九死に一生を得る
「ふ~っ」
お茶が美味しい。
先ほどまであまり食欲もなかったけれど、起きている時間が長ければ、お腹もすいてくるというもの。
星が瞬く夜空の下で、波の音を聞きながら、わたしは雄也さんとリヒトとお茶を飲んでいた。
雄也さんが準備してくれた本日のお茶請けは、アイスボックスクッキーのような焼き菓子。
市松模様や渦巻き模様、マーブル模様のようなお約束の模様だけではなく、すっごい可愛いクマとかウサギとか人間界を思い出すような動物のキャラクターの模様もあって、これは食べるのが勿体ないと思ってしまう。
いや、食べないともっと勿体ないことになるから食べちゃうけど。
この世界にこんなお菓子はないので、雄也さんが作ったのだろう。
そして、九十九のアイスボックスクッキーの焼き菓子版とも干菓子版とも味が少し違う。
ココア生地部分はほろ苦く、プレーン部分は甘い。
九十九とは別方面の拘りを感じる。
『なんだコレは……』
そう言いながら、リヒトはひよこ柄のクッキーを摘まんでいる。
「焼き菓子だが?」
『いや、この不思議な絵の方だ。この四角の組み合わせや、丸いものはツクモが作ったものと似たもので見たことがあるが、これは一体?』
身体が大きくなっても、その仕草がいきなり変わるわけではない。
今のリヒトはこの島に来る前と同じ少年の姿に見えた。
そして、この丸っこいひよこの丸っこくも愛らしいフォルムは、メチャクチャわたし好みの絵である。
特にココア生地のような色をした円らな瞳は、胸に来るほどの可愛らしさで、食べるのを戸惑ってしまったほどだ。
多才な雄也さんは絵心もあるらしい。
わたしは動物の可愛いイラスト系が少し苦手なので、後で参考にさせてもらいたいと思っている。
動物の顔部分はまだマシだが、身体部分が苦手なのだ。
可愛く描こうとしても、中途半端にリアルになってしまうである。
可愛いイラストは本当に難しい。
人間界にいた頃も、年賀状の干支の絵で苦労した覚えがある。
それにしても、アイスボックスクッキーって、確か、金太郎な飴のように生地を棒状に作って切るはずだよね?
それで同じものを量産できる仕組みだったはずだ。
でも、この焼き菓子は、複写されたかのように見事なまでに絵柄が統一されていて、複製品によくある歪みもない。
それも、平面のクッキーに絵を描くのではなく、出来上がりを想像して立体を形作るって、一体どれだけの技術なんだろう?
しかも、料理の生産工程で、不思議な変化をしてしまうこの世界なのに。
「それは、鳥の雛を模した絵だな」
『鳥の……、ヒナ?』
「卵から孵って間もない鳥のことだな。親離れできない未熟な時期を言う」
『未熟な時期、「適齢期」前の俺たちのようなものか?』
「いや、もっと未熟な時期だよ」
雄也さんが苦笑する。
リヒトは不思議そうな顔をしながら、「鳥の……ヒナ」と呟いた。
なんだろう?
その表情はそのひよこの柄を「気に入った」というよりも、「気になった」という感じがする。
長耳族のリヒトは、雄也さんからいろいろと学んだためか、「適齢期」になる前からある程度しっかりしていたと思う。
時々、世間知らずに見えるのは、育った環境によるもので、彼自身が成長していなかったわけではない。
そんな彼を未熟なひよこ扱いできるはずがない。
「適齢期」前のリヒトが雛というのなら、それよりも、もっとずっとうっかりしているわたしなんかひよこが孵る前の卵じゃないかな?
『シオリは未熟じゃないぞ』
「「え……?」」
口にした短い言葉は同じだった。
驚きが混じったのは雄也さんの声。
わたしは、思考から現実に戻された声。
『十分過ぎるぐらい思考している。特に、ミオに渡した通信珠については、俺は見事だったと思っているし、ツクモも感心していた』
九十九も感心していた?
本当に?
でも、確かあの時、結構、怒られた気がするよ?
なんて無茶なことをしたんだって。
いや、それは護衛である九十九の立場からすれば、当然のことなんだって分かっているのだけど。
その結果、怪我までしちゃったし。
『発想は良いけど、やり方が悪い』
それはごもっとも。
「だけど、あの状況で、他の手を考える余裕なんてなかったんだよ」
あの時の、あれがわたしの精一杯だった。
勢いよく突進しなければ、あの「綾歌族」に接近することなんかできなかったし、その上、通信珠を水尾先輩の襟元に忍ばせることだって、無理だっただろう。
あの「綾歌族」は、あの時点で水尾先輩に最接近していたのだ。
そんな状況で気付かれずに通信珠を水尾先輩に渡すためには、なんとか相手の視線や気を別のことに逸らす必要があった。
『何も、馬鹿正直にツクモに全てを伝える必要はない』
「おお」
確かに。
そっちについては、全然、考えなかった。
全てを話さずに、「相手に近付き、気付かれないようにこっそり忍ばせた」と誤魔化せば、怒られることも心配させることもなかったのだ。
肝心なところを伝えてはいないけれど、嘘でもないのだから。
「こら、リヒト。栞ちゃんを悪の道に引きずり込まない」
雄也さんが怪訝な顔をしながら、リヒトに向かって注意する。
『失敬な。ツクモに余計な心配はさせたくなかったというシオリの気持ちを考えただけだ。尤も、そんなお為ごかしをすれば、その後で、俺がツクモの替わりに怒るところだっただろうけどな』
「おおう」
つまりは、どちらにしてもわたしは誰かに怒られたわけだ。
しかも、隠すのはお為ごかしとまで言われてしまった。そして、それは間違っていないだろう。
九十九のためと言いつつも、結局は自分の身を護ろうとしているのだから。
心を読めるリヒトに誤魔化しなどできない。
芋づる式に雄也さんにも伝わり、九十九にも伝わって、隠したことを含めて更に怒られただろう。
うん。
隠し事は良くないね。
「俺も栞ちゃんを未熟とは思ってないよ」
そう言って雄也さんは微笑む。
「今回はキミに助けられた。そんなキミが未熟だというのなら、俺たちは不熟ということになるね」
雄也さんや九十九が「不熟」?
それは自虐が過ぎるというものだろう。
彼らがどれだけの努力や経験を重ねてこの場所にいるのかなんて、三年程度の付き合いじゃ分からない。
「いいえ。雄也さんと九十九は十分過ぎるほどだと思います」
わたしはそんな彼らに見合った主人とは言い難いと思っている。
だけど……。
「今回の件にしても、わたしはいつもあなたたちに助けられているから、お相子ということになりますね」
それでも、わたしのことを「未熟」ではないと言ってくれる人に対して、わたし自身が後ろ向きな言葉なんか言えるはずがないよね?
それに、自分が「祖神変化」という現象によって変化していたとしても、そして、そのことをわたしが全く覚えていなくても、本当に彼らを助けることに繋がったのなら、凄く嬉しいのは本当のことなのだ。
まだまだ「お相子」というほど彼らに借りは返せていないのだけれど、それはこれからのわたしにご期待ください!! というしかないだろう。
「次はちゃんと護るから」
雄也さんはわたしの目を見てそう言った。
その口元はいつものように笑みの形を作っているけれど、その黒い瞳は鋭く突き刺さるようで、胸をときめかすような浮ついた気持ちにはなれない。
「はい」
確かに相手も、能力的な相性も悪かった。
わたしたちが普通の人間だったら、最悪の事態になっていたと言い切れるほどに。
そして、似たような状況に陥った時、今度も同じように助かるとは思えないのだ。
それほど今回は、崖っぷちに追い込まれながらも、なんとか九死に一生を得たという印象はどうしても拭えない。
だから、わたしは……。
「これからもよろしくお願いいたします」
素直に信頼できる護衛に頭を下げた。
「うん。任せて」
そんな頼もしい言葉が返ってくる。
「今度はもう油断しないから」
さらに続けられた言葉にわたしも頷くことで応えた。
後は、もう一人の護衛を信じて待つことにしようか。
この話で、73章は終わりです。
次話から第74章「枯樹生華」。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




