求愛行動の一種?
『この先に、村がある』
リヒトに抱き抱えられたまま、綾歌族のおね~さんは顎で示した。
両手足を組紐で拘束されているにも関わらず、どこか嬉しそうに見えるのは、「番い」として目をつけたリヒトに抱えられているからだろう。
「適齢期」に入ったリヒトは、筋力も上がっているのか、おね~さんを抱えても大丈夫そうだった。
ここは足場も悪いのに、危なげなく、彼女を抱きかかえている。
「栞はまだ大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
魔法が使えなくても、魔界人としての体力と筋力は健在だ。
自分より大きな女性を抱えて移動はできないけれど、自分一人で歩くぐらいはできる。
「無理するなよ」
「うん」
勿論、無理などするつもりはない。
無理、無茶、無謀をした結果、九十九の足手纏いになっては意味がないのだ。
九十九から渡されている水筒を、歩きながら口に含む。
行儀が悪いことは分かっているけど、これは仕方がない。
「オレにも少しくれ」
先ほどはいらないと言ったが、あれから時間が経ったので、欲しくなったようだ。
九十九は、さっきわたし以上に動いたしね。
「はい」
そのまま手に持っていた水筒を彼に渡す。
「サンキュ」
お礼を言いながら、九十九はそのまま水筒に口を付けて飲む。
『雌の方から雄に与えたように見えるが、あれは給餌か?』
『いや、人類には普通の行為らしい』
先を進む2人から、そんな会話が聞こえてきた。
きゅうじ……? 給仕? いや、給餌か。
確か人間界の鳥の中に、雄から雌に対して餌を与えることで、求愛行動とする種類がいた覚えがある。
水筒を手渡した行為がそう見えたってことかな?
つまり、求愛行動と間違えられた?
え? わたしから? 九十九に?
ないないない。
「どうした?」
前の2人の会話が聞こえてなかったのか、九十九がわたしに問いかけてきた。
「さっきから、顔が面白いぞ」
うん。
ないわ。
基本的に、彼は「良い男」の部類に入ると思うのに、決定的に異性に対する気遣いが欠け過ぎている。
いや、欠けているなんて甘い話じゃないな。
異性に対する気遣いにどでかい穴が開いている。
そうじゃなければ、先ほどのように、当人を前にして、「重い」なんて平然と言わないだろう。
わたしにも「もっと太れ」とよく言うし。
しかも異性を袋詰めにすることも全く抵抗ないみたいだし。
「九十九は女性に対する気遣いが足りない」
「そうか?」
首を捻りながら、問いかけてきたので頷くことでわたしは肯定する。
そこで首を捻る理由が分からない。
「もっと女心を学んで欲しいと思うぐらいには」
もう本当に! 切実に! 心から!
そう願っている。
「お前が、もっと男心を学んでくれたらな」
九十九が不機嫌そうな顔と声を隠さずにそう返答した。
ぬ?
男心?
耳慣れない言葉だ。
そもそも、わたしにそんなものを学ぶ機会が与えられるものなのか?
「えっと、それは、わたしに恋人を作れとかそういった話?」
そうでもしない限り、「男心」なんて学べない気がする。
しかし、それはなかなかの難問だ。
簡単にできる気がしない。
「何故、そうなる?」
九十九の眉間にはっきりと縦皴が刻みこまれた。
どうやら、そういった意味で言ったわけではないらしい。
「そんな機会でもない限り、わたしに男心なんて学べると思う?」
「それなら、お前が言っている『女心』も同じようなモンだろ?」
大きなため息を吐いた後、九十九はそう言葉を返した。
ぬ?
そうなるのか。
でも、確かに恋人でもいない限り、普通は異性の本音なんて学べるはずはないかもしれない。
そうなると、わたしも九十九も、異性の心なんて分からないままってこと?
いやいや、わたしならともかく、九十九なら、普通に恋人ができる可能性は高いのだ。
実際、人間界にいた時に九十九には彼女がいたわけだからね。
対して、わたしはこの人生において、一度も彼氏などできたことがない。
人間界で、周囲への偽装のために、九十九が「彼氏(仮)」になってくれたことはあるけど、それぐらいだ。
うん……。
落ち込もう。
そうしよう。
「女心なんて簡単に分かるかよ」
「ああ、うん。そうだね」
相手の心なんて簡単に分かれば苦労はない。
いや、心が読めたとしても、不可能なのだ。
リヒトだって、よく言う。
心が読めても、「人間は難しい」と。
それって、心が読めたからって、理解ができるのとは別ってことだよね。
「でも、理解する努力はするべきだと思う」
少なくとも、一般的に相手が傷つく言葉ぐらいは分かる気がするのだ。
「それは、そうなのだろうけど……」
どこか歯切れの悪い返答。
九十九はそう思わないのかな?
三年も一緒にいるけど、未だに彼のこともよく分からない。
単純に見えても難解なのだ。
その見た目や言動に、騙されてはいけない。
小学校の頃の分かりやすい少年の姿はもうどこにもない。
ここにいるのは、十数年もの間、自分を磨き続けている努力家の青年。
そんな研鑽の果てにいる彼を、わたしが容易に理解できるはずがないのだ。
『着いたぞ』
そんな言葉で、気が付く。
『この先にアタシたちの住んでいる村がある』
目の前には、人が一人通れる程度の幅の、植物でできたトンネルっぽいものがあった。
言われなければ見落としてしまいそうなほど、自然にできた感じで、その先はよく見えなくなっている。
植物のトンネルってわたしにとっては、桜並木とか、藤棚とか、バラのアーチのイメージが強かったけれど、これはどちらかというと、ツタのように広い葉がびっしりと生い茂っていた。
「リヒト、腕は?」
『まだ大丈夫だ』
九十九が確認すると、リヒトは首を振る。
随分、腕や足腰が強くなったもんだと感心すると同時に、それだけあのおね~さんを下ろしたくないのかなとも思う。
リヒトが他人に興味を示すこと自体が珍しい。
それも、初対面の人にここまで心を砕くことなんて初めてだと思う。
それだけでも、普段よりは特別って気がする。
でも、それが自分と似たような境遇にある精霊族の中でも「狭間族」と呼ばれる人だからなのか。
それとも、「適齢期」に入って、自分でもこの相手が「番い」だと認めたのか。
それ以外の理由によるものなのかはわたしには分からない。
もしかしたら、当人にもまだ分からないのかもしれないけど。
「分かった。だが、持ち方を変えた方が良いな」
いや、「持ち方」って……。
完全に物扱いではないだろうか?
『このままではダメなのか?』
「見ての通り、この先が結構、狭くなっている。これ以上、無駄にこの女の足を傷つけたくなければ、横抱きはやめておけ」
九十九は、相手を気遣っているのか、そうでないのかが分からない。
しかし、「お姫様抱っこ」を「横抱き」と言った。
まあ、確かに横だけど、なんとも言えない気分にはなる。
いや、九十九の口から「お姫様抱っこ」という言葉が出てきても変か。
しかし、狭いところなら、おんぶ?
でも、拘束中だからな……。
そうなると縦抱き?
体力、筋力勝負になるね。
『では、どうすれば良い?』
「足だけ紐を解いて歩かせる。悪いが、手だけは残しておくぞ」
そう言って、九十九はリヒトに抱えられたままのおね~さんの両足から組紐を解いた。
『お前はそれで良いのか?』
「今から敵陣に乗り込むのに、それ以外の方法があれば列挙しろ」
「敵陣」……。
その言葉にぞっとする。
今から向かうのは、そのおね~さんの村であり、わたしたちに好意的ではない可能性が高いのだ。
確かに「敵陣」で間違ってはいないのだろう。
それに、その場所に雄也さんたちがいる。
彼らの扱いだってどんな状態か分からないのだ。
気持ちを切り替えて、いろいろ気合を入れ直して臨まなければいけない気がしてきた。
両頬をペチペチと叩く。
「良し!!」
気合十分!
「分かりやすく気負い過ぎだと思うぞ」
「はう?」
「いや、どんな返事だよ」
九十九が苦笑する。
「多分、お前が心配しているようなことにはならねえよ」
「ほへ?」
九十九はそう言いながら、わたしの頭に手を置く。
「多分……、な」
この時の九十九の瞳には、何が映っていたのだろうか?
わたしには分からなかった。
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