面倒な種族
―――― 人間とは、何とも面倒な種族である。
俺は何度、そう思ったことだろうか?
自分のいた森から連れ出され、人間の心の声が読めるようになって、数えきれないほど思ったことだけは確かだ。
言いたいことがあっても言わない。
思うことがあっても隠す。
本音と別の言葉を口にする。
心を偽る。
他者からの言葉を誤解、曲解する。
本心を上手く伝えられない。
そんな人間たちを、数多く見てきた。
根は善人であっても、悪人を気取る。
悪人であっても、善人のように振舞う。
そんな人間は珍しくない。
何より、人間が集まれば持っている己の正義は異なる。
一見似ていても、細部は異なるものだ。
そして、同じ集団に属していても、全てが同じ方向に進めるはずもない。
それを理解していても、いろいろな縛りによって、自分の行動が制限されることもある。
だが、逆に、全く別の方向を見ているのに、気付けば、苦痛なく歩みを揃えている人間たちもいる。
それは、大半が「利害関係の一致」というやつらしいが、それだけでは説明できない何かがある気がするのだ。
心の声が読めても、そこに至るまでの流れの全てがわかるわけではない。
その人間の思考の組み立てまでは、俺には読めないのだ。
だから、その思考回路が自分と似ている人間なら理解ができるが、全く、違う人間に対しては理解不能となる。
論理型の人間は思考の流れも分かりやすい。
筋道を立てて、思考、検証をすることが多いので、その考え方に納得や賛同もできるし、同じ情報量を与えられたら、似たような判断をするだろうとも思う。
だが、感覚型の人間はその流れが読みにくいことが多い。
何故、その結論に達したのかが本当に分からないのだ。
当事者に一定の規則はあるのだろうが、その法則性が酷く掴みにくい。
具体的には、今、横にいる2人の人間である。
特に真横にいる人間に対しては、思考が打っ飛……、いや、吹き飛んでいて、最終的な結論に至るまでが分からなくなる時がある。
論理的でないとは言わない。
ある程度は理解できるから。
直情的、短絡的とも違う。
それなりに思慮深くはあるから。
だが、思考の組み立て方が、明らかに不思議な法則なのだ。
その向こうにいる人間も似たような部分がある。
論理型と直感型の統合。
論理的に考えることも多いが、時々、直感で判断する。
先ほど、自分の主人に向けられた言葉がその最たるものだろう。
真横にいる小柄な人間は、俺が急激に成長したことに対して、戸惑いを隠しきれていなかった。
心の声を読む俺に対して、隠す術を持たないことも理由の一つだが、この件に関しては、心を読めなくても分かりやすくはあったのだが。
俺の変貌と成長、そして、護衛の変化と成長に、自身がついていけない、置いて行かれると考えていたタイミングで、護衛が言ったのだ。
「そんなに心配しなくても、置いて行くことはないから」と。
それがどんな思考の流れで発言されたのかは分からない。
その発言時の、心の声は重なっていたのだ。それは心からの声。
しかも、その前に考えていたことも、自分の主人が「不安そうな顔をしている」といったようなことだった。
その流れから、何故、そんな言葉に繋がるのかは全く分からなかった。
だが、それは言われた主人にとっては、信じられないようなタイミングで……、思わず心が読めるのかと俺は聞いてしまった。
そんなはずはないのに。
この護衛が持っているのは、真贋を見極める瞳。
それは、言葉を発した相手の姿で判断できるらしい。
だが、それがどんな感じなのかは分からない。
俺は心を読めても、視界を共有はしていないから。
ふと真横から聞こえていた心の声に気になる単語が含まれていた。
何故、先ほどまでの思考からその単語が出てきたのかは分からない。
だが、俺の心を妙に擽る言葉だった。
『兄弟子……』
それは確か、自分より先に同じ師に付いた存在だったはずだ。
なるほど。
この護衛、ツクモは俺に様々な言葉や考え方を教えてくれたユーヤの弟であるが、ユーヤを師とみるならば、先に学んだツクモは、兄弟子で、その後に学んだ俺は弟弟子となるだろう。
「なんだ?」
だが、俺の口から突然出てきた単語にその兄弟子は、不思議そうな顔を俺に向ける。
『いや、シオリが俺にとってツクモは兄弟子に当たるのではないかと』
「兄弟子? ああ、兄貴が師匠って意味なら、確かにそうなるな」
どうやら、考え方に間違いはないらしい。
だが、ツクモは複雑そうでもある。
確かにユーヤはこの男の師ではあるが、同時に、幼少期には同じ師に学んだ間柄でもあるらしい。
そして、ツクモにとっては、師と言えば、その幼少期に自衛、護衛の手段を叩き込んだ存在が真っ先に思い浮かぶようだ。
尤も、自活の道を教えた兄に対しても、ある程度の敬意はあるようだが、そこは素直に認めたくないらしい。
『兄弟子……』
もう一度呟いてみる。
その言葉に胸が温かさを覚えた。
それは小さな繋がりでしかない。
だが、それすらも持たなかった俺にとっては、微かな光となる。
「何か問題でもあるのか?」
二度も繰り返したために、誤解させたらしい。
不服そうな顔もしていないし、文句も言っていないのだが、人間は勝手に解釈する。
『いや、その……、なんか気恥ずかしく思えてな』
「そうか?」
もっと確実な繋がり、確かな縁を持っている男は首を傾げた。
何より、自分の立ち位置がしっかりしている証でもある。
そこが俺には眩しかった。
ツクモの主人であるシオリは、俺の気持ちを理解してくれているようだ。
長く共にあった血の繋がった母親から離れ、父親と認めた男との交流も必要最低限。
さらに母親違いの兄には、異性としての目を向けられている。
すぐ近くに身内がいることが自然なツクモには、その繋がりが望んでも得難く尊いものだということが、理解できない。
『俺には家族がいない。だから、呼称ではあっても「兄」と呼べる存在が近くにいてくれることを嬉しく思う』
だから、素直にそう言った。
そんな微かな繋がりを喜ぶ単純な男だと思われることを承知で。
「あ? 家族はいるだろ?」
だが、ツクモは眉を顰めてそう口にした。
まるで、俺の考えを否定するかのように。
「血の繋がりだけが家族じゃねえ」
ツクモはあっさりとそう言いきった。
それは、両親が既に亡くなった男の言葉。
「『家族』ってのは、血縁を中心とする集団であって、血縁じゃなければ家族になれないわけではないからな」
自分の考えを戸惑うことなく口にしていく。
「オレにとって、リヒトは弟弟子である以前に、一緒にいて、助け合う『家族』みたいなもんだと勝手に認識していたのだが、迷惑だったか?」
『だ、だが、俺は長耳族で……』
種族を理由に否定する。
俺はこの姿が同族と異なるために、その集団の中にいることを許されなかったのだ。
その柔軟な考えを、素直に受け入れられるはずもない。
「関係ないだろ?」
それでも、黒い瞳の人間は、臆することなくまっすぐに言葉を放つ。
「実際、俺も、兄貴もリヒトには随分、助けられている。それに、これからもお前を助けたいって思っているからな」
この男は人間にしては、珍しいほど真っすぐで、迷いのない言葉を相手にぶつけることがある。
その黒い瞳は眩しい光を伴い、その心の声は誰よりも強く大きい。
この世界では、「思い」が自身を強める効果がある。
具体的に言えば、「魔法」という名の奇跡。
先ほど、この場所で魔法を使おうとした時に、ツクモの魔法は、周囲にかき消されたが、主人であるシオリの魔法は形になった。
シオリの魔法は、この場所に飛び交う「別の音」を突き破るほどの「祈り」を発し、自分の祈りを聞き届けさせた。
だが、それは決して、この男の「願い」が弱いわけではない。
単純に魔法よりも言葉に「祈り」を込めてしまうのだ。
それは、言葉を大事にする「情報国家」の血を引くためかもしれない。
尤も、それを知らない当人に伝える気などないのだが。
『ツクモは悪賢い』
少し考えて、俺はそう返答する。
素直に礼を言うのは、少し悔しかった。
「おい?」
『違った。ズルい』
「どちらにしても、嬉しくねえ評価をありがとよ」
そう言いながらも、ツクモは少し嬉しそうに笑う。
だが、その次の瞬間。
すぐ真横から、妙な心の声を聞いた気がする。
『うん。「家族」なら、しょうがないね』
それは高く、俺が一番好きな心の声。
その声が何かを割り切ったような声を発した。
何に対して、「しょうがない」なのか。
それまでに彼女が考えていたことを思い起こす。
―――― 人間とは本当に面倒な生き物である。
俺は改めて、そう思い知るのだった。
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