濁った瞳
何故、こうなったのか、自分でもよく分からない。
分からないまま、こんな状況に震えている。
気付いたら、見知らぬ場所にいた。
それも、精神衛生上、良くない場所に。
私が眠りに就くに前も周囲から呻き声が聞こえたてきたりして、あまり良い環境ではなかったが、ここまで酷くもなかった。
よく分からんが、目が覚めるなり、貴族嫌いの女に絡まれた。
周囲が何も見えないほどの暗闇だったために、その顔すら分からんままだ。
その女以外にも数人、女がいたようだが、やはり暗闇で見えなかった。
他の女たちは、声も出せないような状態だったのか、時折、微かに動いていただけだったように思える。
目を覚ました時、自分の首には、「『魔封石』の首輪」と呼ばれる魔道具が着けられていた。
その魔道具は、「魔封石」と呼ばれる魔石により、魔法が封印され、身体が完全に脱力してしまう効果がある。
大半の国では罪人に使用されるらしいが、故国では、何故か子供に罰を与えるために装着させられていた覚えがあった。
そして、私に付けられたこの首輪はかなり上質の魔石を使用しているらしく、私が身体を動かせないどころか、声すらまともに出せない状態である。
動かせるのはこの小賢しいだけの頭だけ。
つまり、今の私は身動きもほとんどできないし、周囲から何を言われても、碌に返答を返せない状態。
だが、私に話しかけてきたあの女からおぞましいことを言われた直後に、別の人間たちが現れ、私はその場所から救い出された……というか、抱えられて連れ出された。
そこに私の意思はない。
でも、あのまま、あの場所にいたら、あらゆる意味で危険だったことは分かる。
だけど、連れ出された後も、危険から脱したわけではなかった。
考えてみよう。
1.顔も見えない同性から性的な意味での悪戯をされる。
2.何も見えない状態で、複数の男たちにヤられる。
3.実の父親に実の母親の目の前でヤられる。
どれがマシだ?
まだ一度も、性体験を経験したことがない身としては、正直、どれも、勘弁してほしいところだ。
だが、先に述べた三択よりは、この現状は、まだマシだと思う。
身体も動かない。
声も出せない。
そんな状態で、私は、長椅子の上で紅い髪の男に組み伏せられていた。
息がかかるほど近い距離で、どこか濁りを感じるその紫の双眼が私を捉えているのが見える。
私に圧し掛かっている男とは、一応、会話が成り立つ程度の面識はあった。
加えて、顔も悪くない。
性格も口ほどは悪くなさそうだ。
それ以外の問題こそ多そうだけど、それでも先の三択よりはマシな気がする程度には、私も弱っているのだろう。
だが、聞きたい。
「なぜ……?」
そう問いかけても、今のこの男に何か反応があるとは思えないけれど。
その変化は本当に突然だった。
あまりにも目まぐるしく変わる状況と、「魔封石」の魔石による倦怠感によって、私はかなり疲労していたのだろう。
あるいは、絶体絶命の危機から少しの間、遠ざけられたことで、安堵してしまったのか。
気付けば、意識を落としてしまったようだ。
そして、どれぐらい意識が飛んでいたのかは分からないが、喉から血を吐くような掠れた叫びが耳に届き、驚きのあまり目を見開いたら、この紅い髪の男が圧し掛かっていたのだ。
体内魔気を完全に封じられていたとはいえ、ここまでの接近に気付いていなかった自分の危機感のなさに呆れてしまう。
同時に、無防備な後輩のことを笑えないとも思った。
手を出さないようなことを言われていたために、その言葉一つで油断したともいえるが、警戒していてもどうにもならない。
私は自分の身体を動かせないのだから。
そうなれば、今の自分にできることは、食われる時に、少しでも痛みがないことを祈るぐらいだろうか。
無理だな。
私には経験が全くない。
せいぜい、「発情期」の男に剥かれてあちこち摑まれ、顔やそれ以外の場所を舐められたことがあるぐらいだ。
後は、少し前に、薬によって発熱してしまった時、醒ますために、少々、触れられたぐらいか。
自身の秘部に関しては、誰からも触れられたこともないし、自分でも必要以上に触れることはない。
そして、自分で慰めるとかそんな経験だってあるわけもなかった。
だから、どうしたって、痛いものは痛いのだろう。
『美味そうな気配だ』
聞こえてきたのは、先ほどの男の声とは違う種類の男の声だった。
だけど、その声を聞いただけで、何故か震えが出た。
理由は分からない。
でも、先ほどとは別種の恐怖を覚えているのが自分でも理解できてしまった。
これはアレだ。
あの男が初めて「発情期」になった時。
そういった知識が全くないほど幼かった私は、その相手から物理的な意味で食われると感じたのだ。
今の状態は、あの感覚にとてもよく似ていた。
背筋は凍り付いたかのように冷えているというのに、全身から汗が噴き出ている。
身体は自分の意思で動かせないのに、この全身は分かりやすく小刻みに震え、目の前の男を正視できない。
だが、この目を少しでも逸らせば、その瞬間に私は呑み込まれることだろう。
鷹のような鋭い紫の瞳は、どろりとさらに濁りを増し、どこか紅い瞳のようにも見えた。
今、感じているのは女性としての恐怖ではなく、生命としての戦慄。
『どこからかあの娘の気配を感じる』
そう言いながら、服の上から身体を弄られ始めたが、そこには心地よさも不快さもなく、ただ、この場からすぐさま逃げ出したいという感情だけだった。
これが、私を刺激するための動きでもなく、何かを感じ取ろうとする動きだったためかもしれない。
その上、触れられた先から服の上からだというのに氷のような冷たさを感じる。
先ほど、私を抱きかかえていた腕や身体はもっと温かかった。
もっと人間の、生身の身体だった。
だが、今の男は生きている気がしない。
出血多量で瀕死状態になった男ですら、もっと温かかったことは覚えている。
だが、私は昔、これほど冷えた身体に触れたことがあった。
二年ほど前に、法力国家ストレリチア城にある大聖堂内で、私は魂が抜けた身体を抱いたことがあるのだ。
あの時の冷たさにとてもよく似ていて、ぞっとする。
もし、その考えが間違っていないのなら、この身体の中に少し前まで短いながらも会話をした男の魂が入っていない。
それならば、一体、誰が、いや、ナニが、この身体を動かしているのか?
私に向かって投げかけてもない独り言。
先ほどから呟かれているその意味は分からない。
ただこの状況から一刻も早く解放されたい。
そんな思いでいっぱいだった。
誰かに助けて欲しい。
そんな弱気な自分まで姿を見せる。
王族が誰かに頼るなんて恥なのに。
行動するために、誰かに命令する、誰かを使うというのなら良い。
だが、自分が弱くて、どうにもできない状況だから誰かの助けを呼ぶなんて論外だ。
王族が弱くあってはいけない。
王族は他者を巻き込んではいけない。
王族がどうにもできないような状況なら、それは、護るべき国民だって解決できるはずがないのだから。
だけど、頭の中に、ある名前が先ほどから浮かんでいる。
そして、黒い髪と同じような黒い瞳を持つその人物の顔が、瞬きを繰り返すほど、その瞼の奥で鮮明になっていく。
あの人ならこんな絶望的な状況でも、諦めずにその強い意思で相手を睨みつけることだろう。
ふと、私を撫でまわしていた手が腰の近くで止まる。
『ああ、コレだ』
そして、その言葉で、何を探されていたのかを理解した。
その冷えた手が乱暴に私の衣服を腰元から破り、その弾みでそこにひっかかっていたモノが宙に飛び出す。
「やだっ!!」
思わず、声が出た。
衣服を破られ、上半身の肌が一部露出したことではない。
そんなものはどうでも良かった。
ソレは、一見、オレンジ色の半透明な丸い珠にしか見えない。
本来の持ち主の手から離れ、何故か私のもとにある。
恐らくは、たった一つの細い繋がり。
オレンジ色の輝きを放つ通信珠。
今は全くその気配を感じなくても、その中で光るオレンジ色の輝きが誰の魔力かを私は知っている。
ソレは一瞬、空中で止まり、私の身体に向かって落ちてきた。
動かせない手を必死に伸ばす。
これだけは、護らなければ!!
だけど、その珠は私の手には収まらず、紫の瞳を濁らせた男が掴んだ。
『邪魔な気配があるな』
男はそう言うと、右手の人差し指をその珠に向ける。
すると、その珠から、オレンジ色の光が薄れ始めたのだ。
まるで、その中に込められていた魔力を消し去るかのように。
「――――――っ!!」
少しずつ絶たれていく繋がりに向かって、私は思わず叫んでいた。
先ほどからずっと頭にあったその名前を。
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