怖い兄弟
「珍しいリストだな」
九十九が難しそうな顔のまま、目の前の紙を目にしている。
「何が書かれているの?」
「ここで栽培されている薬草」
「薬草?」
薬好きな青年なら喜びそうだけど、この様子だとあまり嬉しくはないらしい。
「だが、リストに載っているものは、大半、ウォルダンテ大陸で自生するはずもないモノばかりだ」
「ビニールハウスみたいなものがあるってこと?」
なんとなく、野菜の促成栽培とかそんなものが頭をよぎった。
「ああ、なるほど。環境を変えることができれば、それも可能なのか」
九十九は頷きながらも数枚めくっている。
そして、ふと手と目を止め、顔を上げた。
「そこの女」
同じ建物内にいるリヒトに見張られている綾歌族のおね~さんに向かって声をかける。
おね~さんは、倒れている男の人たちより、リヒトを見ていることの方が多かった。
これでは、どちらが見張っているのか分からないよね?
そして、九十九が声をかけていることには気づいていない。
呼びかけとしては、「そこの女」ってあまり適切ではないから仕方ないとは思う。
わたしも「そこの女」になるわけだしね。
だけど……。
『スヴィエート。ツクモが呼んでいるようだ』
リヒトが気付いて、綾歌族のおね~さんに声をかける。
『どっちだ?』
そう言えば、こちらは名乗っていなかったね。
まあ、このおね~さんも、リヒトにしか名乗ってはいないのだから、お互いさまとは思うのだけど。
『弟の方』
『……先の凶悪な方か?』
『そっちは兄だ』
『人類は先に生まれた方が小さいのか?』
あ。
リヒトの顔色が変わった。
九十九は、16歳の後半で、雄也さんの身長に並び、17歳直前に抜かしたのだ。
そして、18歳を過ぎた今、その身長差は5センチもないとは思うけど、九十九の方が、やや高いことは間違いない。
そして、大聖堂で数か月ほど療養生活を続けていた雄也さんは、ずっと鍛え続けている九十九に比べて、細いこともあって、今は九十九の方が分かりやすく大きい。
どちらが兄かと言われたら、落ち着きのある雄也さんの方が兄っぽいけど、それは二人をよく知っているわたしだからこその考え方であり、初対面では、九十九を兄とみてしまう人もいるだろう。
雄也さんが低いのではなく、九十九が高いのだと思うが、当人たちはことあるごとにそれで、絡んでいる。
普段は冷静な雄也さんが身長のことになると少しだけ雰囲気が尖るのだ。
九十九としては、それが楽しいらしい。
客観的にも分かりやすく、普段は動揺をあまり見せないような兄を不機嫌にさせることができるからかもしれない。
結論。
どちらも大人げない。
違う!
リヒトの顔色から察するに、不穏な思考を持っている人がいるのは間違いない。
そして、状況的にそれは雄也さんだろう。
つまり、今、わたしに求められているのは、この雰囲気から脱却できる思考!
そう考えた瞬間、リヒトが激しく頷いたから間違いない。
でも、身長、身長か~。
わたし自身も気にしているし、こればかりは理屈じゃないのだ。
どう考えても見えている地雷原だよね。
「リヒト。そこにいる長耳族のお嬢さんは?」
雄也さんが声を先に発した。
思わず、喉がゴクリとなる。
『綾歌族と長耳族の「狭間族」と本人は名乗った』
「なるほど、報告にあった女性か。そういえば、黒い鳥を一羽、逃がしたな」
雄也さんが考え込んでいる。
「その様相で、よく無事だったな」
そして、顔を上げてリヒトに向かってそう言った。
『逃げた先で、「適齢期」に入ったらしい』
「なるほど」
無事?
無事じゃないから逃げ出したんじゃないの?
でも、先ほどの妙な雰囲気ではない。
それだけは助かったということにしよう。
「九十九、何かあったのだろう? 続きを促せ」
「あ? ああ」
そう言えば、九十九が呼びかけたことで、先ほどの空気になったんだったね。
「この村についていくつか聞きたいことがあるんだが……」
『断る』
即答だった。
いや、一刀両断だった。
『例え、先ほどのように脅されても、アタシだけは人類に屈しない!!』
「めんどくせえ」
九十九は、乱暴に頭をかいた。
「お前は何をやらかした?」
雄也さんがジロリと九十九を睨む。
「兄貴と似たようなことだよ。栞に襲い掛かったから拘束して、刃を突き付けたぐらいだ」
「その割には、彼女の五体が満足なようだが?」
「栞の前で羽、毟って、嘴を削げと?」
「なるほど」
ごく自然な口調でそんな恐ろしいことを言っているけれど、実際、あの状況では九十九はそれをできたのだ。
そして、それを平然と受け止める雄也さん。
この兄弟、本当に怖い。
「あと、リヒトを『番い』と見定め……、ああ、そっちから攻めれば良いのか」
九十九は雄也さんとの会話を途中で切って、何故か、リヒトの方へ顔を向ける。
その口元は微かに笑っていた。
「リヒト」
『断って良いか?』
「今更だろ?」
思考を含めた会話をしているのだろう。
だけど、リヒトは分かりやすく不快感を露わにして、九十九は妙に笑顔なところが不思議だ。
えっと、何を企んでいるのでしょうか?
「良いから、やれ」
それは拒否を許さない言葉。
九十九にしては強引すぎる運びだった。
「栞ちゃん」
「はい?」
「九十九がかなり怒っているようだが、何かあったか分かるかい?」
「はて?」
わたしと同じように疑問を持ったのか、雄也さんからそんな問いかけがあった。
でも、わたしは首を傾げるしかない。
九十九が怒ってる?
「心当たりはないのですが……」
割といつも通りだった気がするけど?
「あの女性が栞ちゃんに襲い掛かったというのは?」
「えっと、あの人からの『番い』の申し出を、リヒトが拒絶して……」
「ああ、分かった。栞ちゃんに殺意を向けて変化したわけか。それで羽と、嘴に繋がるんだな」
わたしの簡単な状況説明でも、雄也さんはすぐに分かったらしい。
あの時、確かに鳥に変身した気がする。
「リヒト?」
さらに九十九が言葉を重ねる。
リヒトが一瞬、上を向いて……。
『うまくできるか分からんぞ』
「いやいや、今のお前なら大丈夫」
そんな二人にしか分からない会話を続けた。
そして……。
『スヴィエート』
リヒトは綾歌族のおね~さんの両肩を掴むと……。
『俺の望みを聞いてくれるか?』
紫の瞳を細め、口元に笑みを浮かべてそんなことを言った。
『聞く!』
またも綾歌族のおね~さんは即答する。
しかも九十九の時と違って、その表情は期待に満ち溢れていた。
『俺はお前のことをもっと知りたい』
な、なんだろう?
リヒトが何かに似ている。
でも、その何かがこう、喉に痞えて、うまく言語化しない。
『今からいくつか問いかけるが、それに答えてくれるだけで良い』
『なんでも聞いてくれ!!』
チョロい!?
いや、それだけこのおね~さんにとって「番い」って大事なことなのか。
でも、これって、もしかしなくても……。
先ほどの、リヒトと九十九との会話を思い出す。
「なるほど、ハニートラップか」
雄也さんがポツリと不思議な言葉を吐いた。
ハニートラップ?
ハチミツの罠?
「えっと、つまり……?」
「リヒトの『番い』になりたい彼女の気持ちを知った上で、唆して、情報を得ようとする手段だね。『番い』を得ることが至高であり、至宝でもある精霊族にはこの上なく、有効な方法だ」
なんてことさせるんだ!?
そりゃ、リヒトだって困るよね!?
「それも自分でしない辺り、外道だな」
「一番、有効な手段を選んで何が悪い?」
九十九は悪びれもせずに言い切った。
「何が悪いって、性格とか、手段とかじゃないかな」
ああ、リヒトが穢れていく……。
そんなことを何も知らなかったあの「迷いの森」から出さない方が良かったんじゃないか?
一瞬、そんなことまで思ってしまった。
そんなはずはないのに。
「阿呆か」
「あ、阿呆!?」
「どんな形でも、きっかけがあった方が良いだろう?」
「きっかけって……」
情報を得るためのきっかけですか?
確かにそうかもしれないけれど、こんな乙女(?)心を利用するような方法、ちょっとヤダな~。
「ああ、なるほど」
雄也さんも何かに気づいた。
「それなら、協力をするしかないな」
「だよな?」
何かのスイッチを押したような雄也さんの言葉に九十九が嬉しそうに反応する。
「きょ、協力?」
なんだろう?
2人のその言葉に、嫌な予感しかしないのは何故?
彼らの言う「協力」の内容はよく分からないけれど、リヒトの言葉や仕草に甘さが増したことだけは分かった。
その状況は、まるで、恋人たちの甘い語らいを目の前で見せつけられている気になるのは何故だろう。
ああ、居たたまれない。
しかも、すぐ近くでメモを走らせている殿方たちの不思議な図。
先ほどから頭の中に「出歯亀」とか、「覗き」、さらには「逆美人局」とかの謎単語が走り回っている。
なんか、自分が悪人になったみたいで、凄く嫌だった。
そんなこれまでかつてないほど酷い時間は、九十九と雄也さんが満足するまで、いや、リヒトが疲弊し、綾歌族のおね~さんの腰が砕けるまで続けられたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




