何故か思い至らなかった
私はこれまで本当に気付いていなかったのだ。
目の前にいる紅い髪の男から改めて言われるまで。
「無意識にその名を呼んでしまうほど愛しい男が、自分の危機の際に、その危険を顧みず、単身乗り込んで助けに来る……か。まるで使い古された物語のようだな」
男は心底面白い玩具を見つけたかのように笑う。
それは年相応の笑みだった。
「気分はどうだ? ミオルカ王女殿下。臣下に想われるよりずっと幸せだろう?」
臣下に想われた覚えなんかない。
せいぜい、姉の身代わりに押し倒されて剥かれたことがあるぐらいだ。
それも十年以上昔のこと。あの後輩以上に私は色気のない人生を歩んできたことを今更ながら自覚する。
だからだ。
身近な異性に、少しだけ、自分の弱い心が揺らいだ気がしたのは。
「幸せかどうかは置いておいて、護衛対象を放っておいて、何してやがるとは思う」
それも事実だ。
私なんか、助けに来ている場合じゃないだろ?
たとえ、あの後輩がそう願ったとしても、そこを毅然とした態度で断るのが護衛の仕事じゃないのか?
「それは同感だ。俺にも理解できん」
男はそう苦笑する。
「だが、考えてみろ。あの男がシオリから望まれて、断れると思うか?」
「断るべきだろ?」
それも含めて護衛の仕事だ。
「普段は元気いっぱいの娘が、分かりやすく意気消沈して、『九十九……。お願いだから、水尾先輩を助けて……』なんて目を潤ませて上目遣いのお願い。それも服のどこかを掴みながらなら、あの男は間違いなく一発で撃沈する」
容易に想像できた。
そして、この男……。
あの後輩の真似が上手過ぎて気持ち悪い。
「ああ、護衛兄の方でもコレは使えるか。『雄也さん! お願いですから、水尾先輩を助けてください!! 』こう言えば、二つ返事だな」
そっちも容易に想像できた。
相手に応じて頼み方を変える辺りが芸も細かい。
そして、先輩に対する高田の呼びかけが、「雄也先輩」から「雄也さん」に変わっていることも把握済みか。
「心底、気持ち悪い」
「お?」
「ストーカーにもほどがある」
あの後輩に同情するしかない。
「ああ、気持ちが悪いって、俺のことか。まあその部分に関して自覚はあるから仕方ない」
本当に同情する。
自覚のある変態に更正の余地はない。
周囲の感情はともかく、変態本人は全く困っていないのだから、治しようがないのだ。
そして、そのような存在は、アリッサムでは山のようにいた。
「そっちは自覚がなかっただろ?」
なかった。
自分があの青年の名前を呼んだのは確かだし、そう言われた今でも、自分の中では半信半疑だ。
確かにあの青年のことを好ましく思っていること自体は認めているし、その自覚についてはある。
だが、一人の男として見た覚えがない。
「そんな対象として見た覚えがないからなあ」
一人の男として見るよりも、後輩の献身的な護衛、従者のイメージが強すぎて、それが簡単に消える気がしない。
あの青年を思い出すのは横顔限定で、しかもしっかり思い出そうとすれば、付属品のように後輩の姿がその横に並ぶのだ。
「まあ、考えてみよう」
無意識の部分までは分からない。
少なくとも、ピンチの時にその名を叫びたくなる程度の感情を持っていることも分かったのだ。
考えるのは、それからでも良い。
だけど、紅い髪の男は目を丸くした。
「考えて、みるのか?」
「今のはそういう話だろ? 私に自覚はないけど、九十九に助けを求める程度の感情があるって。それなら、ちゃんと考えるしかない」
それが友愛、親愛、敬愛なのかも分からない。
それ以上の感情かもしれないし、そこまでの感情は全くないかもしれない。
それなら、自分の中でちゃんと整理して結論を出すしかないのだ。
「いや、むきになって否定するかと思っていた」
「否定したってしょうがなくないか?」
そんなことをしても誤魔化すことができるような感情ではないだろう。
それなら、ちゃんと向き合った方が良い。
あの青年が、後輩にとって大事な人間で、後輩のことを誰よりも大事にしている人間だって知っているから。
「その感情と向き合うのは辛くないか?」
「別に」
逆に、何故、辛いと思うのか?
「人を好きになるのは自然なことだろ? 順番は関係ないし、想いの深さなんて誰にも測れない」
寧ろ、本当にそうなら嬉しくもある。
「王族の身で、恋愛感情を持てるほどの人間に出会えるのは、幸運なことだからな」
母も、姉もそんな感情を持つことは許されなかった。
疑似恋愛すら許されなかったのだ。
アリッサムの歴代の女王たち、王位継承権第一位の人間は全て、世界から隔離されて育てられる。
それ以外の王族はそこまでの制限はないが、それでも、膨大な魔力の器としてしか扱われないことに大差はなく、国民たちとは見えない分厚い壁があるのだ。
「目の前にいて、いちゃつかれるんだぞ?」
「それこそ今更だろ? あの2人が、ここ最近、どれだけいちゃついていると思ってるんだ?」
「確かに」
どこか遠い目をしている辺り、それも知っているようだ。
あの2人の関係は「ゆめの郷」から変わった。
誰がどう見ても、主従には見えない。
そこに恋愛感情があるかは相変わらず分からないままだけど、少なくとも、青年の方は、愛情の出し惜しみをしなくなった。
それを受け入れているのだから、あの後輩だって、あの青年のことを憎からず思っていることは間違いない。
「発情期」とはいえ、親しかった異性から襲われた恐怖が、簡単に払拭できるはずがないのだ。
それは私自身が一番良く分かっている。
ふとした時に思い出してしまうのだ。
あの生々しい感覚を。
女としての自分に向けられた視線と、それに伴う感情を。
目の前で見せつけられても私は辛いとは思ったことはないが、遠くから見ているはずのこの男が、そのことについて辛さを感じていることだけは分かった。
「別に貴女が気にしなければ良いんだ」
だけど、明らかに目の前の男の方が気にしている。
その理由を考えて、思い至った。
「ああ、私。別に一番じゃなくても良いから」
「あ?」
伝わらなかったらしい。
「別に相手から一番に想われる必要はないんだよ。嫌われなければ良いんだ。生まれが三番目だったからな」
どこの国も一夫一妻制ばかりではない。
どちらかと言えば、子孫繁栄のために、一夫多妻制の方が多いぐらいだ。
ストレリチアは法力国家というその対面上、一夫一妻制を取っているが、そのトップである国王陛下の子供であるグラナと若宮の母親は違う。
グラナの母親が亡くなり、その後、若宮の母親が継室となり、その後にも二回ほど同じようなことが起きている。
弓術国家ローダンセなんか、正妃だけでなく、寵姫と呼ばれる側室にも次々と子を産ませている。
5,6人ぐらいならともかく、それが二桁ともなると、人としてどうかと思うが、それでも王族の在り方としては正しい。
機械国家カルセオラリアは正妃だけだった。
正妃が亡くなった後には、継室も側室すら入れていない。
尤も、あの国の国王陛下の年齢的なものもあるし、正妃が亡くなった時点で王子が二人、王女が一人いたのだ。
もう不要だと判断した可能性もある。
王族の滅亡は、国の滅亡だ。
少なくとも私はそう思っているし、そう育てられてきた。
「ああ、そうか。貴女は第三王女だったな。もともと、妾……、他国の王族の愛妾になることも覚悟していたわけだ」
「正妃より寵姫の方が扱いとしても楽だからな。それに15歳を超えた時点でどこからも正妃候補の申し出がなかった。それ以降に他国の正妃教育を始めるには年齢的に遅すぎる」
グラナの母は8歳の時点でストレリチアの方から打診があったそうだ。
私が生まれる前のことなので詳しくは知らない。
私の祖母の妹が、当時のストレリチア第一王子と年齢的そこまでの開きがなかったことと、法力の資質があったことが良かったらしい。
他国の滞在期間に入る前から法力国家の王妃教育として家庭教師が派遣され、滞在期間にストレリチアで実地経験を重ねたと聞いている。
「いや、打診はあったらしいぞ。だが、女王陛下が突っぱねたと言っていた」
「……あ?」
奇妙なことを言われて、反応できなかった。
「異国に嫁いで、淋しい思いをすることになった従姉妹と同じ扱いを、自分の娘に経験させたくなかったそうだ」
「何、言ってんだ?」
「本人から聞いた話だが?」
この場合の従姉妹とは、先ほど考えていたグラナの母親のことだろう。
「ストレリチア国王陛下は、王妃殿下がグラナディーン王子殿下を産んだ後、王妃殿下の元へ通わなくなったらしいからな。まあ、王子殿下と現大神官の乳母となった女が、少しばかりいい女過ぎたようだが」
そして、その乳母となった女性が後の継室であり、若宮の母親でもある。
「女王陛下が突っぱねたってどういうことだ?」
当然ながら、私は自分に関係するそちらの方が気になった。
そんな話は聞いていない。
聞いたこともなかった。
「アリッサムの王族は昔から王族の婚活市場では最高位の扱いだ。魔力もだが、ほとんどが容姿に優れている女ばかりだからな。性格は、個人差があるようだが」
さりげなく挟み込まれた余計な情報が嫌味にしか受け取れない。
「第一王女が嫡子で王配取り。第二王女がその保険。それが暗黙の了解ならば、どの国だって第三王女に婚姻の申し出をするのが普通じゃねえか?」
考えてみれば、当然の話。
だけど、私は何故かそんなことにも思い至らなかったのだった。
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