普通の育ちではないから
いきなり急降下してきた黒い大きな鳥にリヒトが襲われた。
まるで、映画やゲームでしか見ることのない光景に、わたしの身体は動くこともできなかったのだ。
目の前で、それを見ていたのに、それを止めることもできず、ただ茫然とするしかなかった。
よく考えれば、わたしはこれまでに、魔法を除けば、人型以外のモノに襲われたことはなかった気がする。
だが、ここにきて自分よりも遥かに大きな海獣に乗っていた船を沈められたり、魔法以外の大きな鳥に襲撃されたりした時に、身動き一つとれなくなってしまった。
苦手な生き物でなくてもこのザマだ。
もし、この世界にイヌ科の生物によく似た魔獣がいたら、それだけで意識を飛ばしてしまう気さえする。
それはなんて、情けない話なのだろう。
結果として、その黒い鳥は、あちこちバインバインなおね~さんだった。
文字通り、襲われたリヒトは、状況に戸惑いつつも、毅然とした対応をしたため、その場は落ち着いたように見える。
そのことに少しだけ安堵の息が漏れた。
何でも、そのおね~さんは、鳥に変身できる精霊族で、リヒトを「番い」と見定めて、求婚に来たらしい。
行動派といえば、そうなのだろう。
だけど、納得できないものがある。
この人、昨夜は九十九に「一緒に村まで来て欲しい」と言った人だ。
それもわたしの目の前で。
しかも、彼女から話を聞いた限りでは、雄也さんが「番い」だったとしても「構わない」というようなことを言っていた覚えがある。
そんな不誠実な人に、リヒトを渡すことなんかできない。
一体、何人の男性に、「運命」を感じるタイプの人なのか?
尤も、リヒトがそれでも、このおね~さんを選ぶというのなら、それは仕方ない。
大事なのは、本人の気持ちだ。
外野がどう思っても、そこに割り込むなんてできないし、わたし自身もしたくない。
でも、九十九はどう考えているのかな?
わたしはこの世界の知識が中途半端だから、「精霊族」関係の話は、一部を除いて、さっぱり分からない。
リヒトの「適齢期」だって、彼が分かりやすく成長したことで知ったぐらいだし。
九十九はわたしよりもずっとこの世界の知識がある。
だから、いろいろと分かることもあるとは思う。
そんな彼が静観の構えをとるなら、わたしも黙ってみているべきなのだろうか?
『まず始めに。俺は普通の育ちではないから、「精霊族」の常識を知らない』
『大丈夫だ。教える』
リヒトを前に満面の笑みを見せるおね~さん。
わたしよりも年上っぽいのに、その表情は可愛いと思う。
でも、その体型は可愛いとは言い難い。
何を食したら、そんなに出るとこが出るんでしょうかね?
そして、昨日と同じ水着みたいな軽鎧。
さっきまでは鳥に変化していたのに、どうなっているんだろう?
まさか、鎧に見えるけど、実は皮膚の一部とか?
『名前はリヒト。長耳族の血が流れる……、狭間族だ』
リヒトは戸惑いながら口にする。
「狭間族」は確か、精霊族の混血児って意味だったはずだ。
『アタシの名は、スヴィエート。綾歌族が濃い狭間族だ。多分、外見から長耳族の血も入っているらしいけど、心も読めないし、長耳族の術も使えない。弓も苦手だ』
包み隠さずにおね~さんはそう言った。
『弓?』
リヒトは不思議そうに聞き返す。
それで、わたしは一つの疑問が出てきた。
もしかして……。
『長耳族は弓が得意な種族なのだ』
おね~さんの言葉に、わたしが一瞬、考えかけたことを中断する。
そういえば、迷いの森でも弓矢を使われた覚えがあった。
なんか見た目もそうなのだけど、長耳族って人間界のエルフっぽいよね。
『あと、「綾歌族」だけど、歌が苦手だ。同族の血が流れるヤツが言うには「音痴」というものらしい』
なるほど、「綾歌族」は本来、歌が得意な種族らしい。
そういえば、なんか、昔、水尾先輩から聞いた気がするな~。
ジギタリスからストレリチアに向かう時に、セイレーンみたいな精霊族がいるって。
あの時は、水尾先輩とわたし以外が寝ちゃって、それは水尾先輩の仕業だと分かったけど。
歌で引き寄せて眠らせる精霊族だとは覚えている。
名前をはっきりと覚えていないけど、それが「綾歌族」だったのかな?
『俺も弓は引けない』
リヒトは呟く。
言われてみれば、わたしたちの中で弓を使える人間がいない。
尤も、雄也さんや九十九は引けそうな気がするな。
「九十九は弓、使える?」
「得意じゃねえな。弓より、魔法の方が確実だし」
確かに、威力もだけど、命中率が高くて、飛距離も多ければ、弓より魔法にした方が良いよね。
人間界……、日本も戦国時代辺りから、戦で活躍するのは弓より鉄砲へと移り変わっていったという歴史がある。
弓には技術がいるのだ。
そのために、戦国時代末期には、日本は世界最大の銃保有国だったと知っている人は意外に少ない。
さらに、技術大国日本が、欧州製よりも優れた銃と火薬を作り出し、使用していたことは余談だろう。
人を殺すための武器ではあるのだからね。
「何より、弓だと手加減ができない」
おおっと。
ウチの護衛は、何やら物騒なことを口にしてますよ?
「せっかくだから、学べば? ウォルダンテ大陸の中心国ローダンセは『弓術国家』でしょう?」
トルクスタン王子に頼めば、そのツテもありそうだ。
「……機会があればな」
どこか不機嫌そうにそう口にした。
九十九は特に機会を作る気はないらしい。
弓って奇麗で、かっこいいのに。
「でも、弓って、今みたいに魔法が使えない時には、役立ちそうだよね」
「そうだな」
わたしが知っているのは和弓。
所謂、弓道だ。
中学校に部活はあったし、バッティングセンターの近くに弓道場もあった。
「弓道する人って所作が綺麗なんだよね~」
「まあ、所作を重視して、心身の鍛錬をする武芸だからな」
遠回しに実戦向きではないと言われている気がするのは気のせいではないだろう。
どこか発言に棘を感じる気がする。
でも、九十九は姿勢が良いから、袴着て、矢を放つ姿とか、すっごく似合いそうなんだけどな。
ふと誰かの姿を思い出した。
白い上衣、黒の袴を身に着け、茶色の革手袋みたいなものをつけて、ゆっくりと弓を構え、矢を放つ姿。
それも、もう遠い日の記憶。
そして、あの姿は二度と見ることはできないだろう。
『スヴィエートと言ったな。貴女は俺に何を望む?』
『アタシと番え』
先ほどまで弓のことを考えていたせいか、「矢を番える」の方を考えたが、この場合は違うだろう。
えっと、「番いになってくれ」ってことで良いのかな?
「直接的だな」
「へ?」
九十九の言葉に純粋な疑問符が浮かび、何も考えずに問い返した。
九十九は一瞬、目を丸くしたが……。
「生物、雌雄の『番う』は……、あ~、その、子作りのことだ」
「あ~」
わたしから目を反らして、言葉を濁しつつも、ちゃんと答えてくれた。
そして、その答えについては、彼が言いにくいのも分かる気がした。
『断る』
『何故だ?』
『悪いが、俺にそういった知識がない』
『大丈夫だ。アタシが教える』
えっと、これは本当にこのままわたしが聞いていても良いものなのでしょうか?
求婚を通り越した話のような気がします。
九十九を見るが、彼は顔色一つ変えずに2人を見ている。
なんなの、その余裕!?
わたしに「番う」の説明をする時に動揺していたさっきまでとは、随分、態度が違いませんかね?
リヒトは明らかに困っている。
断り文句を探しているっぽい。
でも、相手がちゃんと「断る」と言っているのに、一向にめげる様子のないこのおね~さんの強さはどこか羨ましくも思えてしまう。
ここまで図太ければ、見える世界も違いそうだ。
『俺を選んでくれたことは嬉しいが、俺は貴女を選ぶことができない』
『何故だ? 既に「番い」がいるとでも言うのか?』
『俺にはまだ「番い」はいないが、好ましく思う異性ならばいる』
ぬ?
方向性が変わってきた気がするよ?
『それはドレだ?』
『そこにいる……』
リヒトがわたしに目を向けた瞬間だった。
『ならば殺す!!』
突然、黒い複数の羽が、矢のような勢いでわたしに向かって放たれたのだった。
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