ああ見えても人の子
「良し!!」
栞が自分の頬を叩いた後、気合を入れた声とともに、自分の両拳を握りしめた。
「分かりやすく気負い過ぎだと思うぞ」
気合を入れるのは構わないが、気負うのは危険だ。
「はう?」
「いや、どんな返事だよ」
いきなり声をかけたせいか、いつも以上に珍妙な返答がかえってきた。
「多分、お前が心配しているようなことにはならねえよ」
「ほへ?」
さらに奇妙な返答。
思わず、栞の頭に手を置いた。
「多分……、な」
はっきりとは言い切れない。
だが、荒事になる予定があるなら、兄貴が黙っていないだろう。
魔法が使えない中、仮に武装集団に囲まれたとしても、それを掻い潜るくらいのことはできる。
兄貴は一見、労働担当に見えないが、あのミヤドリードに基礎的なことを仕込まれて、さらにオレを地に叩き伏せることができる男である。
単純に頭を使う方が好きなだけで、身体を動かすことが嫌いなわけでもないのだ。
「九十九は、雄也さんのことを信用しているんだね」
「信用……?」
どうだろう?
この感情と思考は、兄貴への信用の証……なのか?
「わたしはダメだなあ。どうも、心配しちゃって……」
力なく微笑む栞。
「一人ぐらい、心配してくれた方が、兄貴も嬉しいと思うぞ」
兄貴は何でもできる万能型だが、全てにおいて完璧な全能型ではない。
失敗もするし、間違いだってある。
それを思えば、栞の感覚の方が正しいのだ。
だが、オレは兄貴を気にかけるわけにはいかない。
オレが神経を注ぐのは、栞に対してのみだ。
だからこそ、兄は自分のやりたいように動ける。
栞だけを気にかけなくて良いから。
「そうかな? 心配するのって、なんか雄也さんを信用していないみたいで失礼じゃない?」
「全く、心配もされないのは多分、寂しいぞ」
兄貴のことだからそれを口にすることはないだろう。
だが、ああ見えても、人間の子だ。
一般的な感情がないわけではない、はずだ。
ただ、他人に見せないだけ。
そして、身内に甘えられないだけだ。
いや、兄貴から甘えられても気色悪いだけだが。
兄貴が甘えるのは昔から、ミヤドリードと千歳さんだけだった。
ミヤドリードには身内らしく素直になれない子供らしさを。
そして、千歳さんには、重すぎるほど惜しみない親愛の情を向けていた。
だから、今、兄貴は誰にも甘えることはなくなった。
ミヤドリードは死に、そして、千歳さんとは離れたからだ。
「そうだね。弟が全く心配する様子がないから、雄也さんはちょっと寂しいかもね」
栞はふとそんな風に呟いた。
『そろそろ進んでよいか?』
リヒトが綾歌族の女の組紐を握ったまま、そう言った。
「おお、悪い」
綾歌族の女は、先ほどからずっと栞に視線を向けている。
自分が「番い」と見定めた相手が特別に想う異性に対して、不躾な目線ではあるが、そこには先ほどのような殺意も敵意もなく、今は観察しているといった雰囲気だ。
そして、栞は自分に向けられているその視線に気づいてはいるけど、気にはしない様子だ。
この辺り、栞は大物だと思う。
見たいなら存分に見ろと言わんばかりの堂々としたその姿に、思わず惚れ直してしまうほどだ。
何も考えていないわけではない。
ただ、そこまで見られる理由に心当たりがあって、それが当人にも納得できるものだというだけだろう。
綾歌族の女を先頭に、リヒト、栞、オレの順で、村の入り口と言われたツタのような緑の葉の植物たちに両側を囲まれた狭い道を突き進む。
小道ではあるが、高さがあるため狭苦しさは感じない。
日の光が漏れてはいるが、あまり眩しさを感じるほどではないので、このトンネルの上をさらに別のモノが覆っているのかもしれない。
緑のトンネルを抜けると、昔見た長耳族の集落のような雰囲気を持つ場所に出た。
先ほどまであった蒸し暑さもなくなり、普通の森っぽく涼しさを感じるぐらいだった。
ただちょっと違うのは、長耳族の集落は、木でできた高床式住居ばかりだったが、ここは、木の上にも家のように見える建物があった。
それどころか、この大きな池が見えるのだが、その中央にも建物が浮かんでいる。
それらは、素材が木でできている以外の共通点が見当たらない、まとまりのない建物。
最初に抱いた感想はそんな感じだった。
「木の上に家がある」
栞がポツリと漏らした。
「ツリーハウスだな。人間界でも熱帯雨林地帯でたまに見かけるやつだ」
「妖怪アニメの主人公が住んでいそうだね!!」
「言われてみれば、アレもツリーハウスだったな」
有名すぎる妖怪アニメが頭に浮かんだ。
残念ながら、近くにポストは見当たらない。
「九十九が知っているとは思わなかった」
「いや、あれは有名すぎるだろう」
オレだって、アニメぐらい観ることだってあった。
そして、あのアニメは、面白かったし、再放送も多かったから余計に観る機会はあっただろう。
「それにあっちの池の上にある建物は、浮いてるよね!?」
「浮いてるな」
先ほどから、どこか興奮気味に話す栞を可愛らしく思いつつも、それを隠してオレは答える。
池に島を作り、その上に建物があるのではなく、建物が池に浮かんでいるのだ。まあ、船型の家ってことだろうな。
「酔いそうだね」
「地に戻れなくなりそうだな」
長い時間、船に乗っていると、陸に降りた時に、足が揺れを感じたままなのだ。
それを四六時中、体感するとは、正気とは思えない。
「それにしても、歩いている人がいないね」
気づいたか……。
ここに来て、オレも感じたことだ。
歩いている人がいないどころか、周囲の建物に生き物の気配を感じない。
『黒髪の人間に叩き伏せられて、男どもは臥せっている』
「「はい? 」」
綾歌族の女の口から出た言葉に、オレと栞の疑問符が重なる。
『村は全滅したが、若いアタシだけが見逃された』
ちょっと待て?
そんな話は聞いていないぞ?
兄貴が蹴散らしたって話は聞いた気がするが、全滅? マジか?
「何、やってんだ!?」
『何もできなかったんだ。だから、アタシは……』
悔しそうに歯噛みをする綾歌族の女。
ああ、これか。
オレをここに連れてきたかった本当の理由。
昨日のオレへの態度と、リヒトへの行動と違い過ぎることにずっと違和感があったのだ。
この女は始めからオレを「番い」にしたかったわけじゃなく、この状況をなんとかしてほしかったのだろう。
「全滅っていったけど、臥せっているなら生きているわけだよね?」
そんな綾歌族の女に対して、栞が口を挟んだ。
『だから、どうした? 村にいた癒しの術を使える者ほど完膚なきまでにやられていた。あのたった一人によって……』
そこで、兄貴の目的に気づいた。
なるほど、意味なく暴れたわけではないらしい。
そして、その上で兄貴たちが移動しなかった理由も分かる気がした。
「九十九、出番らしいよ?」
「納得いかねえ」
これはもともと、兄貴たちが起こした厄介ごとじゃねえのか?
それが、何故、オレが尻拭う形になる?
『話が見えないが、どういうつもりだ?』
話が見えないのはお互い様だ。
兄貴の企みはともかく、それでオレたちが引っ張り出される道理はない。
「このまま、無視したい」
「……九十九」
オレの零した愚痴に対して、栞が困ったような顔を見せる。
「雄也さんに会いたいな」
それは、栞にとって、ごく自然な呟きだったのだろう。
状況を考えれば、当事者に確認するのは間違いではない。
だが、オレが苛立つには十分な言葉でもある。
栞が困った時に頼るのは、兄貴のような気がして……。
『スヴィエート』
別の声が割り込んでくる。
『なんだ? アタシのリヒト』
『お前のモノになった覚えはないが、怪我人の所に案内はできるか?』
『難しい。恐らく、あの黒髪の男がいる』
まあ、目は離さないよな。
『その男は恐らく、そこのシオリには勝てない』
『この人類が?』
分かりやすく訝し気な顔を見せる。
『人類は、見た目では測れない。それは、先にここに来た黒髪の男で知ったことではないのか?』
リヒトが挑発的に言うと、綾歌族の女は押し黙る。
それは、ここにいたヤツらが、兄貴をなめてかかった上で、返り討ちにあったことを示していた。
オレもそうらしいが、兄貴もあまり武闘派には見えない。
魔法が使えない人間など、精霊族にとっては赤子の手を捻るようなものだと考えてもおかしくはなかっただろう。
それが、誤りだと気づいた時には、その場にいた全てのヤツらが地に叩きつけられていたとしても驚かない。
「どちらにしても怪我人を放置はすることはないでしょう? 案内をお願いします」
そう言いながら、あらゆる意味で、この場で最強の女が笑ったのだった。
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