家の建物なら、普通の『解錠魔法』で開くとは思えないのですが……」
「……なんで、『解錠魔法』を契約してるんだ?」
その性質上、かなり使い手を選ぶ魔法だったはずだが?
誰でも契約できるようなら問題となる魔法だろう。
そのために、国によっては厳重に封印されていたり、契約者に魔法封印を施すほどの魔法だったと記憶しているが……。
「必要でしょう?」
悪びれる様子もなく、黒髪の青年は言った。
「日常生活において、『解錠魔法』が必要な事態ってどんな時だよ!?」
「まさに今?」
「確かにそうかもしれないけど、納得いかねえ!!」
「契約できてしまったのだから、仕方ないでしょう?」
「それも先輩か?」
普通は手に入らないような魔法書。
そんなもの手に入れられそうな人はそう多くない。
「いえ、『解錠魔法』は確か、オレと兄貴の師だったかと」
「……」
この青年とその兄の師。
見たことはないけれど、なんとなく彼らの根源を理解してしまった。
普通は手に入らないようなものをどこからか持ってくるツテとか、そういった部分が、彼らの素となっている気がする。
そういえばあの島でも、彼らは「古代魔法」という特殊な魔法をその師によって契約することになったと言っていた。
「その『解錠魔法』は古代魔法か?」
「多分。あまり使わないので」
確かに日頃から使われては、困るだろう。
「……先輩も契約しているのか?」
「さあ? 使ったのは見たことないですね」
微妙な返答だった。
契約できていないから使っている姿を見ていないのか。
それとも、誰かの前で使わないから見たことがないのか。
その判断ができない。
「そうか……」
私はそれ以上深く考えることを放棄する。
「とりあえず、使ってみますか?」
「…………頼む」
その部屋の鍵を自分以外に開けさせるのはどうかと思ったが、それ以外に方法がないのも事実だ。
だが、私はそれを後悔することになる。
この城のことを知っているなら、もっと行動を考えるべきだったのだ。
『解錠魔法』
そのたった一言で、青年の左腕が、鮮やかな紅いモノを華々しく撒き散らしたのだから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




