反省はない
「面白い観点から考えたものだな」
小瓶の中にある流動性の高い液体を見ながら、雄也さんはそう言ったのだと思う。
先ほど見たその液体の色は、薄い赤色の中に、ところどころ鮮やかな青が滲んでいるようだった。
九十九が採取したソレを見た時、わたしはなんとなく、人間界にいた頃、水に水溶性の絵の具を落として、白い半紙を淡い色で染めた時のことを思い出した。
「ルピエムの樹液は、最初に萌芽した場所がスカルウォーク大陸やウォルダンテ大陸なら、樹液の基は青系の色になるはずだ。だが、これは明らかに赤い。フレイミアム大陸から植樹されたことは間違いないだろうな」
そんな九十九の解説が聞こえてくる。
「先天的には赤く、青の染みは後天的なものということか」
「多分な。でも、流石にいつ頃ここに植樹されたのかまでは分からんぞ。オレも実物は初めて見るケースだからな」
「分かっている。そこまでは望んでいない」
雄也さんがそう言って薄く笑った気配がした。
「だが、判断材料の一つにはなる。少なくとも、ここの植物に何者かの手が入っているということだな」
最初の萌芽が樹液の色の基準になるのなら、誰かの身体に付いていた種が運ばれて、この場所に落ちたことにはならない。
少なくとも、苗とか、枝とかを植えられたことは間違いないのか。
しかし、樹液にそんな性質があることに驚きだし、それが知識として頭にあるのも凄いよね?
「どうする? もう少し、採取するか?」
「半分は私情だろう?」
九十九の申し出に対して呆れたように雄也さんは答えた。
「ルピエムの樹液なんて、これまで、スカルウォーク大陸しか販売しているのを見てねえんだよ。しかも、原液の採取なんて貴重な機会、滅多にねえのは兄貴にだって分かるだろう?」
そして、九十九自身も否定しなかった。
どうやら、趣味と実益を兼ねたかったらしい。
「小瓶はいくつある?」
「背負ってた荷物にもいくつかあるけど、サンプル採取用しか出してこなかったからな~」
こんな場所で、わたしの護衛は一体、何のサンプルを採取する予定だったのか?
「ルピエムはいくつ生えていた?」
「周囲に結構あったな。多分、害虫除けだと思う」
ああ、食虫樹ですものね。
どんな虫が寄って来るのか、あまり考えたくはない。
「樹液の効果は『精霊族』にもあるか?」
「少なくとも、リヒトには効果があったな」
いつの間にか被験者にされていたウチの精霊族。
「睡眠薬の調薬は可能か?」
「調薬は難しくないが、一週間はかかる。それに温度管理が必要だ」
「調薬しない時の効能は?」
「原液でも効果はあるが……、効き目も長さも体質による。精霊族には原液の方が良いかもしれない」
「ああ、『魔蟲殺しの木』だったな」
な、なんか物騒な言葉を聞いた気がする。
食虫樹といっても人体に興味がないなら、ちっこい虫程度かと思っていたが、その異名からして違うらしい。
魔蟲は、魔獣の虫バージョンだ。
魔力を持った虫のことだが、その大半は1メートルを超えると聞いたことがある。
たまに小さいのもいるけど、ほとんどはでかいそうな。
でも、そんな木の陰で休ませないでください。
もし、うっかりお食事風景を目撃したら、目を閉じなくても夢に出そうな気がする。
「樹液を採取しておけ。呻き声を黙らせたい」
「その原因が何を言ってんだよ?」
「少しばかりやり過ぎたと今では反省している」
全く反省のない声色で雄也さんはそう言った。
「呻き声を黙らせるだけなら鎮痛剤はあるぞ」
「鎮痛剤なら、治ったと誤認して動けるようになるかもしれん。それは避けたい」
「じゃあ、面倒なヤツに睡眠薬。それ以外は樹液ってことで良いか。でも、精霊族全員に効果があるかは分からんぞ」
そう言いながら、九十九はリュックサックから何かを取り出した。
多分、その音から液体……、だと思う。
「この状態なら水に混ぜても大丈夫だ。だが、人肌より熱めのお湯だと効力がなくなる」
「以前、トルクの意識を飛ばしたやつだな」
ちょっと待て!
雄也さんはさらりと言ったが、仮にも、他国の王子殿下相手に何をやってんですかね!? わたしの護衛たちは。
「そのトルクが『両手に花』状態で戻ってくるようだぞ」
「両手に花……」
何か言いたげな九十九の言葉。
多分、水尾先輩と真央先輩のことだと思うけど、十分、あの二人は「花」で「華」だと思うよ?
見た目が綺麗っていうのもあるけど、二人で並んで立っているだけでも、妙に目立つのだ。
それは雄也さんと九十九の兄弟も同じなのだけど、あの二人は双子で同じ顔をしているということもあるために余計に人目を引いている気がする。
「花も両手にあると大変そうだよな」
何か違うと思うのはわたしだけでしょうか?
九十九は、基本的に頭は悪くない。
いや、わたしよりかなり良いと思っている。
この世界の知識だけではなく、人間界の雑学と思えるような知識まである。
難しい言い回しもする時もあるのだけど、時々、こんなどこかずれたことを言うのだ。
これって、自動翻訳機の誤変換でも働いているのだろうか?
いや、彼は優先順位が他者と違うところがある。
植物は薬の素材となりやすい。
調薬好きな彼は、慣用句としての「花」よりも、植物としての「花」をどうしても考えてしまうのかもしれない。
いまだに調味料の方ができちゃうみたいだけどね。
いや、薬だから調味薬?
「ユーヤ」
ノックなどの合図もなく、いきなりドアが開かれる。
声から、トルクスタン王子のようだ。
やはり、この王子殿下はノックをあまりしない人らしい。
「植物図鑑が欲しい。まだ来ないか?」
開口一番、そう言った。
……って、何故、植物図鑑?
そして、来るって何のこと?
「あ」
トルクスタン王子が何かに気付く。
「『植物図鑑』だ」
「あ?」
その言葉に九十九が反応した。
「ツクモ、来い!」
「お断りしても良い……か?」
微妙に敬語になりそうなところを修正しようとしている。
しかし、九十九を「植物図鑑」とな?
でも、彼のことをそう言いたくなる気持ちはわたしにも分からなくもない。
しかも、トルクスタン王子は「カリサクチェイン」と、「エクチマキリ」の区別が付かないような人だ。
片や、調味料にもなる「薬草」。
片や、神経麻痺毒を持っている「薬草」。
その恐ろしさがお分かりいただけるだろうか?
調薬が好きだからといって、その素材まで同じように好きになるとは限らないということなのだろう。
「人のことを『植物図鑑』扱いしないでくださいよ!!」
あ、敬語に戻っている。
「何を言う? その頭の中には俺以上に膨大な資料の植物知識があるのだ。十分、『図鑑』を名乗って良い」
「トルクの知識と比べれば、栞だって植物図鑑になれますよ」
そんな九十九の言葉に、トルクスタン王子の背後で、水尾先輩と真央先輩が揃って噴き出す気配がした。
いろいろ酷くないでしょうか?
「その栞は、寝ているのか?」
トルクスタン王子はわたしの状況に気付いたようだ。
わたしは、ずっと身体が動かせない状態にあった。
九十九と雄也さんを含めた周囲の声は聞こえるし、ちょっとした気配も分かる。
そして、それに対して思考できる程度の意識もあるのに、指一本動かせないのだ。
「ちょっと微熱が出たようなので、休ませています」
「女性が寝るような環境ではないようだが……」
ずっと周囲から呻き声が聞こえているからね。
わたしもそう思う。
なんとなく呪われそうだ。
「栞からは少しも目を離せないのだから仕方ないでしょう?」
「まあ、ここではな」
どこか誤解を招きそうな九十九の言葉に対して、トルクスタン王子は躊躇いながらも答えた。
どうやら、本当にこの場所は本当に危険らしい。
「まあ、栞が寝ているなら好都合だ。今なら、ユーヤもここにいる。悪いが、来てくれないか?」
「『植物図鑑』としてですか?」
どこか皮肉を込めた九十九の返答。
「見たこともない薬草がいっぱいで困っている」
「行きましょう」
だが、トルクスタン王子の更なる言葉に即答した。
ちょっと待って、わたしの護衛?
もしかしなくても、好奇心が勝ってませんか?
確かに雄也さんがいれば、わたしの護衛としては十分だろう。
でも、九十九はトルクスタン王子と交替して眠ることができたけど、雄也さんはいつ、眠ったのだろうか?
もしかしなくても、まったく寝てないんじゃない?
そして、それを自分から口にするような人ではない。
笑いながらも無茶できる人だって、わたしは知っているのだ。
ああ、なんで、今、わたしの声が出ないのだろう?
意識はこんなにもはっきりとしているというのに、身体が動かせないのだ。
周囲の声も聞こえるのに、どうして、こんな状態なの?
……って、心当たりしかない。
恐らく、この場所に運び込まれる前に、解熱剤として飲まされた液体が、何かの薬だったのだと思う。
なんで、わたしの護衛は、主人に一服盛ることに抵抗がないんですかね!?
そんなわたしの心の叫びにも気付かずに、護衛はあっさりと建物から出て行ってしまったのだった。
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