獅子身中の虫
魔力の暴走。
それは、もともと持つ魔力の強さにも左右されるものではあるが、それが周囲に及ぼす影響は強い。
神の血が濃いとされる王族たちにとっては、その土地の形を変えることすらあると言われている。
特に、「魔法国家」と言われるほどの魔力保持者を次々と生み出してきたアリッサムの王族たちは、その自制心を強めるために、幼いころから様々な訓練を受け、魔力を暴走させぬよう努めるのだ。
女王である私の母親も例外なく、その訓練を受けていたと聞いている。
実際、あの人が、動揺する姿を、幼い頃から一度も見たことがなかったぐらいだ。
流石に笑うことがないとは言わない。
少しだけ口角が上がった状態を見たことはあるから。
ただ、かなり分かりにくいものではあった。
感情の起伏があまりないだけで、感情が動かないわけではないらしい。
だが、それでも無感情にも見えるその顔に対して、子供心に不気味に思ったのは一度や二度ではなかった。
城の一室で隔離され、周囲から離されて育てられるせいもあっただろう。
同じような環境で育てられた一番上の姉も、その母親と似たような感じに育った。
いや、もっと酷かったかもしれない。
感受性が乏しく、感動することがあまりない。
その姉が言うには、「何を見ても、聞いても、特別何も思わないから」らしいが、その発言が既に異常だと今なら分かる。
特に感情表現が豊か過ぎる後輩をずっと見てきた直後に聞いた言葉だったから、余計にそう思うのかもしれないのだが。
「着いたぞ」
私を抱えていた男が足を止める。
これまでの会話から、私はこの先、人間としてまともな扱いをされないのだろう。
実の親との強制的な交配など、他国との交流をせず、自国で全て完了していた古い時代ならあったかもしれないが、今の世では、魔獣すら行わないようなことだ。
「ああ、誤解するな。ここはミラージュではない。だから、まだ王配との対面は当分、先だな」
その言葉に心底、安堵した。
うっかり、安堵してしまった。
それに私を抱きかかえている男が気付かないはずもない。
男が微かに笑う気配がした。
「流石に気丈な王女殿下であっても、実の父親に犯され、それを実の母親に目撃させるような再会の仕方など、喜ぶことはできないか」
寧ろ、それを喜ぶのは限られたヘンタイだけだと思う。
「悪趣味」、「鬼畜」、「ド外道」などの表現が生易しいくらいだ。
そのまま、私は部屋に連れ込まれる。
本来ならば、しなければならないはずの抵抗すらできない。
部屋は先ほどまで歩いていた真っ暗な通路と違って、明かりがあったのだろう。
その眩しさに少しだけ、目が眩む。
そのまま、近くの長椅子に下ろされ、身体を横たえられた。
「先ほどの話だが、俺が考えたわけじゃない。そのことで憎むなら、悪趣味を極めた陛下にしてくれ。ああ、王配と魔獣が交配する図を見せつけられても、あの女王陛下は動じなかったと聞いているぞ」
新たに、余計な情報が加わった。
人の父親になんてことさせてるんだ!?
そして、その時点で、女王陛下の精神は既に病んだ世界にあるのではないだろうか?
自分の配偶者ではなくても、人間と獣のそんな図を見せつけられて、平常心でいられるとも思えない。
せめて人型に近い精霊族ならマシかもしれないが、いずれにしても、身内の情事など見たくはないと思う。
「まあ、表情、表面的な話ではある。だが、貴女の母親は、乱れた精神を隠すのがとてもお上手のようだ。この三年以上もの間、よく耐えておられると思う」
身体が動かせなくて良かったと思う。
動かせたら、間違いなく驚きの表情で、この男の顔を見ていただろうから。
この男をどこまで信じて良いか分からないけれど、先ほどの男たちとは敵意を互いに抱き合う関係に見えた。
もしかしたら、自国の国王、恐らく、この男にとっては自分の父親にあたる人間に対してもそれなりに反抗しているかもしれない。
「苦痛ではあるだろうが、『魔封石』で作られた鎖で、その身体を拘束させているため、あの御方に少しでも近付くだけでも、『魔封石』の影響が出る。自国にも敵の多い俺にできるのはその程度だ」
その言葉は、外道な国王の気まぐれや情けではなく、この男によってあの女王陛下の身が守られているということに他ならない。
確かに『魔封石』の影響に耐えるのは苦痛を伴うが、それでも、見知らぬ男たちに玩具のような感覚で自身を穢されるよりはずっと良い。
「ああ、勘違いするなよ。俺にも多少の利があるからやっていることだ。それ以上の他意はない」
確かに何もなくて動くようなお人好しな人種には見えない。
それは、この男のこれまでの言動からもよく分かることだった。
だが、その結果として、女王陛下の尊厳がギリギリのところで護られていることに繋がっているのなら、私にとっては良い方向に転がっていると思うしかない。
そして同時に、王配の方はいろいろともうダメだということは分かる。
それが自分の意思ではなく、操られるなどの不可抗力な状況であったとしても、言い逃れができない形で女王陛下を裏切ったのだ。
しかも、その御前を汚すような形で。
単純な不義密通ならば、その現場を押さえられない限りは、女王陛下も見逃した可能性は高い。
もともとアリッサムの王配というものは、次代の女王候補を生むためだけに選ばれる存在だ。
魔力や魔法の才だけで、その性格や容姿も全く考慮されず、低い身分の生まれであっても選ばれることは珍しくない。
なんでも、歴代の女王陛下の王配として選ばれた中には、過去に大罪を犯した者すらいたらしい。
つまり、王族によくある政略結婚ですらないのだ。
完全なる種馬扱いであるが、それだけにその地位は王配である限り、生涯、国内では揺らがぬものとされる。
さらに、相当な罪を犯すならともかく、ある程度の愚行なら見逃されるようになる。
だが、それは王配の地位にあることが前提の話。
女王陛下を裏切れば、その地位は剥奪され、それまで貯めてきた愚行に応じて、その処罰も積み重ねられる。
勿論、愚行に時効などはない。
女王陛下を裏切るのは、国に対する裏切りでもある。
そんな裏切り者にかける情けなどあるはずがないのだ。
「いろいろと思うところがあるようだな」
私の表情から何かを読み取ったのか。
紅い髪の男は深く長い息を吐いた。
「あの王配はもともと聖騎士崩れだ。その時点で、真っ当な人間ではない」
その言葉に思わず笑いたくなった。
聖騎士崩れとはうまいことを言う。
その言葉に間違いはないのだから。
確かにあの王配は、今や見る影もないが、昔は聖騎士団長を務めるほどだったらしい。
だが、第一王女が生まれる前には既に、あの王配の魔力は衰えを見せ、魔法力も減少していたと聞いている。
それは、加齢のせいだと囁かれてはいたが、それが違うことは、あの王配を知る人間なら分かることだろう。
王配の地位に就いた後、あの男は、何の努力もしなくなったらしい。
それまで磨いてきた魔法の腕も、聖騎士団長だった誇りも全て捨て、ただ惰眠を貪るだけの男に成り下がった。
そこにどんな心境の変化があったのかは分からない。
あの男は、女王陛下と婚儀を交わした後に変わってしまったとは聞いている。
全ては、私たちが生まれる前の話。
その真相は知らないし、そこまでの興味もない。
「ところで、ミオルカ王女殿下」
紅い髪の男が私に呼びかける。
「貴女にとって非常に残念なお知らせがある。ここには侍女、女中と呼ばれる女の世話役がいない。理性も自制も良識もない男しかいないからな」
男は自嘲気味に笑う。
だが、それが、私にとって何故、残念なお知らせになるのかが分からない。
「今、貴女は『魔封石』の影響下にあるため、身体もまともに動かせない状態にある。だが、我が国までお連れする際に、世話役となる者がいないということになる」
なるほど……。
なるほど?
「その『魔封石』がなければ、貴女の脱出は容易だからな。入浴時にも外させるわけにはいかない。そうなると、どうしても、貴女には世話役が必要となる」
よく分からん。
確かに私はアリッサムの王族だが、この状況としては捕虜に等しい。
寧ろ、あのおぞましい場所から連れ出されただけでもマシな扱いだと思う。
その上、国とやらに連れて行かれた後は、そこの国王に引き渡され、さらに実の父親とヤっているところを我が国の女王陛下に見せつけるという悪趣味極まりない見世物になれと言ったよな?
そんな奴隷のような扱いをする予定の女に対して、世話役だと?
この男、一体、何を考えてるんだ?
「よく分からないって顔をしているな」
男の言葉に、少しだけ首を動かすことで肯定する。
「単純な話だ。貴女はアリッサムの王族。それならば、俺の手にある間ぐらいは、相応の礼を尽くすべきだろう?」
ああ、なるほど。
国に連れていくまでは、王族として、最低限の敬意を払ってくれるとこの男は言っているのか。
…………もう、我が国はないのにな。
「暫くは不自由だろうが、我慢してくれ。……とはいっても、貴女の迎えが来るまでの短い間だがな」
紅い髪の男はそう言ったのだった。
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