見て見ぬふり
この島についての知識はあった。
但し、報告を受けていた範囲内での知識だ。
どこの世界でもあの「ゆめの郷」と同じように、実際に、足を踏み入れて確認しない限り、知ることもない闇は数多くある。
ましてや、ここは、他国どころか他大陸に属している。
ウォルダンテ大陸の闇を、スカルウォーク大陸の人間が詳しく知ることなどないのだろうし、そんなものがわざわざ他大陸から伝えられるはずもない。
だが、この現状を、ウォルダンテ大陸の王族たちは知っているのだろうか?
知らずに放置していたら、それは王族たちの怠慢だし、知っていて放置しているのなら、王族たちの陰謀を疑いたくなる。
いや、俺が知らなかっただけで、この世界はもともとそんなもので溢れていたのかもしれないが。
最初に色とりどりの花々に囲まれたその建物を見た時、俺が感じたのは、あの「ゆめの郷」に似た空気だった。
だが、一見しただけで、もっとタチが悪いと判断できてしまう。
さらに、その建物に足を踏み入れた後は、溜息を漏らすことすら躊躇われて、友人から持たされていた布で口を塞ぐことしかできなかった。
なるほど。
これを見たあの男の機嫌が悪くなるのは当然だろう。
だが、それが一目で分かる者ばかりではない。
寧ろ、専門家ではないあの男が、この現状をすぐに理解できた方がおかしいのだ。
これが弟の方なら、まだ分かるのだが……。
この建物の中は外と同じように魔法は使えないようだが、何かの術が施されているのか、一定の温度に保たれていて、涼しく過ごしやすいと感じた。
そして、建物内に本来あるべき床がなく、いくつかの区画に分けられた土……畝があり、そこに植物が数種類ほど植え付けられていることが分かる。
崩壊前のカルセオラリア城にあった温室のような場所だのだろう。
見覚えがあるモノや、見た覚えがないモノもあるが、あの男から説明された限りでは、その全てが腹立たしいモノでしかない。
「ここは……?」
「建物に……、畑?」
同じように布を口で塞ぎながら、幼馴染たちが俺の背中越しに、建物の中を覗き込んだ。
「あまり覗くなよ」
できれば、これ以上、この建物の中に足を踏み入れて欲しくもない。
いや、この場で呼吸すらしてほしくなかった。
「トルク、説明が足りない。先輩から話を聞いた私ならともかく、ミオはそれでは納得できないよ」
「いや、口に当てるための布を渡された時点で、ここが十分ヤバい場所だってことぐらいは、私にも分かるからな?」
ミオもマオも、ここに植物が植えられていることは分かるが、それが何であるかは分からないらしい。
普通に城で暮らしている王族には縁がないはずの植物。
だが、王族である以上、知っていた方が良い知識でもある。
「この建物に植えられているのは、バーグル、マボラ、エクチマキリ、レンジルド、ネドモイストンらしい」
それぞれの有名な薬草の名を口にする。
この状態では俺も自信がない。
ユーヤから渡された布に書きつけられていることで、ようやく判断ができるぐらいだ。
この場に、ツクモとシオリがカルセオラリア城で作成していた薬草図鑑が切実に欲しかった。
「全部、毒草じゃねえか!!」
流石にそれらの名前は知っていたのか、ミオが叫んだ。
「先輩曰く、この建物の周囲に可愛らしく生えているのは、メイプオの花だってさ」
「メイプオって、どの国でも根絶必須の麻薬になる毒草じゃねえか!! 何、普通に、生やしたまんまにしてんだよ!?」
ミオがそう叫ぶのも無理はない。
マオが言ったメイプオという薬草は、花の状態ではそこまで大きな問題がない。
だが、その花が散り、身が熟した後、乾燥させて粉末状にするだけで、寝食を忘れてしまうほどの多幸感を伴う幻覚、幻聴などの精神に作用する効果がある薬へと変わってしまう。
厄介なのはそれだけではない。
調薬も普通の薬よりかなり簡単な上、一度でも使用するとその常用性がかなり高くなってしまうため、どの国でも植栽が禁止されている植物の一つであった。
野生化しているものを発見したら、直ちに、その周囲ごと冷凍させたうえで、粉砕することが義務付けられていた。
炎を使うと、その煙の中に自己治癒能力を低下させ、体内魔気の自動回復まで阻害するほどの有毒ガスが発生するなど、人間に対して嫌がらせの限りを尽くしたような効果が生じる。
一説によると、古来、破壊の神が齎した人類滅亡計画の一端の名残だったとも伝わっているが、本当のところは誰にも分からない。
そして、ここでは魔法が使えない。
だから、冷凍処分することはできないだろう。
だが、それが放置の理由にはならない。
「そっちの毒草たちも、どう見たって、誰かの植栽だよね」
「畑だからな!!」
しかも、厄介なことに、この建物と似たようなモノが、すぐ近くに並んでいる。
一見、住居に見えるソレらの全てが、もし、同じような状態だとしたら、明らかに、集団で耕作されていると考えるべきだろう。
「もしかして、あれらもか?」
それに気づいたミオが分かりやすく嫌そうな顔を見せた。
「全部がそうじゃないと思いたいけど、どうだろうね?」
マオがどこか他人事のように口にした。
「とっとと処分したい。見ていて胸糞が悪くなる」
ミオはこの状態の放置が許せないらしい。
俺だって、良い気分にはなれない。
だが、問題は、ここの管轄はウォルダンテ大陸にあるということにある。
だから、スカルウォーク大陸の俺が勝手に処分はできないし、同じようにフレイミアム大陸のミオやマオもそれは承知のことだ。
自分に害があれば、それを理由に処分することは可能だが、こちらから自主的に動くことはできないのだ。
これらが、スカルウォーク大陸に運ばれていれば、それを理由に処分することもできるだろうが、それも分からなかった。
「先輩はどうするって?」
マオが俺に確認する。
「分からん」
だが、ユーヤの主人であるシオリが知れば、ミオと同じような反応を見せる可能性が高すぎる。
そして、彼女から命令されれば、ユーヤも、その弟であるツクモも躊躇うことなく、処分するだろう。
それが、外交問題になる可能性があることを二人とも承知で。
「組織的な毒草の植栽。しかも、こんな特殊な場所を使って……。どこかの大物が絡んでいても不思議じゃないけど……」
「ローダンセか!?」
「中心国の人間がここまで大規模なバカはやらないと思うよ」
マオとミオの会話に少しだけ冷静になる。
大規模なバカ……。
本当にその通りだ。
このことが、明るみに出れば、その国の威信をかけて叩き潰す必要があるほどの事態。
どれだけの規模かはまだ分からんが、少なくとも、このメイプオの花があちこちの似たような建物を護るかのように植えられていることだけでも、国家転覆を企んでいると受け取られてもおかしくはない。
「トルク、先に聞いておくが、他にはどんな種類の植物が植えられているとあの先輩は言っていた?」
「まあ、いろいろ……」
具体的には、あの「ゆめの郷」で使われていた薬に結びつくような薬草が多く見られたと言っていた。
それを基に、我が国が出張ることも不可能ではないが、根拠がまだ弱い。
何より、ここは精霊族の混血児が集められている場所だ。
人類にとって害がある薬草でも、精霊族にとっては害がないから育てていると言われては、強く出ることができない。
「今なら、トルクはまだ見て見ぬ振りもできるよ」
幼馴染はそう囁く。
そう、今ならまだその道を選べるのだ。
移動手段があれば、ウォルダンテ大陸はそこまで遠い場所ではない。
だが……。
「それを俺が選ぶと思うか?」
見て見ぬふりはもうできるはずがない。
かつて、自分は、兄の愚行に気付きかけていたのに、目を瞑って見逃してしまったことがある。
そして、その結果、王族として尊敬していた兄を失うことに繋がった。
自分が動けるにも関わらず、動かなかったあの時のような後悔を、もう二度としたいはずがないのだ。
何より、ここに使われているのは、「薬」となる植物もあるのだ。
他国にも聞こえるほどの「調薬」好きな俺が、悪用されると分かっているような事態を放置することはできない。
「「思わない」」
幼馴染たちは声を揃えてそう言った。
一人は不機嫌そうな目線を向けながら。
そして、もう一人は満足そうに目尻を下げながら。
だけど、同じように口元に笑みを浮かべている。
それだけのことだ。
だが、それだけで十分だった。
俺を信頼してくれる幼馴染たちの目の前で、カッコ悪いことなんて、男としてできるはずがないよな?
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