本格的に役に立たない
『シオリは、例の魔法で冷却することはできないのか?』
ふと、リヒトから提案があった。
「どうだろう?」
体内魔気が分散されている感覚というのは、自分でもはっきり分かる。
身体から勝手に何かが放出されている気がするのだ。
運動した後に、自分の体から熱が放出されているような感じにちょっと似ている気がする。
だけど今は、その状態の上、さらに肌に纏わりつくような蒸し暑い空気があるから、余計に不快なのかもしれない。
「よし、やってみる」
意識を集中する。
この暑さから逃れるために、ちょっと気合を入れて、わたしは言葉を叫ぶ。
『心頭滅却すれば火もまた涼し!』
「長え!」
九十九からの突っ込み。
「え? 長いのって、駄目なの?」
でも、こんなに暑い状態を涼しくする言葉なんて、素直に「冷却」? 「冷感」? とか言えば良かった?
でも、冷えすぎるのも困るしな~。
「いや、駄目じゃねえけど、今まで短い言葉が多かったから、つい……」
思わず突っ込んでしまったらしい。
ツッコミ魂、ここに極まれり?
『それより効果は?』
リヒトだけが雰囲気に流されずに話を進める。
「ないみたい」
蒸し暑さは変わらなかった。
わたしの魔法でも、ここで使うのは難しいらしい。
いや、九十九の突っ込み通り、詠唱が悪かったのかもしれないけど……。
『なるほど……』
リヒトが考え込む。
「例の『音』とやらはどうだった?」
『混ざった』
「混ざ……?」
リヒトの言葉に九十九が奇妙な顔をした。
わたしも意味が分からない。
混ざるって何?
『シオリの「魔法」は、周囲の「音」に掻き乱されるかのように溶け込んだ』
搔き乱されるというのは不協和音っぽいけど、溶け込むなら、調和のとれた和音?
ちょっと表現が分かりにくい。雑踏に人の声が吸い込まれる感じなのかな?
でも、どうやら、リヒトにはここでも「音」が聞こえるらしい。
それって……。
「煩くない?」
ずっと「音」が聞こえているって辛くないのだろうか?
『シオリとツクモの心の声の方がもっとずっと大きいから、俺の方に問題はない』
それはそれで、いろいろ問題だと思ってしまうのは、わたしたちが読まれる側だからだろうか?
「つまり、リヒトの能力はそのままってことか……」
九十九は動じることなく続ける。
『そうなるな。俺の能力までは邪魔できないらしい』
おおう。
そういう意味になるのか。
九十九が口にするまで、気にもしなかった。
確かに心の声が読めて、体内魔気、大気魔気が音として聞こえるなら、リヒトの能力には問題がないような気がする。
「邪魔か……」
『邪魔だな』
しかし、こうなると、わたし、本格的に役に立たない。
どうしよう?
せっかく、魔法っぽいものが使えるようになったというのに。
「言っておくけどな、栞」
「はへ?」
「魔法が全く使えない状況なら、今も筋トレしているお前以上に、水尾さんや真央さんの方が大変なんだからな」
『キントレ?』
その言葉を知らないリヒトが不思議そうな顔をする。
成長しても、疑問を持った時のこの顔は変わらないままだね。
「筋肉トレーニングを省略した言葉だな。この女、人間界にいた時の習慣なのか分からんが、暇になると身体を動かして、鍛えてるんだよ」
いや、魔法を使えなかった期間が長かったから、せめて体力だけでも足手纏いにはなりたくなかったのだ。
それでも、どんなに頑張っても、男性にはほど遠い。
「たまには、ちゃんと護らせろってんだ」
「ふへ?」
魔法を使えなかった時も、使えるようになった今も、九十九はいつも護ってくれているのに変なことを言われた。
「九十九はいつも護ってくれてるよ?」
「肝心な時に、いつも護れてねえんだよ」
「そうかな?」
ここまでわたしが命を落としていないし、心身ともに健康でいられるのは、彼らがずっと護ってくれているからだと思っている。
わたしが無事だから、逆に護り切れているという実感が湧かないのかな?
それならば、語ってみせよう、九十九の護衛記録の数々を!
存分に!
心行くまで!!
「わたしは、人間界で誕生日に護られたよ?」
九十九に会わなければ、あの日、あの時、何も知らないまま、ライトに攫われていたことだろう。それは間違いない。
「卒業式、九十九が助けに来てくれなかったら、わたし、多分、もたなかったよ?」
あの時、心はほとんど折れかけていた。
諦めかけた時、突然、ライトに向かって飛んできた椅子と、九十九の姿を見て、本当に救われた気がしたのだ。
「温泉だって、はっきり覚えていないけど、九十九が助けてくれたんでしょう?」
「いや、あれは、その……」
九十九は口ごもっているが、ストレリチアにてワカと再会した後で、あの日のことを、彼女から聞いたのだ。
わたしは、夢だと思っていたけど、実は本当にあったことで、九十九が来たから、ライトは撤収したって。
同時に、何故か、「笹さんにもっと報いてあげて」とも言われてしまったのだけど。
「ボロボロになっていた水尾先輩を助けてくれたのは、間違いなく九十九だし」
水尾先輩が城下の森の中で倒れていたのを保護してくれたのは九十九だった。
明らかに厄介ごとの種になりそうだったことが分かっていたから、見捨てるという選択肢もあったはずなのに……。
「セントポーリア城下から誰にも見咎められずに脱出できたのは九十九が準備してくれたからだった」
凄く落ち着いてわたしと水尾先輩を先導してくれた。
事前に、雄也さんと打ち合わせをしていたにしても、彼だって、国から出るのは初めてだったと後から知ったのだ。
「セントポーリア城下から出た後も、わたしは九十九からいっぱい護られているけど、まだ聞く?」
「いや、もういい」
わたしにそう言う九十九は、自分の顔を抑えていた。
耳まで赤い。
もしかしなくても、照れているのだと思う。
彼の羞恥の基準がよく分からない。
「え~? 長く滞在したストレリチア編が一番、九十九から護られたエピソードが多いのだけど?」
ストレリチアでは常に護られていたし、九十九からの助けを何度も借りた。
彼のメイク技術なしではわたしの「聖女の卵」生活は語れないほどに。
「本当にもういい。これ以上は本当に勘弁してくれ」
九十九は完全に顔を伏せてしまった。
わたしに対して、言われているこっちが恥ずかしくなるような台詞を真顔のまま平気で言えるのに、本当に彼の羞恥ってどこにポイントがあるのだろう。
いや、それだけ、わたしは主人扱いをされていても、異性扱いをされていないということなのかもしれない。
納得、納得。
「これでも、まだ護ってないって言うかい? わたしの護衛」
「そんな細かいことをいちいち覚えているなよ、オレの主人」
「主人だから、余すことなくしっかりと覚えておく必要があると思うのですよ?」
雄也さんからも護られているし、水尾先輩からも護られている。
「護られて当然だと思う傲慢な主人に未来はないでしょう?」
それは恭哉兄ちゃんからも何度か忠告されている。
護られる立場の人間も、護る人間のことを考えて行動するべきだと。
そして、わたしのために身体を張って護ろうとするのは、目の前にいる九十九だけじゃなく、雄也さんもなのだ。
それを知った以上、できる限り自分も考える必要はある。
「雄也さんの方もちゃんと言えるよ。勿論、わたしに見せている範囲だけだけど」
雄也さんの場合、陰に隠れているものが多すぎる。
わたしが気付いていないこともあるだろう。
「九十九のことも、雄也さんのことも、それぞれちゃんと見て、できるだけ覚えるようにはしている。まあ、全部は無理だよ? わたし、そこまで頭良くないから」
もう少し、記憶力が欲しいと切に願っている。
「そうか……」
九十九がポツリと言った。
「主人にそう評価されるのは、護衛としても嬉しい」
さらにそう言ってフッと笑った。
うん。
わたしの護衛は今日もわたしには勿体ないほど良い男だ。
だからこそ、いつか誰かのために手放す日が来るのだろうけど……。
「さて、そろそろ休憩を終わるか」
九十九は立ち上がって、わたしに手を差し出す。
「ありがとう」
そのまま手を置いて、わたしも立ち上がる。
「ようやく、客が来たみたいだからな」
そう言いながら、九十九は上を向いて身構える。
どうやら、また上に誰かいるらしい。
わたしも顔を上に向けると、ヤシの木に似た木が、大きく不自然に揺れたのが分かった。
そして――――――――。
『見つけたあああああああああああああっ!!』
そんな声とともに、猛スピードで落下してくる黒い塊があったのだった。
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