全く動かない
「なんで、俺が残されたのだ?」
トルクスタン王子は不満の感情を隠さずにそう言った。
「建物内の植物を確認するだけだったら、九十九だけで十分だろう?」
「俺は、九十九の見解を含めて、確認したかったんだよ」
「そんな余分な暇はない」
トルクスタン王子の抗議は雄也さんによって、あっさりと却下される。
「ミオに相方が務まると思うか?」
「薬草と毒草の区別がつかないお前よりはマシだ」
それは同感だ。
トルクスタン王子はもっと薬草をちゃんと見た方が良いと、カルセオラリア城にいた頃からわたしはそう思っていた。
九十九は、先ほどまでこの集落の建物内を確認していた水尾先輩を案内人として、その植物たちの生えている場所へ行ったのだ。
何でも、様々な植物が多すぎて、トルクスタン王子、水尾先輩、真央先輩でも分からないものが何種類もあったらしい。
九十九もこの世界の全ての植物を知っているわけではないし、書物だけで見たことがないモノも多いとは言っていたけど、真央先輩も水尾先輩も、「トルクよりはマシ」と口を揃えて言った。
トルクスタン王子はその部分も含めて気に入らないらしい。
「今、無駄に戦力を割くわけにはいかない」
「あ?」
雄也さんの言葉にトルクスタン王子は短く疑問の声を返す。
「この場ではお前も戦力だ」
「どういうことだ?」
雄也さんの言葉の意味を分かりかねて、トルクスタン王子は問い返す。
「鈍いな~、トルクは」
だが、雄也さんの代わりに真央先輩が呆れたように言った。
「だから、どういう意味だよ?」
「あのね? 先輩は、ここで足手纏いだった私を護るために一睡もしていないの。この場所に来てから、ずっと私を庇いながら戦ってくれたの。それぐらい分からないかな?」
「――――っ!?」
そんな真央先輩の正論に、トルクスタン王子は絶句する。
「話を聞いた限り、トルクや高田たちは安全な場所に移動したかもしれないけれど、私たちは、あの瞬間に、いきなりこの結界内の、木に引っかかったんだよ。そんな状態で、しかも、魔法がろくに使えないのに、護ってくれた先輩を休ませてあげる気はないの?」
真央先輩は、その時の状況を分かりやすく説明してくれる。
わたしたちはここに来るまでに、ゆっくり休んだり、いろいろ準備したりする暇も余裕もあったけれど、想像以上に絶望的な状況で、雄也さんは真央先輩を護って戦っていたらしい。
だけど、木にひっかかったような状態から、どうやって体勢を整えた上で、ここで呻いている人たちのような状況に追い込むことができたんだろうか?
その辺り、謎でしかない。
「ま、マオ」
明らかに責めるような口調の真央先輩に、トルクスタン王子は戸惑いを隠せないようだ。
でも、真央先輩がそこまで言うのは、それだけ彼女と雄也さんが大変な目に遭ったということでもある。
まだ身体も動かせないわたしは、その当事者の話に口を挟むこともできなかった。
「ここに来た時に、私たちがどんな目に遭いかけたか。どんな言葉を投げつけられ、どんな思いをしたか貴方には言ったよね? 先輩のおかげで、私も無事だったのに、貴方はその恩を仇で返すとでも言う気?」
この口調から、相当な目に遭ったことは想像に難くない。
でも、後から合流した水尾先輩たちと別の場所に移動することはできたのだから、真央先輩は怪我もなかったのだろう。
この場所では治癒魔法も使えないのだから。
いや、わたしや九十九より先にこの場所にいたメンバーは、誰一人として、普通の治癒魔法は使えなかったか。
「そ、そんなつもりは……」
明らかに劣勢のトルクスタン王子。
「真央さん、そこまで」
それを雄也さんが止める。
「理由が伝わるだけで良い。それに、もともとそこの男を遊ばせる気はないので、それ以上、責めるのは止めてくれ」
「先輩は良くても、私が気になるんですよ」
真央先輩は不服そうだった。
もっと言いたいことがあるのだろう。
「それなら、俺が寝た後にして欲しい」
「先輩がそう言うなら、仕方ないですね」
真央先輩はそう言って、溜息を吐いた。
あれ?
わたしはふとあることに気付いた。
先ほどからトルクスタン王子と真央先輩が動く気配はするのに、雄也さんはその場所からずっと全く動いていない気がする。
それも不自然なくらいに。
いや、先ほどからだけじゃない。
わたしと九十九がこの建物に入って来た時からずっと、同じ場所にいるような気がしている。
そして、今も、動くことなくその場所に座っているのだ。
普通なら、手足を動かす気配ぐらいすると思うのに。
もっと深く思い起こしてみれば、九十九から紙と筆記具を受け取る時も、報告書の交換をする時も、座ったまま立たずにいた気がしてきた。
しかもその動きは最低限。
それは単純に、この周囲の状態を見張っているだけだと思っていたけど、もし違う理由があるとしたら?
それに気づいた時、急速に、自分の全身に血が通うような気配がした。
それまで、動くことのなかった身体に、腕や足に、力が入るのを感じる。
「雄也さん!!」
わたしはその勢いのまま、飛び起きた。
トルクスタン王子と真央先輩、雄也さんの視線が一斉にわたしの方を向く。
「おはよう、栞ちゃん」
だが、動揺することなく、いつものように笑う雄也さん。
「おはようございます、雄也さん」
挨拶を返し、わたしはそのまま雄也さんに近付く。
そして、彼と目線を合わせるように、目の前で座り込んだ。
雄也さんの端正な顔が間近にあるが、そこにときめいているような心の余裕はあるはずがない。
「いつから、寝てませんか?」
「二日ぐらい前からかな」
予め、用意していたかのような即答だった。
目を逸らさず、悪びれもなくわたしに向けて笑顔のまま、彼はそう口にする。
昨日からではなく二日前ってことは、多分、船でも寝てないってことだ。
改めて確認すると、目の前にある雄也さんのその瞼の下の皮膚はうっすらと青黒くなっていることが分かる。
ここでは魔法も使えない、道具も出せないのだから、それを誤魔化すこともできなかったのだろう。
もしかしたら、九十九は気付いていたかもしれない。
だけど、兄に対してそんな言葉は掛けられなかったかもしれない。
互いの性格的に。
それならば、これは、わたしの役目なのだと思う。
動けなかったわたしに対して、珍しく一言も声をかけずに出て行った九十九。
それは、彼からこの場を任されたと判断しよう。
「安全が確認できないと眠れない性分でね」
口を開きかけたわたしが、更なる追及をするよりも先に、その理由も口にする。
理由が分かったなら、これ以上、余計な話をする必要はないだろう。
あまり、時間もかけたくなかった。
「それなら、もう大丈夫ですよね? 今、ここにはトルクもいますし、九十九も近くにいてくれます」
魔法が使えないこの場所で、そんな状況に不慣れなトルクスタン王子だけでは不安だったのかもしれない。
他に水尾先輩と真央先輩がいたのだから。
だけど、魔法が使えない状況も想定して、訓練をしていた九十九が近くにいるなら、もう気を張り続ける必要はないと、判断してくれないだろうか?
「それでも、安心できないなあ」
そんな風に苦笑いをするものだから……。
「雄也さんが育てた九十九のことは信用できませんか?」
わたしがそう言うと、雄也さんは目を丸くして、小さく噴き出した。
「そんな言い方をされたら、『誰よりも信じている』としか返せなくなるね」
本来なら、笑いながらそう言われても、説得力に欠けると思う。
でも、恐らくは本心なのだろう。
雄也さんも九十九も、わたしに嘘は言わないことはもう知っている。
だから、今の言葉は真実だと思うことにしよう。
九十九の前じゃないから言えたとも思うし。
「じゃあ、そこにいる友人と、弟を信じて、そろそろ俺も眠らせてもらうとするかな」
雄也さんはそう言いながら、ゆっくりと長く深い息を吐いたのだった。
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