聖女の護衛
「私が、ここに来た経緯はなんとなく、分かった。だけど、なんで九十九がここにいるんだ?」
個人的にはそこが一番、納得がいかない部分ではある。
「栞が水尾さんに通信珠を渡したからですよ」
「そこじゃない」
その方法は分かっている。
この通信珠には青年の魔力が込められているために、私自身の体内魔気を追うよりも、「探知魔法」や「探索魔法」などに反応しやすかったのだろう。
私の体内魔気による魔力反応は「魔封石」の魔石が付いた首輪によって阻害されていた可能性は高いため、探しきれなかったはずだ。
「探知魔法」の網に自分の魔力の気配がかかれば、後はそこに行くだけとなる。
だが、私が確認したいのはその部分ではない。
「護衛がなんで、主人を放ってここに来ているんだ?」
この青年は、あの後輩の専属護衛だ。
本来なら、こんな所にいるよりあの後輩から片時も離れずに護るべきだろう。
そして、彼自身もそれを望んでいるように見えるし、いつだってそう振舞っていた。
だから、おかしいのだ。
あの主人から離れて、彼がこんな場所にいることが。
「まさか、高田に言われたからなんてこと抜かすなよ?」
あの紅い髪の男の言葉が蘇る
―――― あの主人から目を潤ませて上目遣いのお願いだけで撃沈する
それは護衛として致命的な弱点だ。
いくら主人からの命令であっても、危険な場所にいる主人の護りから離れてはいけないだろう。
それでなくても、あの場所で、一度、「綾歌族」に隙を突かれているのだ。
そんな場所で、それ以上の危険がないなんて誰にも言えないのだから。
「そんな阿呆なこと、言うわけありませんよ」
だが、意外にも黒髪の青年はあっさりとそう言った。
「確かに栞にも頼まれましたよ。だけど、オレが来たのはそれだけが理由ではありません」
主人からの依頼が理由の一つであることも隠さなかった上で、彼はこう続ける。
「オレが、純粋に水尾さんのことを心配してはいけませんか?」
「へ……?」
真っすぐな視線と、思わぬ言葉に自分の思考が固まったことが分かる。
ちょっと待て?
その言葉はいろいろ、今の私にはマズい気がする。
何がマズいかはっきりと言い切れないけれど、何かがかなりマズいことだけははっきりと分かる。
とりあえず、言いたい。
なんだ?
この天然たらし。
兄は人工的なたらしだが、この弟はそんなことを一切、計算していない。
そんな言葉を異性が聞いて、どう思うかを全く考えていないのだ。
それだけ、主人以外の異性を異性と見なしていない証明でもあるわけだが、これは、受け止め方を間違えれば、致命傷を負う気がした。
「栞ははっきりと『水尾さんを助けてくれ』と言いませんでした。それをオレに願えば、オレが逆らえないことも知っているから。だから、彼女が願うよりも先に『オレが行く』と言いました」
「それは、護衛としてどうなんだ?」
彼は、主人が願ったから来たわけではないと言った。
確かにあの後輩は変なところで我慢をする癖があるのは私も知っている。
だが、それは……。
「主人の心を護るのも、数少ない我が儘を聞くのも、護衛の務めなので」
目の前の男はそう苦笑した。
その様は、単純に主人を溺愛しているだけのようにも見えるが、それだけの自信が裏付けられていた結果だとも思える。
「高田の心……ねえ……」
確かに私がいなくなっただけで、あの後輩はかなり落ち込む気はする。
これは、自惚れではない。
これまでずっとあの後輩を見てきたからそれが分かるだけだ。
だけど、同時に、この護衛を行かせることに全く抵抗がなかったとも思えなかった。
「だから、水尾さんが無事で本当に良かったです」
それは邪気を感じない裏表のない顔。
あの主人もそうだけど、こんな世界でよくもそんな顔ができると感心してしまう。
「九十九は真っすぐここに来たのか?」
「はい。近くの壁をぶち破って、通信珠の気配を頼りに来ました」
「壁……」
あの紅い髪の男は出入り口と窓に対策しろと言っていたはずだ。
窓まで警戒するのは大袈裟だなとその時、ぼんやりした頭でそう思っていたけれど、実際はそれを上回る行動に出ていた。
「入り口が分からなかったんですよね~。それに、窓も強化されて少し硬そうだったので、それよりは壁の方が最短を通りやすいかなと思って」
しかも、その理由は裏をかくつもりでもなかったと。
一見、真面目で規則正しく見えるこの男は、実は、かなり豪放磊落な面を持っている。
それは、彼の魔法の使い方に滲み出ていることからもよく分かることだ。
「他に人間は?」
「ああ、他の人間? あの『綾歌族』を無力化したら、ほとんどが逃げました」
「あ?」
「もともと纏まりがなく、烏合の衆って感じではあったのですが、『綾歌族』に手傷を負わせた辺りから指揮系統も完全にバラバラになりましたね。あいつが頭って感じでもなかったんだけどな~」
呑気そうな口調ではあるが、何気に凄いことを言ってないか?
「りょ、『綾歌族』に手傷って……」
相手は精霊族だ。
簡単には傷つけることはできない。
私の魔法でもどれだけの効果が出るか分からないような相手だというのに。
そんな私の言葉に一瞬だけきょとんとした顔をしたが……。
「精霊族って、銀製品や、法具なら傷つけられるんです。組紐で動きを縛れば、後はかなり楽でした」
さらりと答えた。
そういえば、この男の主人は「聖女の卵」だった。
それなら、法具を持っていてもおかしくはないのか。
そして、始めから、神官が敵になることも想定しているはずだ。
法力国家の目から離れた場所にいる神官たちの「神女」の扱いは、この場所に来てからもよく分かる。
「主人も出鱈目なら、その護衛も破茶滅茶な存在だったな」
私は溜息を吐くしかなかった。
「貴女に言われたくはないですよ、魔法国家の王女殿下」
どこか皮肉気な言葉ではある。
確かに私は魔法国家の王族だが、それでも常識の範囲内だと思う。
彼やあの後輩ほど、非常識な領域にはいないはずだ。
「あの主人が破茶滅茶な存在なのは、承知ですけどね」
そう言っているが、この男だってその兄だって十分すぎるほど異常な存在だと思う。
兄はそれを自覚しているようだが、この弟は完全に無自覚だ。
ある意味、あの後輩と似合いの主従だと言えるだろう。
「とりあえず、高田や先輩たちは無事ってことで良いんだな?」
私はそれを確認する。
突然、自分の身に降りかかったよく分からない状況に混乱していたが、体内魔気も含め、落ち着いた今では、そこに考えがいく。
私は「無事ですよ」という言葉が返ってくると信じていた。
だが、黒髪の青年は一瞬、その表情に影を落とす。
「無事と言えば、無事です」
どこか歯切れの悪い返答に顔を自分でも顰めてしまったことは分かる。
それを見て、黒髪の青年は、申し訳なさそうな顔をした。
「栞は、魔力を暴走させましたから」
「あ?」
「貴女が『綾歌族』に連れ去られた後、あの場にいた男たちに襲われかけたらしくて、それで……」
その歯噛みをするような表情は、彼女を護り切れなかったことを悔やんでいるのか。
それとも別の感情なのか分からない。
ただ、魔力を暴走させたというのなら、逆にあの後輩は無事だったことは分かる。
あの場所にいたのは精霊族の混血だった。
純粋な精霊族ならともかく、血が混ざっているため、ほとんどは魔法に対する耐性が低かっただろう。
その上、ほとんどが手負いだった。
それなら、王族の血を色濃く影響を受けているあの後輩が負けるとは思えなかった。
実際、彼は「襲われかけた」とも言っている。
私と同じように身の毛がよだつような思いはしただろうけど、実害としては程度が軽かったということは分かる。
そんな私の考えに、この青年は沈痛な面持ちでこう言った。
「オレたちが油断していたばかりに、危うく栞の手を汚させるところだった」
人を傷つくことを嫌うあの後輩が、理性を吹っ飛ばした程度で、いともたやすく人を傷つけられる存在になってしまう。
そのことは彼にとっても苦痛なのだろう。
それだけの力を抑制して生きているあの後輩を思い出す。
どこか呑気に見えるのに、それでも強い意思を秘めた女。
普段、自身を抑えることに費やすその力が、攻撃に転じてしまえば、どれだけの威力を持つのか。
私には想像することしかできない。
だが、同時に願ってしまう。
決して彼女が自分の手を汚すところを見たいわけではないけれど、いつか全力を出すあの後輩の姿を見てみたい、と。
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