聖女の祝福
生まれて初めて、自分の意思で誰かにキスをしている。
その目的を考えれば、わざわざ目を閉じる必要はないのだろうけど、目を開けたままなんて、絶対に無理だった。
以前、九十九から無理矢理重ねられた時は、そこまで深く考えるような余裕もなかったけど、身体のあちこちが硬い彼にしては、意外なほどその唇は柔らかかった。
まるで、そこだけ別のものをくっつけたみたいだ。
いや、そんな邪な思考は置いておいて……!!
『魔法攻撃無効化』、『物理攻撃無効化』、『魔法攻撃力上昇』、『物理攻撃力上昇』、『治癒効果上昇』、『行動速度上昇』、『状態異常無効化』、『魔法力回復上昇』、『疲労軽減』、後は……、えっと『環境最適化』!!
唇を重ねたその一瞬で、思いつく限りの身体強化を心から祈る。
そこにどれだけの効果があるか分からないし、あったとしてもどれほど持続するかも分からない。
これだけ一度に願うのは、自分でも欲張り過ぎだと思うけれど、彼のために祈りたかった。
先ほど背中に張り付いた時も同じように願ったが、どうせなら、わたしの想いをより強く込めたい。
でも、恥ずかしいので、終わったらすぐに離れた。
そこに余韻などないし、そんなものに浸る心の余裕もない。
でも、目を閉じていても、その感触で自分が何をされたのかが分かっただろう。
目を開けた九十九は、真っ先に自分の唇を確かめたから。
「し、栞!?」
名前を呼ばれても、それに対してどう返事をして良いか分からない。
「無事を祈って、せ、『聖女の祝福』をしただけだよ」
正式なものではないけれど、それに近いことはできたと思う。
そのやり方は、いつか見た「精霊の祝福」を参考にしただけだ。
アレは、九十九にとっては思い出したくもないことだろうけど、わたしにとっては忘れられない出来事である。
何でも、「精霊の祝福」は、相手の魂により近付くことで付加できる魔法や法力とは全く違う種類の奇跡らしい。
それは、その特性から、人間の使う魔法や神官たちの法力よりも、神たちが使う神力に近いと恭哉兄ちゃんからも聞いたことがある。
魂に近付くというのは説明されてもよく分からなかった。
でも、相手の心に寄り添う必要があるってことだけは理解できた。
そして、相手の心に寄り添うためには、自身の心が深く接触する必要があるらしい。
以前、出会った「水鏡族」と呼ばれる精霊族の祝福の仕方はいろいろあった。
でも、その中でわたしができそうなのは、これしかなかったのだ。
「お前、自分からはしないんじゃなかったのか?」
やっぱりバレバレだったようで、ストレートに問われた。
その点について追及するのは本当に勘弁してください。
わたしだって、覚悟を決めるまではそう思っていたのだから。
だけど、仕方ないじゃないか。
「し、しないつもりだったけど、あなたの無事を本気で祈るなら、これが一番良いと思った」
実際、やってみた感想としては、背中に張り付いた方がその接触面も広いけど、祈りの質は多分、口付けの方が良かった気がする。
もしかして、嫌がられた?
その前に九十九だってわたしにしたって言ったし……。
ああ、でも、恋人でもない相手にキスするって相当、軽い女に見えるかもしれない。
「祝福、ありがとな」
だけど、九十九は特に気にした風でもなく、そう言ってくれた。
それはそれで、ちょっと複雑だけど、これ以上、深く突っ込まれるよりはその方が良いかもしれない。
「水尾先輩をお願い、九十九」
わたしは九十九の手を強く握る。
この手はいつも、わたしの全てを護ってくれている。
だから、今回も大丈夫だとわたしは信じる!!
「おお、オレと水尾さんの無事を信じて待ってろ、オレの主人」
まるで、わたしの考えを読んだかのようなことを言いながら、その手がわたしの手を力強く握り返してくれた。
「うん。任せたよ、わたしの護衛」
そのことが嬉しくて笑みが零れたのが自分でもよく分かる。
それを見て、九十九も安心したように笑った。
見送る時は、互いにやっぱり笑顔が良いね。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、気を付けて」
そう言って、手を振る。
初めて、こんな形で九十九の背中を見送る気がした。
九十九はわたしの専属護衛ではあるのだけど、離れること自体は初めてではない。
カルセオラリア城が崩壊した時も離れていたし、九十九が初めて「発情期」になる直前も少しの期間、離れていた。
あの時は、事情を先に聞かされていたせいか、淋しいと思う気持ちはあっても、不安はそこまでなかった。
あの時は、数日間。
今度は、どれだけ長い時間なのだろう?
「ああ、忘れてた」
「ん?」
九十九が振り返る。
「オレがいなくても、ちゃんとメシ、食えよ? お前、すぐ、痩せるからな」
オカンがいる。
「痩せるのは、悪いことじゃないよ?」
男の人って痩せている方が良いって聞くけど、九十九はどうも、わたしを太らせたいらしい。
わたしを食材か何かと間違えていませんか?
「食わないで痩せるのは不健康だろ? ちゃんと食った上で痩せるなら、それは仕方ねえ」
「はいはい、分かりました」
確かに間違っていないので、そう言っておく。
「あと、さっきの祝福は、誰にでもするなよ?」
「しないよ」
いくらなんでも、そこまで軽い女にはなれない。
「神女」の中にはそういったことをする人もいるらしいけど、わたしはそこまで自分を軽く扱える気はしなかった。
「そんなに嫌だったなら、九十九にだってもうしないから、安心して?」
「べ、別に嫌ってわけじゃ……」
嫌じゃないらしい。
九十九も男の人だから、やっぱりそういうことをしたいって思うのだろうか?
でも、これ以上は無理!!
今回が特別だっただけ!!
「大丈夫だよ。今回だけ特別だから」
「そ、そうなのか……」
「そうなのだ」
戸惑う九十九に対して、わたしは胸を張る。
開き直りともいう。
「わたしの『初めて』をあげたのだから、水尾先輩をよろしくね」
「はっ!?」
何故か、驚かれましたよ?
「驚くこと? わたし、これまで一度も自分からキスしたことはないって言ったはずだけど」
されたことならある。
特に目の前にいる御仁は、たった一度の機会だったはずなのに、圧倒的な回数過ぎて、数えきれないほどだった。
まあ、九十九から離れている間に、ソウからも数回されているけど、それをわざわざ口にする気はない。
「あ? ああ、そういう……、ああ、うん」
胸を撫で下ろす九十九。
そんなに驚かせるようなことを言ったかな?
「悪いな。お前の『初めて』をもらっちゃって……」
自分で言う時は気にならなかったのに、何故か、九十九が言うと淫猥な響きに聞こえた。
まるで、キス以上のことをされてしまったような気になってしまう。
この声が低くて甘いからだ。
このホスト向きな声め!!
あれ?
九十九が驚いたのって、もしかして、一回、そっち方面の意味にとった?
それは確かに戸惑うね。
わたしの最初の言い回しが良くなかったと反省。
「ああ、『聖女』に感謝を伝えてねえや」
「ほ?」
九十九はそう言って、わたしの髪を掬って口付ける。
「祝福をくださった『聖女』に心からの感謝を」
「ふわっ!?」
なんだ!?
この男……。
これは、ストレリチアの最大の感謝を表す行為だ!!
こんなところでやるなんて、不意打ち過ぎる!!
「そして……」
「ほわっ!?」
いきなり右腕を引かれ、そのまま、頭に口付けられた。
「一介の護衛に対して過分なる配慮をしてくださった主人に心からの謝意と敬愛を」
さらにセントポーリアの男性から限定の感謝の印だと!?
もうやだ、この護衛。
心臓に悪すぎる!!
確かに自分からキスをしたけれど、その反撃とばかりに、こんな甘い声付きの連続コンボを叩き込んでくるなんて、本当に酷い!!
だけど、熱暴走してショート寸前になっている頭をなんとか無理矢理、立て直す。
「そ、それだけ大事なの!!」
「『水尾さんが』だろ? ちゃんと分かってるよ」
分かってない!!
さっきも言ったのに!!
九十九と水尾先輩なら、九十九の方がちょっぴり重いって。
「わたしが大事なのは――――」
そう言いかけて、九十九の表情が変わったことに気付いた。
九十九は先ほど、彼自身が言った方向……、上空を見ている。
「呼ばれた」
「へ?」
「行ってくる」
「あ、うん。気を付けて……?」
思ったより、あっさりと九十九は飛び立った。
でも、呼ばれたってなんのことだろう?
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